日々の仕事に向き合った結果、日本のトップへ。
ブルーボトルコーヒーに入社するまでの経緯を教えてください。
兵庫県で生まれ育ち、中学生のときに2年ほどアメリカに行って現地校に通ったほかは、大学卒業までずっと関西で暮らしました。大学時代は、ウェイトレスや塾講師、秘書サービスなど7つのアルバイトを掛け持ちしては、フランス留学や毎年の海外旅行の資金に充てる生活をしていました。
学生生活を通して、人に対する興味がより一層強くなった私は、就職活動では人事・人材サービスを中心に受け、最初に内定をいただいた大手人材派遣会社に入社を決めましたが、入社して驚いたことに派遣ビジネスではなく、留学事業などを行う子会社の立ち上げにいきなり関わることになったのです。1年目は、ワーキングホリデーなどの留学セミナーを自ら企画して全国を行脚したり、2年目は、パリで中長期滞在者向けの民泊事業をやるという話になり、たまたまフランスに留学した経験があったので、お客様の開拓から、現地でのお客様のアテンドまで任せてもらいました。パリの中長期滞在者向けの民泊事業では、15件ほどの物件を契約した後、お客様をブッキングし、お客様の到着前日にパリに入って、お客様をアパートメントにご案内し、さらにお客様が帰った後のクリーニングまで、行うこともありました。本当に大変な日々でしたが、今思えば、無知で怖いものなしだったからこそ、がむしゃらに突き進めたかもしれません。さまざまな方に助けていただきながら、遂行していきました。
そうした経験を積むなかで、次第に新しいビジネスを創ったり、サービスをローンチすることが楽しいと感じるようになってきて、さらに新規事業を立ち上げるノウハウをもっと本格的に学びたいと4年目にインキュベーション会社に転職しました。この会社で投資先の様々な企業のPRを任されたことが、私のターニングポイントになりました。
投資先企業の価値を高めていくために、その企業をメディアに取り上げていただくためのPR活動に携わりました。たとえば、あるベンチャー企業を有名テレビ番組に取り上げていただいたら、次の日から格段に売上が伸びたことがありました。テレビの絶大な効果を知った一件です。テレビや新聞記事などに取り上げてもらえれば、世間から注目されて営業活動にもプラスになりますし、社員の方々はもちろん、そのご家族も喜んでくださる。ベンチャーにスポットを当てると、みんながハッピーになれるのが私も本当にうれしくて、PRの仕事にとてもやりがいを感じていました。
この頃から、ベンチャー企業の社長様の熱い想いや考えを伺って、想いを形にするのが好きでした。誰かの想いを形にするのが私の役割なのかもしれないと思い始めました。
その後のPRのキャリアについて教えてください。
単にコンサルタントとして外部から関わるのではなく、自らビジネスサイドに立って、自社の商品・サービスをPRしてみたいという想いがだんだん強くなってきました。PRのキャリアや海外経験を活かして新規事業に貢献できる場はないかと探していたところ、経営支援を手がけるリヴァンプに出会いました。
当時、リヴァンプは米国から「クリスピー・クリーム・ドーナツ」を日本に初上陸させて注目を集めていましたが、こうした純粋なスタートアップではなく、すでにあるブランドを日本市場で展開するライセンスビジネスなら、新規事業にPRで関われそうだと考えたのです。そして、たまたまリヴァンプが「アンティ・アンズ」という米国のプレッツェル専門店を日本に導入しようとするタイミングで、日本における第一号社員として採用してもらったのです。社長と二人でしたし、PR業務だけというわけにはいかない。1号店の出店場所を確保するため、社長とエプロンを着てデペロッパー様へ出向きプレゼンをしたり、アメリカの創業者に会いに行って想いを受けてメッセージを作ったり、PR・人事をはじめとしてさまざまな管理系の業務をゼロから行ったりしました。
この米国プレッツェル店が3年半で16店舗まで増えたところで、次のステップに踏み出しました。今度は、日本の大手外食チェーンから、ハワイで立ち上げたブランドを世界に広めていく新事業を展開していくので、そのハワイの基幹店づくりをやってみませんかというオファーをいただいて、日本の飲食ブランドの海外展開を、ブランドそのものを創るところから関われるのは面白そうだとお受けしました。これがなかなか大変で、特に文化の違いに苦労しました。たとえば、その企業の就業規則とハワイ州の法律や文化が合わないので、これをすり合わせる必要があったり、また、現地店舗の建設がまったく進まず、毎日細かくプロジェクトマネジメントをして、ようやく前に進んでいくような状態でした。しかし、本社は日本と同じように物事が進むものと思っているのです。さまざまな面で本社の期待値を調整しながら、一方で何とか工事を進め、ハワイ流の就業規則を作りつつ、現地従業員を50名採用していきました。そうして、店舗が完成し、人員も集まり、店舗オープンのPRが終わって、店舗の運営フェーズに入ったところで、次のステップに悩んでいたところ、ブルーボトルコーヒーから「日本市場に参入するのでPR業務ができる人材を探している」と声をかけていただいたのです。
ブルーボトルコーヒージャパンを選択した理由と経営者としての道を選択した理由を教えて下さい。
当時は、フリーランスのPRとして独立しようかとも考えていました。以前にサンフランシスコのブルーボトルコーヒーにたまたま訪れたことがあり、ブルーボトルコーヒーはとても好きなブランドでした。創業者ジェームス・フリーマンの思想やブランドバリューが何より魅力的で、日本でも受け入れられるブランドになると確信を持っていたのです。また、100%子会社として日本で事業を立ち上げようとしていることに魅力を感じました。日本に入ってくる海外のブランドホルダーの想いと、国内で事業を拡大しようとするライセンサーの考えは、それぞれの立場や思いがあって、PR担当として板挟みになることもありました。でも、ブルーボトルというブランドバリューがあって、100%子会社でPR業務ができるのなら、きっと納得のいく面白い仕事ができるに違いないと。2014年11月、ブルーボトルコーヒージャパンに広報・人事マネジャーとして入社しました。
肩書は広報・人事マネジャーでしたが、入社してみるとやらなくてはいけないことが山ほどあり、人も採用しなくてはいけない、コーヒー豆やカップなどの備品も届いていないという状態でした。アメリカ本社と日本の間に入っていろいろと仕事をしていたら、結果、全部のファンクションに携わっていました。出店に向けて準備を重ねる過程で、次第に任されることが増え「何でもやっている」状態となり、「だったらそのまま代表に就けばいいじゃないか」と打診されたのです。年齢や性別、過去の経歴などにとらわれない、この会社の社風が表れていると思います。とはいえすぐには決断できず、最初は断りました。私には裏方が向いていると思っていたからです。最終的には、ブルーボトルコーヒー創業者であるジェームス・フリーマン氏から「とりあえずやってみたら?あなた自身の成長のためにもいいチャンスだ。100%サポートするし、もしやってみて合わないと思えばそう言えばいい」と背中を押され、決断し、2015年6月に取締役に就任しました。
最初の頃は経営者らしさを意識するあまり、肩肘張っているところがありましたが、最近は自分なりのやり方でよいのだと考えられるようになり、楽になりました。経営者としての私は、「指揮者」です。みんなが仕事に集中できるように組織をまとめ、盛り上げながら、何かをしなければならないタイミングを見極めて各メンバーに声をかけ、彼らの行動を促していくのが私の仕事だと考えています。それまでは自分自身がいかに周囲に貢献するかということが私のアイデンティティーでしたが、いまは自分がいなくても回る環境をいかに作るかということのほうが面白いですし、そこでの人の成長を見るのがとても楽しく思えます。「こうあるべき」に縛られなくなってからは、とても楽になりました。また現在は日本での取締役の他、アメリカ本社のクリエイティブ・ディレクターも兼任し、本社のPR・マーケティング・デザインチームを統括しています。
コーヒーをワインのように楽しむ人を増やしたい
ブルーボトルコーヒージャパンのビジネス戦略を教えてください。
2017年7月現在、ブルーボトルコーヒージャパンは東京に6店舗を出店しています。正直なところ、もっと早いペースで店舗を増やし、売上を上げることはできるのですが、そうした方針は採っていません。なぜなら、ブルーボトルコーヒーは、常にビジネスとクリエイティビティのバランスを考えなくてはならないブランドだからです。売上・利益と出店場所・店舗デザイン・接客のあり方などのバランスを見極めて決断することが重要なのです。私の役割は、単に売上を上げることではなく、創業者ジェームスの思いを日本のマーケットに合わせて、どうやって表現していくかということ。ブルーボトルコーヒーの文化をアメリカと同じように日本にも広めていくことを求められているのです。
すべてのお客様においしいコーヒーを届けること。コーヒーとともに過ごす時間・空間を提供すること。お客様にコーヒーの奥深さを知っていただき、コーヒーをワインのように選び、語れる人を増やすこと。コーヒーを通して、お客様の生活と人生を豊かにすること。コーヒー文化を盛り上げること。こうしたブルーボトルコーヒーのミッションは、15年前の創業時からまったく変わっていません。コーヒーはフルーツであり、生き物です。おいしいコーヒーを届けるには豆の鮮度・焙煎方法、・抽出方法にこだわって、お客様にもっとも美味しい豆のピークタイムに合わせて飲んでいただくことが大切です。私たちは、これらのミッションやこだわりを一切曲げるつもりはありません。品質や美味しさに徹底的にこだわっているからこそ、簡単に売り上げだけを追求するわけにはいかないのです。
またブルーボトルコーヒーはそれぞれの地域に合わせてコンセプトや店舗デザインが異なります。 2つ以上の店舗に来ていただいた方はおわかりだと思いますが、6店舗のデザインや雰囲気はすべて異なります。たとえば、今日お越しいただいた中目黒カフェは、『コーヒーを楽しむ人を育てる』というコンセプトのもと、トレーニングルームやワークショップスペースが併設された店舗になっており、イベントなどを積極的に行なっている店舗です。また、住宅地の中にあることもあり、近所に住んでいるお母さんたちがお子さんを送った後に集まる場所にもなっています。一方、青山カフェは観光スポットのようになっていて、日本人のお客様はもちろんのこと、ありがたいことに外国人観光客の方も多く訪れてくださっています。このように各店それぞれの地域に合わせた形で店舗展開をしているのです。だからこそ、それぞれのお客様や地域の皆様と一緒にブランドを創っていくことが大事だと私たちは考えています。ブランドを継続させるには、ブームで終わらせず、日本の各地域に根づく必要があり、そのためのコミュニティづくりや努力を欠かさないようにしています。
アメリカ本社との関係はどのようになっているのでしょうか?
ジェームスは、日米がお互いの良いところを認め合いながら、文化交流できたら嬉しいとよく言ってくれます。私も、お互いに刺激し合える関係になれたらと思っていますし、最近は実際に日本のチャレンジをアメリカに輸出する事例が出てきています。たとえば、日本の店舗デザインをアメリカの店舗に取り入れてもらったり、日本のアーティストを本社に紹介したり、バリスタのトレーニングプログラムを日本で開発して、アメリカ本社にも反映してもらったりしています。もちろん、アメリカから学ぶことも数多くあります。たとえば、彼らは地域とのコミュニティづくりを本当に大切にしていて、店舗スタッフが近所の皆さんと一緒に街を清掃したり、売り上げの一部を近隣のチャリティに寄付したりしているのです。こうした取り組みは、日本でも大いに参考になります。
ジェームスの想いを一緒に形にしてほしい
どのような方がブルーボトルコーヒーで活躍していますか?
もっとも大事なことは、ブルーボトルコーヒーのビジョンやブランドバリューへの共感・理解・興味です。面接の際にも、「なぜブルーボトルコーヒーで働きたいのですか?」とよく聞くようにしています。特にマネジャーレベルの方には、「ブルーボトルコーヒーの想いに共感するからこそ、ビジネスをこう変えたい」といった想いを一番に抱えてきていただきたいですし、短期的な利益が最優先でないことをよく理解していただきたいと思います。店頭スタッフの場合は、コーヒーへの愛を一番に見ています。コーヒー好きでバリスタ未経験の若手社員が、充実したトレーニングプログラムを利用しながら、スポンジのように知識を吸収して、ぐんぐん伸びていく姿を私は何度も見てきました。モチベーションさえ高ければ、どんどん成長していく印象があります。
それから、「自分は会社やビジネスを創る一員なのだ」という意識を持っている社員が活躍する傾向があり、今後は自走して働くことを楽しめる社員をもっと増やしていきたいと思っています。たとえば、現在はアメリカと同じエプロンを使っているのですが、それに物足りなさを感じる社員数人が、自発的に日本オリジナルのエプロンを開発している最中です。新たに社員になる方にも、ぜひこうしたことに楽しく取り組んでいただけたらと思います。言われたことをやっているだけでは満足できないくらいの方を歓迎しています。
今後の目標を教えてください。
簡単に店舗を増やさないとお話ししてきましたが、とはいえビジネス拡大は進めていきます。現在、首都圏以外にも関西などへの出店を企画しています。その場に馴染み、愛される店舗を一つひとつ大事に作っていきます。実はブルーボトルコーヒーはまだアメリカと日本にしかありません。他の国に出店するといったチャレンジも十分に考えられるでしょう。いずれにしても、ジェームスが創り上げてきたブランドバリューや想いを第一に考え続けながら、ブルーボトルコーヒーの文化を日本に根づかせていけたらと思います。