本物の中身を持った人間に成長していく
日本アイ・ビー・エムにご入社されるまでのご経験を教えて下さい。
今の経験の始まりは、伯父が経営する会社で、アルバイトとしてコンピューターのシステム開発の仕事に携わったことです。テレビ局のコマーシャルに関わるシステムをつくっていました。たとえば生放送の野球番組などはCMが入るタイミングが絶妙ですよね。これはCMバンクなるものを準備し、所定のボタンを押すと3秒後にCMが流れる仕組みだったのですが、当時はそういうシステムをつくっていました。最初は軽い気持ちでやっていたのですが、だんだん面白みが増してきましたね。その頃は80年代前半で、日本においてパーソナルコンピューターの黎明期と言われる時代でした。そんな時代に、革新的な事業に取り組む伯父を尊敬し、将来的に会社を継ぐ心づもりで、伯父の薦めで三菱電機東部コンピュータシステム(当時)に就職しました。
SE職として約5年半、どのような仕事に取り組みましたか。
就職してから最初に携わったのは、POS(ポイント・オブ・セールス)システムです。店頭レジでバーコードを通すだけで、売れ筋が分かる、計算ミスがない、コストを抑えられる、といった便利なシステムです。今は当たり前になりましたが、当時はまったく知られていませんでした。北海道・釧路にある生活協同組合で実験的に取り入れてもらったのをきっかけに、全国のスーパーマーケットやレストランなど、流通業界のありとあらゆるところにPOSのニーズが出てきましたね。若いメンバーで制約もなく、その店舗によって購買客の動線までも考えながらシステムを1から導入していきます。時に失敗もありますが、POSが入るとお客様に喜ばれる、売り上げも上がる、そこで更によいものを、ということでテクノロジーがどんどん進化するから、私たちができることもどんどん変わっていく…、それが楽しくて、楽しくて、1週間家に帰らないことも日常茶飯事でした。ビジネスを学ぶうえで、とても為になった仕事でした。
何故転職を考えられたのでしょうか。
営業だと夢が売れる―、こう思ったのがきっかけです。SEの仕事もとても楽しかったのですが、ビジネスを伸ばそうとすると、人的パワーを投入するしかない。人数と単価の計算式です。そんな時に、ある方と話をする機会がありました。その方は営業職についていて、いつもご馳走してくれるので、「なぜ、そんなに気前がいいのですか?」と尋ねたところ、「俺は2年に1度しか契約をもらわないけれど、契約を取るときは数百億だ」と言うのです。ビジネスをデザインすると、でっかい商売ができる―、衝撃的な気付きでした。入社5年目で道を変えるなら今だと、周囲の人ともじっくり話をして転職する決意を固めたのです。
日本アイ・ビー・エムを選ばれた理由を教えてください。
入社の理由は、コンピューター業界においてIBMはガリバー的存在の開発会社であり、製品やサービスに対してプライドを持って営業できることです。転職後の担当領域も流通業界でしたので、POSシステムでSEの仕事をしていた経験も活かせて仕事自体にあまり違和感はありませんでした。が、目的意識は違っていました。エンジニアはそこにタスクがあり、期日までにいかに質のよい仕事をするかですが、営業は売上の数字を取りにいく使命があります。競争相手も多く、お客様からは価格交渉が入ります。自らが切磋琢磨していくしかない。だからといって人を蹴落とすのではない。私は常に「嘘をつくな、虚勢をはるな、人様に迷惑をかけるな」を訓示としていました。私の営業人生のベースだと思っているし、社会人の基礎でもあります。これは「分からないから教えてください」と言える勇気を持つこと、そして、本物の中身を持った人間に成長してゆけということです。プライドを持って営業すると申しましたが、それが余計なプライドになったら営業なんてできません。エンジニアやって、夢を追いかけて営業に転換して、何とかがんばって30代でIBMの部長になって、その後もチャレンジの連続です。局面が変わっても、そこでダメな自分の姿をきちんと理解して一歩一歩上がっていけば何とかなる。精神的にへこたれることもありますが、お気楽な性格なものですからチャレンジし続けられています(笑)。
よりフロンティアな技術で新しい市場を創造
入社13年目に、アジアパシフィック(AP)地域における海外営業を任されたと伺いましたが、いかがでしたでしょうか。
IBMでグローバルカンパニーの中核に入り、グローバルなオペレーションの一端を担う経験をさせてもらいました。サラリーマン人生における大転機でしたね。初めてAPの本館に入った時は、「俺、このビルで一番英語がしゃべれない」と、仕事も生活も一変。POS部門のアジアの責任者として、いかにアジアに投資を持っていくか、アジアの地位を上げるかに情熱を傾けました。
着任した1年目は、もうクビになるかと思うくらい最低のパフォーマンスでしたが、2年目はV字回復で2ケタ成長をたたき出しました。
英語も日本語も、詰まるところコミュニケーション能力なのです。私のモットーはコミュニケーション&コミュニケーション&コミュニケーション。日本がAPのヘッドクオーターでしたから、各国の責任者に共通メッセージを発しなければなりません。現地に赴き、顔を合わせて自分の意思や意欲を示し、対等に話すことで意志疎通を行いました。
とにかく海外出張が多く、着任から23カ月間で、25回、国外をまわっていました。アメリカのヘッドクオーターを行き来し、経費を抑えるためラウンドトリップでアジア各国中のチェーンストアを巡るなど、ずいぶんと動きました。自分の世界地図が、日本から欧米中心へ変わっていったのもこの頃です。日本法人の社員の一員として、どうやって他国のメンバーのサポートが得られるか、そんな視点で物事を見られるようになり、より現実主義になりましたし、その後の仕事の幅も広がっていきました。
IBMが目指すこと、IBMだからできることは何ですか。
IBMはノーベル賞受賞者を何人も輩出する、唯一無二の企業です。コンピューター・テクノロジーを牽引してきた歴史からみても、その根幹となるものは基礎技術に裏打ちされた事業です。時流に沿った小手先の技術だけでビジネスしようというものではありません。5年後、10年後を未来予測したビジネスに焦点を当て、創造的な事業から利益を生み出し、株主に貢献することを目指す企業だと理解しています。したがって、既存の市場で売上規模を拡大する志向より、よりフロンティアな技術でもって新しい市場を創造し、製品化のレベルにまで浸透すると、今後は事業売却や事業譲渡を行い、その資金でまた新しい研究開発をスタートさせていく。その繰り返しです。現在のCEOは『コングニティブ・コンピューティング・システム(Cognitive Computing System)※1』という言い方をしていますが、今はまさにIoTの分野に目を向けています。Cloud技術やナレッジベース(人口知能)を使って、ビッグデータをより活用し企業や産業の発展につなげていく。そこで対価を得ようといったイメージでしょうか。
※1 IBMで開発した質問応答システム・意思決定支援システム「ワトソン」※2(人工知能)を定義する言葉。
※2 自然言語を理解・学習し人間の意思決定を支援するシステム。2011年に米国の人気クイズ番組『ジェバディ!』本対戦で人間に勝利し賞金100万ドルを獲得しニュースになった。医療やオンラインのヘルプデスク、コールセンターなどで活用されている。
システムインテグレーションの先駆者として、新たな保守の領域へ。
GTSの役割を教えてください。
GTS(グローバル・テクノロジー・サービス)はITインフラストラクチャーに関するサービスを全部行っています。先ほどのIoTの例で言うと、アナリスティックな面より、材質やセキュリティ、補修や回収など、製品としてのライフサイクルを見ていく部門です。大きくは、インフラ構築の部隊、運用部隊、そしてテクノロジーサポート部隊があり、私たちはサポート部隊を任されていますが、ハードもソフトも含めて、トータルソリューションでサービスを提供するのが仕事です。IBMの強さは、こうした取り組みを脈々とやっているところですが、実は日本におけるIBMビジネスのスタートは保守部隊が始まりなのです。世界的陶磁器メーカーの製品がアメリカで爆発的に売れた時、事務処理のために導入した統計機の保守事業がその起こりでした。ですから、保守の全国網が整えられており、72カ所の技術屋、30カ所のパーツセンターが設置され、ヘルプデスクのコールセンターも構築されています。そして、世界中のネットワークでリモート部隊がすぐに動くなど、IBMの英知が集結されたバックアップサポートを24時間体制で受けられるようになっています。この盤石な基盤があることに、本当に自信を持っていますね。最近は、お客様にカスタマイズした保守サービスを提供できるまでになりました。幸いなことにIBMは、汎用機、パソコン、プリンター、POSSシステムなど、産業の革新的局面で活用された製品のほとんどを取り扱ってきました。自社他社の製品に関わらず、お客様のニーズに合わせたワンストップの保守が可能です。これまで築き上げてきた土台にプラスオンした保守を行うことで効率性を高め、お客様にメリットを感じていただける機会も多くなってきました。これだけITインフラが他社製品の混在する複雑なものになってくると、保守でトータルサービスを行うといった領域はますます重要視されるようになるでしょう。私はこのタイミングで新たなIBMの存在感が示せると思っていますし、そうしていきたいですね。
IBMで活躍できる方の人物像を教えてください。
発想力と行動力、そして柔軟力を持っている人です。私としては、サービスエリアを拡大するうえでアイデアを持つ人を求めていますが、数年後のことは誰にも分からないです。ですから、あえてゴールを置く必要はないと思っていて、常に世間を見ながら自分で考え、どんな新しいフィールドが広がっているだろう、とワクワクしながら仕事ができる方、会社の挑戦とともに自らの可能性を広げ方とお会いしたいですね。
また、懐が広い会社ですから、いろいろなタイプの人が活躍できます。IT系はもちろん、デバイスのメーカーや商社、そうした所で一生懸命働いてきた人の知見が欲しいですね。今、新しい領域を創造しながらチャレンジしていく企業なので、そういうモチベーションを高めて一緒に仕事ができる人で、1つの目標を達成したら同じ場所にとどまらず、次のチャレンジに挑む気持ちがあれば、新卒や中途に関わらずチャンスの多い環境だと思います。
とはいえ、結局は人間性です。プレゼンテーションはうまいけれど、相手がやってほしいことをヒアリングできていなければ意味がありません。特に営業においては、お客様の優先順位をしっかりとキャッチするのが先決です。そして、お客様が当たり前だと思って最初から無理とあきらめていたことを、本当にできないのか、変えられないのか、と突き詰めて考え、お客様が気づかなかったものを提案できる人は、きっと充実した仕事に取り組めるでしょう。
渡邉 宗行 氏プロフィール
中央大学商学部卒。三菱電機東部コンピュータシステム(現MDIS:三菱電機インフォメーションシステムズ株式会社)のSE職を経て、日本IBMに入社。営業担当として流通業界大手企業などを担当、99年?ストア・ソリューション営業部長に昇進。2001年?AP (アジアパシフィック)Retail Store Solutions担当。03年?流通Finance&Sales Operations 担当、05年?SW事業、流通・小売事業、MD&GB事業、ITS SPGセールス事業などの部長職を歴任。12年?理事GTSバリュークリエーション・オファリングマネジメント、理事ITSエンタープライズセールス&営業開発、14年?執行役員としてITS事業部長、GTSサービスライン、現在はTSS事業統括を務める。