弱冠28歳でスタートアップのCEOに
職務プロフィールを教えてください。
大学では商学部でしたが、中でもビジネスコミュニケーションを専攻に選び、アメリカのサマースクールに通ったり、1年間アメリカに留学したりして英語を鍛えました。外資系クライアントが多いPR会社に新卒で入社したのは、そうした背景からです。配属先は、上司を含めて周囲はバイリンガルばかり。なかには4カ国語を使いこなす先輩もいて、ショックを受けたのを覚えています。私の英語は当然ながらビジネスレベルに達しておらず、今となっては良い経験でしたが、最初のうちは本当にいろいろと大変でした。
PRとは、クライアントとメディアのかけ橋となって、ニュース材料を準備したり、記事の見え方をうまく考えたりして、記者の方々に情報を提供する仕事です。新卒で入社したこともあり、PRだけでなく、社会人としての基本姿勢や、本当に色々なことを学ばせて頂きました。しかし、当時は将来的にコーポレートコミュニケーションを手がけたいと考えており、そのために必要なIR知識を磨くため、ほどなくして外資系IRコンサルティング会社に営業として転職しました。営業部の日本人は私だけで、あとは全員外国人という職場でしたが、前職のおかげもあって、ビジネス英語が日常的に飛び交う環境でも楽しく働くことができました。また、専門知識が問われるIRに若くして関われたのは良い経験でした。しかし、リーマンショックの影響から転職を余儀なくされました。
そこで次の働き先として選んだのが、ロモジャパンというカメラメーカーでした。
なぜカメラメーカーに転職したのですか?
ロモグラフィー・ソサエティ・インターナショナル(ロモ)は、ソビエト製のロモLC-Aというカメラに惹かれたオーストリアの学生が主体となって生まれた会社です。今もフィルムカメラやレンズなどを作り続けており、クリエイティブで実験的なアナログ写真に情熱を燃やす世界規模のコミュニティ「ロモグラフィー」を展開しています。日本では2000年にロモジャパンを設立し、ビジネスを開始しました。
実は私は、学生時代にロモのカメラを知り、ロンドンで購入して、自分の撮った写真をロモグラフィーに投稿していたのです。そのコミュニティで直接スカウトを受けました。職種はオンラインマーケティングを行うWebディレクター。オンラインマーケティングという仕事内容とスタートアップで型にはまらず、自分で次々に提案していける環境に可能性を感じて、入社を決めました。
入社時はWebサイトがプログラム言語で記述されていることすら知らないほど、Webのことをわかっていなかったので、まず半年かけて知識をキャッチアップしました。最初は新聞記事や広告と違って、オンラインマーケティングだと精緻にトラフィック数がわかるということに感動を覚えました。その後、半年ほど手探りでトライ&エラーを繰り返し、ストアへの集客やコミュニティの拡大を図っていきました。ストアを立ち上げたばかりということもあり、ビジネスは順調に立ち上がっていきました。
そのよう状況で、もう少しビジネス寄りのポジションでチャレンジしたいと思い始めたところに、本社から「日本の代表をやってみないか」と声をかけられたのです。喜んでその申し出を受けました。2009年、私は28歳でCEO(日本支社長)となりました。
CEOはいかがでしたか?
やりがいと責任の重さの両方を実感した日々でした。私が特に注力したのは、利益率の向上とチームづくりです。利益率の向上に関しては、ストアやオンラインによる直販にそれまで以上に注力することで達成していきました。ストアを駅から離れた路地裏から明治通り沿いに移転して、注目度を上げるとともに、イベントを頻繁に行ってコミュニティの拡大を図っていきました。コアなファンと深くつながることが、直販の増加と利益率の上昇につながったのです。チーム作りの面では、特にストアスタッフのケアに力を入れました。スタッフの定着率を上げるには、そこで働く価値を十分に感じていただく必要があります。そこで私は、ストアスタッフは必ずコミュニティのなかから採用し、ロモグラフィーの世界観を共有することに喜びを感じるファンの方々に働いていただくようにしました。彼らには、イベントやコミュニティにも積極的に関わっていただきました。
ロモジャパンは順調に成長を遂げていきましたが、ニッチな商材ですから、ある時点で拡大が難しくなりました。ビジネスフェーズが拡大から維持へ移るタイミングで私はCEOを退任し、後進に譲りました。そして、新たなチャレンジとしてフランスに渡り、リヨンにあるEMLYON経営大学院のMBAプログラムに通ったのです。自己流で行ってきた自分の経営が、世界でどの程度通用するのかを知りたかったからです。
EMLYON経営大学院のMBAプログラムは世界的に認められており、アントレプレナーシップをテーマにしています。30名と少数ながら、多様性を重視して世界24カ国から学生が集まっていました。ケーススタディを読み込んで、自分の意見を加えて要約し、さまざまな才能が集まるなかで対話に入っていくのは大変でしたが、3年以上のCEO経験をもつのは私だけで、日本のケースを語れるのも私ともう一人の日本人だけだと気づいたら、自然と話せるようになりました。日々のディスカッションと9カ月のコンサルティングプロジェクトを経て、自分の経営手法がそれなりに通用することがわかり、自信が得られた貴重な時間でした。
世界初のダイソン旗艦店を日本で立ち上げた
なぜ転職先にダイソンを選んだのですか?
結論から言えば、イノベーションドリブンで、自分が扱っていてテンションの上がる手にとれる商材があり、新規事業に携わることができたからです。
イノベーションに惹かれたのは、フランスでの経験があったからです。MBAプログラムのケーススタディで特に興味深かったのは、ラグジュアリーブランドでした。フランスのラグジュアリーブランド各社は、すべて歴史が築き上げたものです。あの歴史に対抗できるのは、イノベーションしかないと感じました。実際、現代では、イノベーションドリブンでなくてはブランドの認知度を急速に上げていくのは難しい。その点、ダイソンはテクノロジーを大事にしており、イノベーティブな商材をズラリと揃えた魅力的な会社でした。イノベーションフォーカスという点で、世界にこれ以上の会社を探すのはなかなか難しいと思いました。それに、僕自身がダイソン製品を気に入っており、扱ってみたいと感じていました。
その上で決め手になったのは、新規事業に携わることができた点です。私のポジションに与えられたミッションは、世界初の旗艦店を立ち上げて、そのビジネスを軌道に乗せ拡大し、店舗で得たノウハウを世界に広めていくというもの。ダイソン全体のビジネスに中長期的に貢献できるチャレンジングな役割で、ロモジャパンでのCEO経験を十分に活かすことができると思い、新たな仕事場としてダイソンを選びました。
世界初の旗艦店の立ち上げについて詳しく聞かせてください。
私は2015年1月に入社し、4月にはDyson Demo表参道をオープンしました。準備期間はたった3カ月。その間に、イギリスに渡って本国担当者と詳細を詰め、自らスタッフ研修を受け、帰国後一気にストアスタッフの採用面接を進めました。スタッフの半分は経験者にして、半分は外国人の方や異業種からの転職者などの多様性を重視した採用を行いました。さまざまなお客様に対応し、いくつものイベントを開催するには、スタッフの多様性が欠かせないからです。
並行して、本国と話し合いながら、旗艦店の商品の見せ方や販売方法のコアを構築していきました。たとえば、私たちの旗艦店はすべて黒壁で統一されており、スタッフが着るのは白シャツと決まっています。また、店内レイアウトは完全にシンメトリーで配置されており、ライティングもミリ単位で調整しています。空間を贅沢に使い、店舗内に余白をつくることで、ラグジュアリー感の演出にも努めています。また、その地域で最も清潔な店舗を目指すことを当たり前の姿勢としています。こうしたことをすべて一から決めていったのです。
なかでも、旗艦店が最も重視するのは売上よりも「体験」だと定めたのは大きな決断でした。一つのフロアに全領域のダイソン製品を揃え、できるだけ多くのお客様に、できるだけ多くの製品を体験していただくことをストアの一番の目的としたのです。もちろん、表参道店で買っていただくのは嬉しいことですが、私たちとしては、近くの家電量販店で買っていただいても、ECサイトで買っていただいてもかまわないと考えています。むしろ旗艦店ができることで、近くの家電量販店の売上も伸びるのがベストな関係だと考えています。
ストアでお客様に製品を体験していただくと、お客様がどういった感想を持ったのか、どういった情報を求めているのか、どういったキャンペーンが好まれるのかといったさまざまなことがわかります。そうした情報を集め、各部署に共有するのは旗艦店の重要な役割の一つです。たとえば、Dyson Supersonic™ヘアードライヤーは、Dyson Demo表参道が世界で最も早く製品を発売し、お客様の声をいち早く集める役割を担いました。私たちが集めた情報が、世界での販売戦略などを左右していったのです。
もう一つ、旗艦店が注力しているのは「問題解決」です。ダイソンは、お客様の不満を解消し、お客様の課題や問題を解決することを一貫して重視する会社です。当然、ストアでも、お客様の問題解決を目指す姿勢を大切にしています。たとえば先日、ハウスダストアレルギーなので空気清浄機を探しているとストアを訪れたお客様がいらっしゃいました。詳しく伺うと、鼻が一番ムズムズするのは寝るときだおっしゃるのです。「それならきっと布団掃除も可能なハンディクリーナーが効果的だと思います」とお勧めしたところ、両方を購入してくださいました。数週間後、そのお客様が再び来店し、「布団に溜まっていたゴミの多さに驚いた!」とわざわざ伝えてくださいました。私たちはこうした提案をいつも心がけています。
日本のチャレンジがベースとなって、2016年7月、ついにロンドン・オックスフォードにグローバルフラッグシップストアが開店しました。店内デザインやレイアウトなどは、ほぼDyson Demo表参道と同じです。また、接客などの点でも私たちのラーニングが詰まったストアになっています。今後、世界中で次々に旗艦店が立ち上がっていく予定ですが、その原点に表参道店があるのです。日々、イノベーティブな体験ができる職場だと感じています。
次のチャレンジについても教えてください。
日本で次にチャレンジを進めているのは、直営店舗の拡大です。手始めに、2016年12月から3カ月間、岐阜県土岐市で「Dysonポップアップ土岐」を開いています。名古屋から自動車でも電車でも1時間足らずの「土岐プレミアムアウトレット」内にあり、名古屋・岐阜・長野などのお客様を広く受け入れられる立地です。おかげさまで想定以上の来店があって、スタッフたちは嬉しい悲鳴を上げています。今後、こうしたポップアップストアやDyson Demo表参道のような路面店を次々に展開することで、ターゲット地域で効果的にプレゼンスを上げていけるでしょう。
また、旗艦店・ポップアップストアでのイベントに、今後一層力を入れていきたいと考えています。さまざまな切り口でお客様を集め、製品を体験していただくことができるからです。たとえば先日は、ワンちゃんオーナーの皆さんを対象にしたイベントを開催し、ドッグトレーナーの方を講師にお呼びして、ワンちゃんが怖がらない掃除機の使い方やグルーミングツールの使い方などを教えていただきました。季節感などを考慮しながら、今後も楽しく学べるイベントを企画していく予定です。
自分のチャレンジ成果を世界に広めたい方へ
どのような方を仲間に求めていますか。
ストアスタッフについては、何よりもチャレンジ精神とチームワークのある方を求めています。ストアはまだまだ未完成で、不確定な部分がいくつもあります。たとえば現在、何を基準にしてポップアップストアを出店していくかを話し合っている最中ですし、ストアの特徴に合わせて接客をどのように変えていくか、イベントのバリエーションのどのようにつくっていくかなど、考えなくてはならない点がいくつもあります。こうしたことを一緒に考え、行動し、進んでいける方が嬉しいです。
ダイソンの直営店舗では、スタッフが主体的にイベントを企画し、接客法を編み出し、より良い店舗にするにはどうしたらよいかを考えています。同時に、彼らはダイソンの世界観を体現し、お客様にダイソンの思想を熱く語り、レイアウトの数ミリのズレに気づきます。こうしたスタッフの一員になっていただきたいのです。拡大期だけに機会はたくさんありますし、裁量権も大きな会社です。チャレンジしたい方には、きっと居心地が良いと思います。
一方で、私たちはチームワークも大事にしています。私たちのストアには個人の目標が一切ありません。あるのはチーム全体でのKPIだけです。それが、皆で一丸となって向かっていく上でベストだと考えているからです。先日のDysonポップアップ土岐のオープン日に、たまたま休みだった4名のスタッフが何も言わずに東京からサポートに駆けつけてくれました。マネージャーとして大変嬉しい出来事でした。この一体感を今後も大事にしていきたいと思っています。
最後に、読者へメッセージをお願いします。
「新商品が出たら、とりあえずダイソンの直営店に行こう!」と多くの方に言われるくらい、ダイソンストアのポジションを上げていきたいと考えています。新たな仲間になる方には、世界初の取り組みの中心メンバーとして、その影響力の大きさを肌で感じながら、楽しく働いていただけたらと思っています。ご応募をお待ちしています。
北川卓司氏 プロフィール
大学卒業後、2004年にPR会社コスモ・ピーアール(現:コスモ)に入社。その後、IRコンサルティング会社を経て、2008年、ロモジャパンにWebディレクターとして入社。2009年から2013年までCEOを務める。2013年、CEOを退任し、フランスのEMLYON経営大学院でMBAを取得。2015年1月から現職。