「30歳、地方での挑戦が芽生えさせた “経営者” という意識」

西川さんにお会いする前に、これまでの色々な記事を拝見して印象的だったのが、「いずれ自分は経営者になるだろう」と自然に思っていたという言葉です。これはどういうきっかけから芽生えた感覚だったのでしょうか?
西川:一番大きかったのは、ちょうど30歳のときに経験した地方への転勤ですね。当時、私はIBMに在籍していたのですが、その時に四国の高松に配属されたのです。営業部隊の中では自分が一番若く、当時はまだプレイヤーとしての色が強かったのですが、実はその拠点は業績的にも組織的にも少し苦戦している状況でした。そのため、現場だけでなく本社とも連携して、組織の見直しにも関わることになりました。具体的には、人員の入れ替えや役割の再定義など、営業の枠を超えた判断を任されるようになっていったのです。
それは30歳という年齢ではかなり大きな責任ですね。
西川:まさにそうでした。ただ、現場の最前線で起きている課題に対して、自分が動くことで少しずつ結果が出てきたことが、非常に大きな自信にもなりました。「ああ、自分はこういうふうに組織を動かし、変えていく立場になるのだな」と、自然に思えるようになったのです。それが、経営というものを意識し始めた原点だったと思います。
地方勤務を経て、リーダーシップや自己認識に変化はありましたか?
西川:当時、自分でゴールを決めて部門をつくるような立ち上げもしていて、それを10年続く形にまで仕上げることができたのです。私は2年で異動しましたが、自分でゴールを定めて変革を進められる人はそう多くないのだなと、ふと実感しました。ある先輩にも「自分で目標を設定できる人間は本当に少ない」と言われたことがあって、それが印象に残っています。もし、自分にそれを担える力があるのなら、単に自分のためではなく、社会や組織のために活かすべきだという気持ちが強くなりました。自分にはそういう使命があるのだと。
少し遡り、学生時代からそのような意識はあったのでしょうか?
西川:大学では経営工学を専攻しましたが、最初から強い動機があったというよりも、自然とその道に進んだという感じです。理系が得意だったこともありましたし、自分の特性を活かせる場がそこだと、直感的に感じていたのかもしれません。
「 “自分の島”と感じた四国での営業再建」
大学院卒で理系出身、IBMにおける営業職は想定外だったと思いますが、いま振り返って営業に進んで良かったと感じますか?
西川:本当にそう思いますね。若い頃はとにかく勢いで、お客様に対しても遠慮なく「こうするべきです!」と主張していました。損得も考えず、自分の信念をぶつけるスタイルで、それが逆に面白がられて、運よくビジネスが取れたことも。もちろん努力もしましたが、若さと勢いが武器になっていたのだと思います。
四国・高松への赴任もその延長線だったと思います。当時、大手取引先との関係が一度リセットされるかもしれないという事態があって、「活きのいい若手を送り込もう」という話になり、私が抜擢されました。四国がどういう土地なのかも分からないレベルでしたが(笑)、行ってみたら“自分の島”のように感じて、営業に没頭しました。
その経験から得た学びとは?
西川:最終的に大切なのは「人と人」の関係。論理ではなく、信頼と関係構築が営業の核心なのだと、この時に深く学びました。
「人間関係と在庫削減で赤字をひっくり返す」

営業として数々の成果を上げてこられた西川さんですが、“赤字プロジェクト”に携わられたと伺いました。具体的にはどのようなものでしたか?
西川:ある大規模案件で、会社として大赤字を出してしまい、「この赤字を解消するのがお前の仕事だ」と任されたのです。単に新しいものを売るだけではなく、利益率の高い提案を積極的に行い、2年ほどで黒字化しました。例えば、通常50%引きで販売するハードウェアを、20%引きで売るような交渉を重ねました。お客様も事情を理解してくださって、一緒に購入ストーリーを作ってくれたのです。単なる取引ではなく、「人と人」としての信頼関係があったからこそ実現できたと思います。
IBMに在籍した17年間で、今に活きている学びはありますか?
西川:IBMは非常に完成された仕組みを持つ会社でした。ルールもマトリクス構造もがっちり固まっていて、当時は正直「ギブスをはめられているようだ」と感じていました(笑)。ですが、今振り返ると、自分が持つ全ての“引き出し”を強制的に開けさせられたことで、今では「必要な引き出しを選んで開けられる」ようになっています。営業、コンプライアンス、ガバナンスまで、広範なスキルを得ることができて、いまのキャリアにも繋がっており、それが学べたことにもとても感謝しています。
その後、CSCを選ばれた理由は?
西川:IBMのように成熟しすぎた環境では、100のものを103にするイメージで、自分の領域が明確に区切られていて「これ以上は他部署へ」となる。でも私は、戦略も作りながら顧客とも向き合いたいという思いが強かった。CSCはまだ組織が固まりきっておらず、自由度が高かったことが、1を10にするような成長フェーズを自分で創れると感じた理由です。1を10、10から100にするようなスピードと変化のある環境に身を置きたかった。CSCはその可能性を感じさせてくれました。
「“猛者の集まり”で見えた、サービスビジネスの本質」
入社された企業(CSC)は、理想に近かったのですか?
西川:正直、課題の多い会社でした(笑)。全員中途採用で企業組織らしさが全くない。入社初日、人事も社長も不在。出勤しても何の指示もなく、パソコンと資料を渡されて「じゃ、どうぞ」と。あれは今でも忘れられない強烈な想い出です(笑)
そのような環境ですが、学びはたくさんありました。いわゆる百戦錬磨の“猛者”のような営業が揃っていて、皆「自分の腕で金を稼いでいる」という自負を持っていたのです。極端に言えば、インセンティブ以外には全く反応しない。でも、自分のスキルで勝負する姿勢は刺激的でしたね。逆に、IBMでは出会えなかったタイプの方々と働くことで、営業の本質や“生き残り力”を学べたとも感じています。その一方で、たとえば外資系出身者や海外出身者など、様々な社員が入社してくることで、ビジネスパーソンとして、組織やチームでどう動くか、といったことに共感してくれる人も出てきました。そこから少しずつ変化が始まりました。
「多様性を受け入れた1年半――“猛者”との共存と合併の現実」
CSCでの営業責任者として、どのような成果を上げたのでしょうか?
西川:これまでのキャリアとは異なる、まったく経験のない領域を担当することとなりましたが、提案書を作り、顧客の話を丁寧に聞き、きちんと対応する。特別な魔法はなく、当たり前のことを愚直にやるだけ。それが信頼につながりました。
実はその後、CSCとヒューレット・パッカード エンタープライズのEnterprise Services部門(HPE ES)の合併が発表されました。グローバルレベルで決まったことで、ある日突然、私は日本の合併に関する責任者に指名されました。CSC側では私ひとりが代表として統合協議に参加し様々な交渉事を決めていきました。HPE ESの担当者は複数名で、こちらはひとり。あのときの緊張感は今でも覚えています。
CSCでの1年半は、西川さんにとってどんな時間でしたか?
西川:組織としては雑然としていましたが、個々のスキルは高い。その中で「全員を同じ型にはめようとしない」「それでも力は最大限引き出す」といったマネジメントを学びました。私のキャリアの中でも、特に貴重な“多様性”との出会いだったと思います。
それまでは「この型に当てはめよう」「標準の枠に収めよう」としていたのですが、それが全く通じない相手ばかりだった。しかし、能力はある。ならば「型にはめず、高い能力を活かせば良い」と気づいたのがその時期でした。
まずは、相手を尊重する。リスペクトしながら環境を整えて、本人には「あなたのこういった力はすごい」と伝える。足りない部分は私がカバーする。お互いを補完し合えばいい。それに気づけたのが、まさにCSC時代の経験です。
チームを“統一”するのではなく、“適応”していく発想ですね。
西川:そうです。誰もが完璧じゃない。四角の人は四角のまま、三角の人は三角のまま活かせばいい。凸凹があるなら、そのまま組み合わせて前に進めばいい。そういう柔軟なマネジメントへの転換が、今の自分の原点になっていると思います。
その考えは、合併によって異文化が混ざる環境でも活かすことができましたか?
西川:非常に活かすことができました。CSC側は「何時に来るかも分からない」猛者たち(笑)。文化も規律もまったく違う。でも私の中では、どちらにも慣れていたし、どちらも良いところがあると思えていたので、大きな衝突はありませんでした。
「統合の嵐を越えて、最初の“居場所”を築くまで」
最終的にトップに就任されたのは、どのような経緯だったのでしょうか?
西川:最初はHPE ESの方が代表に就いていたのですが、いろいろな事情で急きょ交代が決まり、気づけば私が任されることになっていました。統合から半年後にそのポジションになるとは、自分でも想定していませんでした。
統合から間もない交代で、当然違和感を持った社員も多くいたと思います。45歳そこそこの私が突然トップに抜擢されたのですから。
そのなかで、会社の舵をどう取ったのですか?
西川:正直、最初の段階では「どういう会社にしたいか」と考える余裕は一切ありませんでした。合併直後で動揺している社員も多く、お客様にも「この合併はうまくいくのか」と心配されている状況。まずは、社内外両方にとって「安心できる会社」にならなければという危機感しかありませんでした。
800人規模の組織のなかで、最初に意識したことは、まずは形を整えることでしたが、当時は本当に混沌としていて、最初の半年間は記憶が飛ぶほど慌ただしかったです。とにかく目の前のことをひとつずつ片付けていくので精一杯でした。ようやく半年ほど経って、「ここからどうしていくか」を考える余裕が出てきました。自分のペースで会社をつくり始めたのは、そこからです。
「“混沌”を抜けて見えた、社長としての原点」

社長になった当初は、かなり戸惑いもあったのではないですか?
西川:まさにそうですね。レディネスが整っていないまま、突然大きな会社の社長になってしまった感覚でした。新聞に自分の名前が出ることさえ現実感が無いような状況で、手探りで日々の業務をこなしていました。優先順位を付けることすら困難で、社内システムのマイグレーションやシステムトラブル、グローバルとの調整なども降りかかる中で、本当に記憶がないほど多忙を極めていました。
支えてくれた人はいたのですか?
西川:ある時「助けて」と素直に言ったことが突破口になって、支えてくれる人を見つけていくことができました。
この経験から得た一番の学びは?
西川:結局、何のためにやっているのか――そこがぶれないようにすることですね。出世のためなどではなく、自分の使命として「やるべきことをやる」。
その思いに共感してくれる人は、必ず現れます。それが、今の自分の大切な軸になっています。
「“会社の方針”を自分の言葉で語れる組織に」
「会社の方針だからやる」という言葉が苦手とか。
西川:はい。絶対に言いたくない言葉で、社員にも言ってほしくないです。上に言われたからやるのではなく、自分の中で咀嚼して、「自分はこうしたい」と納得して語れることが大事だと思っています。どんな施策であれ、自分の言葉で語れないならやるべきではないと思っています。
“会社の方針”という建前を手放して、社員と素手で話すことは、想像以上に難しいです。しかし、そうしないと社員と本音で話し合うことはできません。そのために、すべての仕事について自分が納得している必要があるのです。
「どういう会社にしたいか」というビジョンはいつ頃明確になったのですか?
西川:2〜3年目くらいですね。「のびのびと自分の力を最大限に発揮できる会社」にしたいと思いました。私自身、やりたいことがあるのに、できない環境がもったいないという経験があったので。社員が手足を思いっきり伸ばせる器でありたい、それが原点です。
その実現のために、どんな取り組みを?
西川:制度を変えるのも大事ですが、それ以上に日々の小さな行動です。「これやってみたら?」と声をかけてアサインを変える、そういった積み重ねで、人が輝き出す瞬間があります。その姿を見ると、周囲も感化されていきます。
壁にぶつかることもあったのでは?
西川:もちろん。社内の組織間で問題が起きることも多い。そういう時は、私が直接入ります。でも今は1300人規模なので、すべてに入るのではなく、誰かに引き継いで任せることも考えています。その引き継ぎ方も、相手に合うように工夫しています。
印象に残るエピソードはありますか?
西川:ある事業部を任せていた社員が退職後、彼の部下を後任に抜擢しました。前任との経験に大きい差があったため、彼にとってはかなりのストレッチで、組織運営としても正直少し無理があった。そのため、組織のミッション自体を調整して本人の能力に合わせました。具体的には、KPIの一部を私が対応することにし、本人にとっても無理のない形にしたことで、うまく回り始めたのです。
「人に組織を合わせる」という逆転の発想ですね。
西川:そうですね。まず人を起点に考えるスタイルですね。型に人をはめるのではなく、人に合わせて型をつくる。それが、のびのびと働ける組織づくりにつながるのだと思っています。
「人から始める組織設計――“枠”は後からつくればいい」

人が楽しんで仕事ができる環境を意識していると。
西川:まさにそれです。たとえば、ある社員の人柄や能力をより多くのビジネスにつなげるために、彼をリーダーとして新しい組織をつくったことがあります。すると、彼を軸として整えた環境の中で、彼はとても楽しそうに、主体的に取り組んでくれました。組織に人を当てはめるのではなく、人に組織を合わせる。星型の人、三角形の人、それぞれ違っていて当たり前。その形をうまく組み合わせることで、結果的に大きな“面積”=価値を生み出せるのです。会社という器はそのためにある。人が最大限に力を発揮できるように設計すべきです。
一方で、そのうえで、ある程度の“負荷”は必要だとおもっています。負荷がまったくないと、人は楽な方に流れてしまう。ちょうどいい重さをかけてあげることが、精神的にも健全さを保つポイントだと思っています。それが筋肉と同じように、成長にもつながるのです。
ビジネス戦略としてはどのような考えを?
西川:我々はITサービスの会社なので、基本的に「人」が商品です。お客様が「この人と仕事をしたい」と思えるかがすべて。社員がキラキラと楽しそうにしていれば、自然と仕事も生まれる。それが我々のビジネスモデルです。
新しい領域への挑戦、たとえば生成AIにどう携わっていくかなど、このあたりも自由度が高いですね。グローバルからの指示にただ従うのではなく、「きちんとマネタイズできる仕組みができるなら、やっていい」という文化です。小さくてもいいからまず売ってみる、そこから可能性を広げていける会社だと思っています。
「“人”で選ばれるDXCを支える、パートナー戦略」
新卒や外部からの転職者が、DXCに惹かれる理由とは何だと思いますか?
西川:本当に人それぞれですね。弊社はITサービスの中でも、かなり幅広い領域を扱っていて、製造装置の制御から、VRやアプリの特殊なプログラミング領域まで多種多様。
だからこそ、「この分野をやりたいからDXCに入りたい」といった動機もそれぞれです。
そうした多様性が、ある意味“自由度”につながっているのですね。
西川:そうです。やりたいことを狭い業務範囲で縛られずに広げられる環境がある。さらに日本のマーケット全体から見ると、我々にはまだリーチできていないニーズがたくさんある。ポジティブに言えば「やれることはいくらでもある」という感覚なのです。
DXCの強みとして、パートナー企業との関係性も大きいと感じました。
西川:我々は“人”でサービスを提供している会社なので、クラウドや特定のソリューションを使うにしても、必ずどこかの製品や技術と連携する必要があります。ですから、自然とパートナーと組む構造になっていますね。
近年ではお客様が自ら技術を選定する志向が高まっています。以前は我々が技術や製品を選定して、「この製品を使いましょう」と主導するケースが多かったのですが、今はお客様自身が製品を選び、「この製品を導入したい」と言ってくる時代です。そのうえで、「誰に実装してもらうか」といった視点で我々が選ばれるかが問われる。技術と“人”が、よりフラットに見られるようになってきました。
そうした変化に、どう対応しているのですか?
西川:社員にその構造を理解してもらうため、意識づけを徹底しています。パートナー企業が開催する大規模カンファレンスに、私も同行して社員に参加してもらい、世の中の技術やニーズを肌で感じてもらうのです。そうすることで、「自分たちの立ち位置」や「お客様が何を求めているか」が見えてくる。
AWS(Amazon Web Services)などの大手のパートナーと組む際の、DXCの価値はどこにあるとお考えですか?
西川:お客様が特定のパートナー製品を選ぶとき、同時に導入・運用のパートナーも選ばなくてはいけません。その際に「この人たちなら任せられる」と思ってもらえる “人”がDXCにいるかどうかが勝負です。パートナー企業も「このチームなら安心」と思える導入・運用パートナーを求めています。我々の人材がそう認識されていることが、DXCの強みです。
「製品+人」の時代におけるパートナーシップの在り方ですね。
西川:ええ。昔のように「DXCが製品を選ぶ」時代ではなくなり、お客様が製品を選び、そのうえで「誰と一緒に進めるか」を決めるようになりました。だからこそ、私たちは事前にパートナーと協働して準備を整えておく必要があります。
「ビジネスの成長と、“カルチャーを育てる”採用の視点」
今後も、会社を大きくしていこうとお考えですか?
西川:もちろんです。ただ、オーガニックな成長には限界もあります。“成長”のためには、人の採用が鍵になります。ビジネス自体は獲得することができても、人がいなければ私たちITサービス企業はそのビジネスに取り組めず、ビジネスを拡大できません。とはいえ、ただ人を増やせばいいわけではなくて、「お客様に評価される人」でなければ意味がない。採用は、会社の成長の根幹です。
“お客様に評価される人”とは、どんな人物像でしょうか?
西川:一言では難しいです。様々な人がいていいと思っているので、一概には言えないですね。ITサービスの本質は “人と人との相性”。あるお客様には合わなくても、別の現場では高く評価される、なんてこともよくあります。だからこそ、「この人がどんな環境で輝けるか」を見極めるのが重要なのです。
まさに“人に合わせた組織設計”ですね。
西川:はい。人にはそれぞれ合う場所がある。その適材適所をつくれるかどうかが、組織としての力だと思います。採用においても、「この人が活躍できる場所はどこだろう?」という視点を持っています。
とはいえ、ある程度の“見極め”も必要になります。語学力や技術的スキルなど、ベースの条件はあります。ただ、それ以上に「こうした方が良いのではないか」という自分なりの視点や意志を持っているかどうかが重要です。昨日と同じことを繰り返すだけの人は、正直、弊社では面白さを感じづらいでしょうし、お客様からも評価されにくい。
大それたチャレンジじゃなくていいのです。たとえば「この資料、こうした方がわかりやすいかも」みたいな、小さな改善を提案できる人。そんな前向きな気持ちがあるかどうかが、最終的に違いを生むと思っています。
それは、御社が「未完成な組織」であることとも関係していますか?
西川:まさにそうです。我々は完成された企業ではありません。常に新しいドメインへ挑戦し、変化し続ける組織です。だからこそ「指示されたことだけをやる人」には向かない。自分なりに工夫しようという姿勢が必要です。
“自由にやれる会社”という点は、御社ならではの魅力ですね。
西川:ありがとうございます。社員はそれぞれの言葉で、自分たちの会社を語ってくれています。それが“カルチャー”として育っているわけですね。このカルチャーは、8年かけて少しずつ作ってきたものです。1日でできるものではありません。でも、採用も含めて「変化を楽しみながら、自分の居場所をつくれる人たち」と一緒に歩んできたからこそ、今のカルチャーがあるのだと思います。
「“誇り”は押しつけでは育たない――カルチャーの手入れと“個の実感”の両立」
カルチャーについて、どのような意識を持たれていますか?
西川:正直に言うと、「カルチャーを変えよう」とはあまり思っていません。今あるものを大事にして、それをみなで育てていければいい。私が一人で作ったものではなく、もともとあった文化を受け継ぎ、メンテナンスしてきただけ。磨き続ける必要はあるけれど、根本的に変えたいとは思っていないですね。
そうなのですね。では「社員の誇り」というテーマについてはいかがですか?
西川:実はそれが一番難しい。Great Place to Work ®の調査で「誇り(Pride)」のスコアを向上するためにいろいろ試したのですが、なかなかスコアが上がらない。「誇り」って、制度やイベントでは生まれない。個人が「この仕事をしてよかった」と思える実感、日々の中で感じる意味や価値からしか生まれないのです。
制度ではなく、“実感”が大切、だから「こうすれば誇りが育つ」という方程式がない。例えば、会社として誇りを持てる、DXCが開発を担当した日本の社会を支えているようなシステムの事例を共有しても、その開発に携わっていない社員にはなかなか響かない。大事なのは「私はこの会社にいて嬉しい」と、社員一人ひとりが心から思えること。そのためには、その人自身の視点で意味づけできるようにしなければいけない。その人がなぜこの仕事をしているのか、どんな価値を感じているのか。それを支える上司や環境が必要なのです。
誇りは“社員ひとりひとりが持つ、内面の納得”なのです。
「“誇り(Pride)”は測れない――一人ひとりの輝きから始まる組織文化」
誇りを育てるには、制度や施策だけでは足りないのですね。
西川:まったくその通りです。結局は、「一人ひとりがどれだけ仕事を楽しめているか」「自分らしく働けているか」が大切なのです。会社が大きくなり、距離が生まれ、昔のように言わなくてもわかり合える関係ではなくなってきている今、一人ひとりにもっと丁寧に向き合う必要があると感じています。
そうした考えから、新しい仕組みづくりにも取り組まれているとか。
西川:はい。最近は、社員が自分の価値や特性を“カード”のように可視化して、自分の強みや可能性を言語化するゲーム感覚のコミュニケーションツールを研修で採用しました。「プロジェクトマネジメント力」「人に好かれる力」「家族とのつながり」など、一般的に重視される価値観などが記載された80枚のカードから5枚のカードを手持ち札として持ち、山札から1枚取っては1枚捨てるを繰り返します。山札がなくなった時点で手元に残った5枚のカードが、自分が重視する価値観を示すというものです。これがとても面白いです。
1枚を手放すとは、ユニークですね。
西川:そうですね。「どれも大切で手放したくない」と思うカードの中で、あえて1枚を捨てることで、自分にとって本当に大事なものは何かが見えてくるのです。その選択をチームで共有し合うと、驚きや気づきが生まれます。「え、○○のカードを手放したの?」みたいな反応もありました(笑)。そこから自然と深い対話が生まれてゆきます。
それは、単なる自己分析以上の効果がありそうですね。
西川:ええ。単なる性格診断やスキルマップでは見えない、その人の“意志”や“葛藤”に触れるきっかけになります。
私は「キャリアパス」という言葉にも少し違和感があって、5年目以降のキャリアは一本道ではなく、複数のカードをどう組み合わせるかだと思っています。自分のカードを自覚し、育てていくことが、これからのキャリア形成の本質になるはずです。
「成長の喜びと、未完成であることの価値」

これまでのお話でも、社員の“変化”や“成長”というキーワードを何度も口にされていました。
西川:はい。本当に、みなが変わっていく姿を見ているのが、今の私の一番の喜びです。入社当初は頼りなかった若手が、お客様から指名されるようになる。その姿を見ていると、親心のようなものが湧いてきます。「あぁ、あの子がもうこんなに…」って(笑)。
親のような気持ちで、社員の成長を見守っていると。
西川:そうですね。実際に「辞めたい」と言っていた社員が、今や社内外で高く評価されているのを見た時なんて、本当に嬉しかったです。「ほら言ったでしょ、辞めなくてよかったでしょ」って(笑)。そういう日々の変化や成長の積み重ねが、私にとっては何よりのモチベーションです。
では、これからDXCに入ってくる人に向けて、どんなメッセージを送りたいですか?
西川:「一緒に次の10年をつくりましょう」。それが今、私が一番伝えたいことです。私たちはまだ発展途上で、完成された企業ではありません。でもだからこそ、みんなで文化を作っていける。それってすごく面白いことだと思います。
ある程度の規模があって“未完成”という環境は希少だと思います。もっと小さいスタートアップならよくある話かもしれませんが、今のDXCのような規模で、まだまだホワイトスペースがあって、自分たちで仕組みをつくっていける環境って、実はなかなかない。だから私は「できた会社に入る」のではなく、「一緒に会社をつくる」人に来てほしいと思っています。
少し変わった表現になるかもしれませんが、会社は“社員みんなのオモチャ”だと思っています。
“社員みんなのオモチャ”という発言は印象的ですね。
西川:そうですよね(笑)。結局、会社って人がつくるものだから、完成形なんてないのです。いろいろな形に変えていける、ある意味の遊び心を持って関われるものだと思っています。今はまさに、作るフェーズを楽しめるタイミングです。一緒に面白がってくれる人と、これからのDXCをつくっていきたいですね。
では、最後に。これからのDXCを、どんな会社にしていきたいですか?
西川:「未完成なまま、成長し続ける会社」でありたいと思っています。完成された組織には限界がある。でも、DXCはまだまだホワイトスペースがあって、みなで形を変えていける。だからこそ面白いし、だからこそ人が育つ。これからも、そんな“つくりかけ”の面白さを大切にしていきたいですね。
ありがとうございました。
Photo by ikuko
Text&Edit by ISSコンサルティング