学生時代から夢は会社を経営すること
シック・ジャパン入社までのご経歴を教えてください。
学生時代、いずれは世界を相手にビジネスがしたい、ゆくゆくは会社を経営したいという夢をもっていました。大学1年生でサークルを立上げ4年間代表として活動、他には、大叔父の知恵を借り、近所の幼稚園の造園コンペに参加し、案件を受託し、アルバイトを雇い2~3年かけて造園工事をやり遂げるなどしてきました。おかげさまで色んな経験をすることができ、学費や生活費はすべて自分で稼いで賄うこともできました。
ソニーに入社したのは、世界を相手にビジネスするという夢をいち早く叶えられると思ったからです。念願どおり、海外部署に配属され、そこから20年以上、私はずっと海外勤務をしてきました。本当にすぐ夢が叶った。ソニーには大変感謝しています。
社会人になり最初の10年は、「社長になるための経験を積もう!」と強烈に思っていました。シンガポール、インドネシア、タイ、ユーゴスラビア、ドイツなどで経験を積みました。例えばタイでは、社長と営業担当者と私の3人で、ゼロから会社を立ち上げました。私は自ら申し出て、経営と営業以外の人事、経理、財務、総務、物流などをすべて担当し、会社の骨格作りの全工程に関わり、現地社員の採用も担いました。ソニーはそうやって若手にもどんどん任せる会社。私には本当にありがたい環境でした。
1989年、ベルリンの壁が崩壊した翌日、盛田会長(当時ソニー会長)は東欧に会社を作ると素早く決断し、現地法人を立ち上げる社員が公募されました。その当時、私はオーストラリアへの赴任が決まっていたんですが、この機会はぜひ掴みたいと思いさっと手を挙げ、急遽ユーゴスラビア担当に任命してもらえることになりました。しかし、行ってほどなく内戦が勃発し、計画は頓挫。私はいったんドイツに移り、東欧地域を担当するポジションに就きました。あるとき、大賀社長(当時ソニー社長)のハンガリー訪問時、アテンドをさせていただいた私は、お時間をいただき、ハンガリーに会社を作るべきだという提案をしました。そうしたら、それが経営会議を通り、大賀社長が私を現地法人の社長に推してくださり、私は31歳でソニーハンガリーの社長となることになりました。
ソニーハンガリーは驚くほどうまくいきました。計画通りに売上を高め、瞬く間にシェア1位となれました。その大きな要因は、中期経営計画を立てる際に、どのくらい売れそうかをお客様から詳しくヒアリングしたから。そこから逆算して会社の規模や予算などを決めていったことが功を奏しました。その後、ソニーの工場もハンガリーに誘致して、ソニーハンガリーは社内で重要な存在になりました。
その後、私は問題が起きていたソニーサウジアラビアの社長に就任。その火消しが終わり、サウジを離れようとした頃、ハンガリーの経営が悪化したとニュースを耳にしました。あれほどうまくいっていたのに、そんなはずがない。にわかには信じられませんでしたが、ハンガリーのビジネスは本当に下り坂を転がっていたんです。なぜそんなことが起こったのか、悩み考えました。その時、一番の要因は、私のマネジメントスタイルにあったのではと悟ったのです。当時の私は、自分ですべてを決め、現地メンバーたちに答えを教えるマネジメントをしていました。そのため、彼らは失敗する経験、失敗から立ち上がり学び、自ら次なる打ち手を考え取組む経験を積めず、ソニーハンガリーが低迷し始めた際に力を発揮できなかったのではないか。もっと彼らのやりたいように動いてもらうべきだった。もっと自主性を育み、自分たちだけでもやっていける体制を築くべきだった。私はいまだに後悔しています。それ以降、私は事業を成功させるためにも、部下育成を第一に考えるようになりました。
次に、ソニーメキシコの社長となりました。そこで私は、商品企画に目覚めました。例えば、メキシコでは多くの家が日常的に、大音量で音楽をかけてパーティーを開くんですね。そんな彼らのために大型スピーカー付きのオーディオシステムを作ったところ、飛ぶように売れました。テレビにも大きなスピーカーをつけたら、これも大ヒット。こうやって自分たちで新商品を開発・販売することは、社員のモチベーション向上にもつながりました。加えて、社員全員で企業ビジョンを作り、それを全員で実行していったら、4年後にはメキシコ政府に認められ、日本の会社で初めて経営品質賞を頂くまでなったんです。これが、私の海外法人社長としての集大成です。
その後、私は約20年ぶりに日本で働き、全世界のコンスーマーエレクトロニクス部門のトランスフォーメーションを指揮しました。それが一段落した後、私はソニーを離れることを決断。リコーに移籍して、カメラ部門の営業・マーケティング・商品企画などを統括するポジションに就きました。移籍の決め手は、商品企画をさせてもらえたからです。私はメキシコで、すっかり商品企画の魅力のとりこになりました。リコーでは、8週間にわたって国内市場でトップの売上を叩き出すヒット商品の開発に成功。無事に事業再生に貢献し、ビジネスを好循環の軌道に乗せることができました。
しかし困ったことに、カメラ製品は新製品開発の足が長い。もっと短いスパンで勝負したいという想いが強まって、2015年にデアゴスティーニ・ジャパンの社長となりました。デアゴスティーニでは、毎年20もの商品を生み出し続けています。実際に毎日、誰もが商品とマーケティングのことばかり考えていました。そこでの3年は楽しかった。彼らとは今も仲良くしています。
そして、2018年にシック・ジャパンの代表取締役に就任しました。私はこれまで、FMCGをまったく経験してきませんでした。もちろんそれは不安でしたが、「新戦略を描いてほしいのだから、門外漢でかまわない」と背中を押され、入社を決めました。
日本独自の新製品・新サービス・新コミュニケーションの開発
シック・ジャパンはどのような会社ですか?
いくつもの意味で「恵まれた会社」だと感じています。第一に、「人材」に恵まれています。この会社には、頼りになるプロが揃っている。本当に心強いです。第二に、「商品」に恵まれています。クレームが極めて少ない、優れた商品ばかりです。第三に、「ビジネスチャンス」に恵まれています。私たちは、男性用替刃式カミソリで50%のシェア、女性用替刃式カミソリでは75%のシェアを占めています。ですから、多くのお客様が、私たちの言葉に耳を傾けてくださる。提案のチャンスが豊富にあります。最後に、「グローバルでの立場」も恵まれています。実は、シック・ジャパンは、グローバルのグループ内で第2位の売上で、ですから、本社の期待値も大きく、発言権もあるわけです。
なお、日本では知名度の高い「Schickシック」を全面に押し出していますが、私たちは、エッジウェルパーソナルケア・グローバル・ネットワークの一員です。エッジウェルパーソナルケア(Edgewell Personal Care Company)は、北米、日本を始めとして、中南米、アジア、オセアニア、ヨーロッパ、中東、アフリカなど、全世界で50ヵ国以上の市場でグローバルにビジネスを展開しています。大手消費財業界におけるリーダーとしてカミソリやシェービング剤、スキンケア用品、日焼け止めなどの女性用ケア用品、おむつやウェットティッシュなど乳児用ケア商品などのトイレタリー製品など、多くの信頼され、愛されるブランドを提供しています。
シック・ジャパンの強みはどこにありますか?
1つ目は「提案力」です。私たちは、多くの小売店のお客様に対して、毎期のシェービング分野の棚割り提案を行っています。先ほどお伝えしたとおり、私たちの替刃式カミソリは圧倒的なシェアを誇っています。だからこそ、多くのお客様が私たちの提案に耳を傾けてくださる。私たちは、そのチャンスを最大限に活かしているのです。
ただし、私たちの棚割り提案の目的は、あくまでも「お客様の売上を高めること」にあり、自分たちの売上向上はその次です。分析チームと営業チームがタッグを組んで、お客様の売上を最大化する棚を本気で作っています。それがお客様のためになると思ったら、他社製品を良いところに置く提案も当たり前のようにやります。もし、私たちの売上を優先して、お客様の売上を下げるような棚をつくってしまったら、次年度から、お客様は私たちの提案を却下されるでしょう。だからこそ、私たちはお客様の売上アップに全力を尽くします。それが実現できたときの達成感はたまらない、と誰もが言います。
2つ目は「関係性」です。シック・ジャパンは約60年にわたって日本でビジネスを展開してきましたが、その間、一貫して卸の皆さんとのパートナーシップを重視してきました。そのこともあって、卸の皆さんから圧倒的な支持を受けています。
そして、3つ目は「技術」ですね。シックの製品品質の高さ、新製品の優位性は素晴らしい。この点は社長として、本当に信頼しています。実は、日本ではまだあまり知られていませんが、シックはブルドッグ(Bulldog Skincare)やジャックブラック(JACK BLACK)といった優れた男性用スキンケア製品も持っています。私たちはこれから、これらを日本でより本格展開してく予定です。
社長にご就任されてから取り組まれていることを教えてください。
1つ目に「日本独自の新製品・新サービス・新コミュニケーションの開発」に取り組んでいます。やはり私は、ぜひ新製品を開発したいと思っています。これまではグローバル発の製品を扱ってきたのですが、今後は日本独自の製品も開発したい。先ほどもお話したように、シック・ジャパンはグローバルからの期待値も大きく、日本市場を捉えた独自の動きもしやすい環境です。その利点を活用し、製品開発、併せて、新サービスの開発にも力を入れています。主力のシェービングに加え、スキンケアを強化しカテゴリーを広げていき、グルーミングカンパニーになっていきたいと思っています。
例えば、アフターケアの大切さを伝えるサービス展開。髭剃りは人から教わる機会も少なく、自己流の場合が多い。また、日本のユーザーの皆さんは、ご自身の肌質・髭の質に最適なカミソリやシェービング剤を使っていないケース、アフターケアの重要性をご存じないケースも多い。こうしたことを伝えるサービスを、商品とセットにして、新しいコミュニケーション手法を取り入れて展開し、そして、日本から髭剃りの悩みを減らしていくのも、私たちの重要な使命の1つだと考えています。
2つ目に、「ジョブディスクリプションを超えたチャレンジ」を社員に奨励しています。例えば先日、商品開発会議の場に、営業事務の社員にも加わってもらいました。なぜかというと、彼女があるとき、「こういう商品があったらいいと思います」と、私にこっそりメールしてきたからです。控えめな彼女の背中を押して、商品開発会議に誘いました。私は今、このようにして、他部署や他業務にも積極的に顔や口を出してください、と社員にお願いしています。営業部のベテラン社員にはマーケティング部の若手を指導してもらいたいですし、逆にマーケティング部が営業部に口を出すこともあっていいと思っています。
私がなぜこうしたことを奨励するかと言えば、それが「飛躍のチャンス」になるからです。私の例で言えば、ソニーハンガリーに工場を誘致することは、ジョブディスクリプションに書かれていなかったことです。しかし、それを実行したおかげで、私は工場に詳しくなった。その知見は、その後の経営にも新製品開発にもおおいに役立っています。言い換えれば、いろんなことを経験したから、今の私があります。もちろん、スペシャリストとして熟達することにも大きな価値があります。しかし、1つの分野に熟達するためにも他分野の経験や知識が活きますし、これからの時代は多様な知識を活かし新しく産み出していくことが求められます。私は社員の皆さんに、会社を飛躍の場にしてもらいたい。そのためには、ジョブディスクリプションを超えたチャレンジが極めて有効となるのです。
社員のみんなに会社を飛躍の場にしてもらいたい
どのような方に仲間になっていただきたいですか?
第一に、お客様に喜んでいただくことにやりがいを感じる方ですね。そのために、部署やジョブディスクリプションの垣根を超えて、仲間を巻き込み、物事を前に進めていける方が次々に現れてくれたら、これほど嬉しいことはありません。もう少し欲を言えば、プロデューサーのようにシナリオを書き、周囲を上手に動かせる方に来ていただけたら最高ですね。なお、財務や経理といった間接部門でも、お客様への貢献に力を向けていただけたらと思います。少なくとも、お客様に貢献することにワクワクする方に来ていただきたい。
例えば先日、私たちは新設のチャネルリーダーというポジションを社内公募しました。選ばれた社員たちは今、自分たちのもともとの仕事に加えて、各チャネルの戦略を自ら企画し、周囲を巻き込んで推進しています。自ら手を挙げ、創り出していくことに面白みを感じる方、こうしたことにチャレンジしたい方に来ていただけたら、と願っています。
また一方で、私たちは「キャラクターの多様性」を大切にしています。私は思ったことをすぐ口に出すほうですが、中には考え尽くしてから話す性格の方もいる。どちらがいいというわけではありません。いろんなキャラクターの人がいるのが自然なことです。大事なのは、全員が全員のキャラクターを理解し、その人に合った活躍の場を用意することです。先ほど、営業事務の社員に商品開発会議に参加してもらったエピソードを話しましたが、慎重なタイプの社員に対しては、私はそうした働きかけをよくしています。もちろん、最終的に手を挙げるのは本人なんですが、粘り強く背中を押すのは私の役割だと思っています。
私は最近、自分の成長よりも社員の成長のほうがずっと嬉しいんです。全員、少しずつ変わっています。それを見るのが何よりも楽しいんですね。会社の変化は、社員全員の変化の掛け算にほかなりません。みんなが変わるほど、会社はより遠くに進んでいけるのです。だからこそ、みんなに変わっていってもらいたい。成長していってもらいたい。思い描くキャリアを築いていってもらいたい。弊社にはその環境があります。あなたの参画をお待ちしています。