「英語+営業スキル」が扉を開いてくれた
なぜセンチュリーメディカル(現メドトロニック)に新卒入社したのでしょうか?
私は日本で生まれ教育を受けましたが、最後はアメリカの大学に通いました。アメリカの大学生たちは多様で、みんなが自分の考えを持っていて、周囲に簡単に流されない。一方私は、自分の考えをロジカルに説明できず、周囲の理解を得て物事を進められないことが何度かありました。高校生のとき、英語でディスカッションする上での力不足、柔軟性のなさを実感し留学を決めた私は、アメリカで4年を過ごしたことで、しっかりと自己主張でき、自分の考えを順序立てて説明できるようになっていきました。振り返ってみると、このときアメリカに行かなければ、今のポジションやスキルを得てメドトロニックにいる自分はなかったと思います。
日本に帰国し、日本での就職活動を経て、私は、最終的にセンチュリーメディカルに入社を決めました。大学時代、生まれつき心臓病を患い、頻繁に発作を起こす友人がいたことが医療業界に興味を持った大きなきっかけです。その友人を通して、世界にはさまざまな病気で苦しむ方がたくさんいることを、身をもって知りました。そうした方々のために働くという動機があれば、きっと自分が苦しいときにも、仕事を続けられるだろう。お金のためだけに働くのではなく、人のために働きたいと思いました。そしてたまたま見た就職情報誌に掲載されていたセンチュリーメディカルの会社情報。英語以外のスキルを何か身につけようと書かれたメッセージを読み、英語+何かを探していた私は、大学の専攻とはまったく関係ないながらも、センチュリーメディカルに入社を決めたのです。
入社後の職歴を教えてください。
入社後に配属されたのは、プロダクトマーケティング部でした。実はセンチュリーメディカルはそれまで新卒採用を行っておらず、しかも医療知識のない、営業経験もない私が、マーケティング部に配属になったのは前例のないことでした。今も当時の人事部長とたまにお話しするのですが、「中川さんの配属は冒険だった」といまだに言われます。しかし、組織を縫い合わせる手術用縫合糸ビジネスへ新規に参入するため、マーケティング部に人員が必要だったこともあり、英語を使える私が抜擢されました。1年半、無我夢中で働きました。全く何も知識のない私に周囲の皆さんがいろいろと助けてくれたのですが、新製品担当のマーケティング部は課長と私の2名体制で人数が少なく、また私がやっていることが正しいかどうかを聞きたくても、新製品について詳しい人はいませんでした。答えを模索しながらの日々は、不安で苦しくもありました。そして、マーケティング職を経験して分かったのは、営業の方々の業界知識・専門知識の豊富さでした。営業の方々は、普段からさまざまな先生と専門的な会話を交わしており、他社のことも含めて、業界知識・専門知識に本当に詳しかった。そんな周りの人に追いつきたい、営業で力をつけたいと次第に思うようになりました。
そして1年半後、オートスーチャー営業部への異動を希望しました。営業部でも苦しい事もありましたが、本当に楽しかったです。4年半ほど営業を経験しましたが、最初の1年半はやはり無我夢中でした。どんなにトークを頑張っても、なかなか先生方に響かないのです。女性の営業担当が多くなかった時代でもあり本当に苦戦しました。そこで私は、とにかく人間関係をつくろうと動きました。例え煙たがられようと、一生懸命、毎日のように病院に通い、先生や看護師の皆さんに会いにいきました。そうすると、少しずつ人間関係が構築されていったのです。先生や看護師長の皆さんに好意を持っていただけたら、今度はどんどん案件が通るようになっていきました。そこからの3年は本当に楽しかったです。チームの居心地も良く、このままずっと営業でもいいかなと思うこともよくありました。ただ、だんだんと営業という仕事に慣れてきた中で、英語と営業のスキルを活かしてステップアップしたいという強い思いが湧いてきました。そして英語を使えるマーケティング部門の異動を希望しました。
手を挙げる形で、今度は新規ビジネスの立ち上げを行う「マーケットデベロップメント」の担当になりました。実はここから今まで20年近く、私は一貫して新規ビジネスや新組織の立ち上げに関わり続けてきました。それはもちろん運もあったと思うのですが、「英語+営業スキル」が扉を開いてくれた面が大きいと感じています。この2つのスキルがあったからこそ、私は道を切り拓く力を持てたのです。
マーケットデベロップメントで担当したのは、リンパ節へのがんの転移を診断するデバイスです。このデバイスを日本に導入し、広めるのが私のミッションでした。そのためには、単にデバイスを販売するだけでなく、このデバイスを使った手術を自由診療ではなく、保険診療にしてもらう必要がありました。そこで、私はまず学会などに顔を出し、ネットワークを作って、このデバイスに強い興味のある先生を探して回りました。その結果、4名の先生がこの製品を応援するとおっしゃってくださいました。次に私は、この4名の先生と毎月会合を開き、私が探してきた新たな英語文献を読み込むとともに、どうしたらこのデバイスを広められるかを、先生方と一緒になって考えていきました。幸運なことに、この先生方が皆さん本当に熱心で、自ら厚労省に働きかけてくださったり、周囲に啓蒙してくださったりした結果、このデバイスを使った診察は保険診療となり、デバイスの販売も軌道に乗りました。まさに英語と営業スキルが活きた仕事でした。
メトドロニックの取り組みが世界標準になる
当時の組織編制の移り変わりについて教えて下さい。
はい。営業時代の1995年に、センチュリーメディカルからオートスーチャージャパンが独立する形で設立され、私も移りました。その後、タイコ インターナショナルのグループとなり、2001年にはタイコ ヘルスケア ジャパンに社名が変わっています。そして、1998年に電気手術器ブランド「バリーラブ」が同じグループとなりました。
この後、私は2003年から、新たに腹腔鏡手術用の電気メスのマーケティングディレクターになりました。実は、バリーラブ事業部は電気手術器などハードウェアに主軸を置いており、私のいたサージカル事業部はシングルユースデバイス製品を中心にビジネスを展開していました。ですから、私の部署異動はこの2つの文化を融合させる大きな使命担っていたことになります。しかし、最初はなかなかうまくいきませんでした。
私の一番の仕事は、ハードウェアからハンドピースなどシングルユースデバイスへの主力製品の切り替えでした。まずはバリーラブチームの皆さんに、タイコ ヘルスケア ジャパンが保有していたトレーニングセンターやラボに親しんでもらうよう、研修などの施策を次々に行いました。また、ハードウェアとハンドピースを別々に販売するのではなく、消耗品であるハンドピースを組み合わせた形でハードウェアを販売する営業スタイルに変えていきました。並行して、コミュニケーションの頻度を上げる目的で懇親会を開催し、人間関係を円滑にしていきました。そうした工夫によって、バリーラブチームは徐々にプロシージャーセールスを身に付け、当初から持つ強いチーム力を発揮して、売上は順調に上がっていくようになりました。
2007年からは、ヘルニア修復用のメッシュ製品、手術時のリーク防止に使用するバイオサージェリービジネスなどソフトティッシュインプラント(STI)製品のマーケティングディレクターになりました。これも日本への新製品投入プロジェクトです。オートスーチャーやバリーラブとは競合企業がまったく違いますし、その場ですぐに製品の善し悪しがわかる電気手術器などとは違って、製品の効果がわかるまでに1年以上かかる製品ばかりで、マーケティングや営業の方法がまったく異なりました。最初はいろいろと戸惑いましたが、最終的には手術手技をDVD(動画)に収め、積極的に利用した販売方法を編み出し、ビジネスを軌道に乗せることができました。
メドトロニックと合併して、どのように変わりましたか?
私たちは、2010年にタイコ ヘルスケア ジャパンからコヴィディエンジャパンへと社名が変わり、その後、2015年に統合を経て、メドトロニックの一員となりました。統合してみてよくわかりましたが、メドトロニックは、まさにグローバル・リーディングカンパニーです。現在は全部で14の事業部があり、人工関節以外の医療機器・医療器具をほぼ網羅しています。単に品質への信頼が高いだけでなく、どの領域でもメドトロニックが新たな取り組みを行えば、それがただちに世界標準となっていく。その影響力は素晴らしいものがあります。
そんなメドトロニックのグローバルでの国別売上は日本が世界第2位で、発言権が大きく、カギを握る存在です。たとえば、日本では医療機器を日本人サイズに変更し、日本人女性医師でも使えるように改良を加え、日本人医師の細かな手術技術にも対応できるようにしなければ販売を伸ばすことができません。そのためローカライズするのですが、日本でローカライズした製品は、そのまま中国・韓国でも販売することができるのです。ですから、アメリカ本社は日本でのローカライズに力を入れています。また、身近なところで言えば、オフィスがアップグレードし、海外で働く仲間たちが日本にやって来る頻度がかなり増えました。
私としては、メドトロニックとのコラボレーションを進めるとともに、メドトロニックの強い影響力を活かして、今後は欧米の最新医療機器をもっと早く日本に導入できるよう働きかけていけたらと考えています。最新機器がもっと早く日本に導入できれば、業界全体の活性化にもつながりますし、何より苦しんでいる患者さんの助けになります。たとえば、私たちの機器はがん治療時の入院期間を著しく短縮することができます。芸能人の方がスピーディーにがん治療を終わらせ、退院したとテレビで聞けば、きっと私たちの製品を使ったのだと想像するほどです。こうした成果をさらに出していくために、最新機器の導入をもっと早められたらと思っています。
未経験でも医療の専門家になれる会社
25年働いてきた女性として、ダイバーシティをどのように見ていますか?
私は大学時代にアメリカを見ていましたから、男性同等に働くのが当たり前だと思っていましたし、入社後もあまり気にしていませんでした。メドトロニックでは女性活躍をずっと推進しており、特にここ2、3年でかなり定着したと感じています。その証拠に、最近は、女性だけを対象とした活動が減りました。並行して女性社員がどんどん増えており、どのような場合でも基本的に女性を特別扱いされることがほぼなくなりました。子育て中で時短勤務の女性も増えていますし、女性社員が増えたことで女性目線の発想力が加わり、ビジネス上での多様性も高まっています。
どのような方が活躍していますか?
大きく2つあって、1つは「フレキシブルに行動できる社員」です。メドトロニックはビジネス領域が幅広く、若いうちにさまざまなことを学ぶ必要があります。その際、周囲の意見を柔軟に取り入れながら行動できる若手は、みな活躍しています。
もう1つは、ときには失敗してもいいから「自分なりに考えて行動できる社員」です。最近、私の所属する事業部では、働き方改革が進んでおり、月~金曜日の夜10時~朝5時と休日のメールが禁止となったほか、有給休暇取得の促進の取り組みも始まっています。つまり、より短時間で効率的に働く必要が出てきたのです。そのとき、どうしたら短時間で工夫して結果を出せるかを考え、行動に移せる社員は強いと思います。
最後にメッセージをお願いします。
メドトロニックは、一言で言えば「未経験でも医療の専門家になれる」組織です。トレーニングプログラムが本当にしっかりしていて、成長の機会も多様に用意されています。専門領域がいくつもあり、営業・マーケティング・マーケットデベロップメント・海外勤務など、職種や勤務地も多岐に渡ります。上層部に意見をできるグローバルカンパニーならではの文化も根づいています。余裕のある環境で、長期的視点に立ってしっかりと成長したいという方に、ぜひお勧めしたい会社です。皆様のチャレンジをお待ちしています。
中川 玲子氏 プロフィール
アメリカの大学を卒業後、1992年にセンチュリーメディカルに新卒入社。以来、オートスーチャージャパン、タイコ ヘルスケア ジャパン、コヴィディエンジャパンと、さまざまな組織統合や名称変更があったが、同じ組織に25年にわたって在籍してきた。プロダクトマーケティング、セールス、マーケットデベロップメント、マーケティングディレクターなどを経験した後に2017年2月よりサージカルイノベーション事業部 事業部長。2018年5月よりサージカルロボット アジアパシフィックリージョン シニアマーケティングディレクター就任。