外資系に最初から入ろうと思って入ったわけじゃないですね。まったくの偶然でした。
どうして外資系のヴイックスにお入りになられたんですか?
外資系に最初から入ろうと思って入ったわけじゃないですね。まったくの偶然。実際、英語はまったくダメで、受験単語しか出てこないような状態でしたしね(笑)。僕は大学時代にコピーライターに興味を持って、最初は広告代理店に入るんです。まずは営業を担当していたんですが、本当に自分に興味があるのは広告なのかな、と思うようになって。
教科書にマーケティングの4Pって、出てきますね。商品、価格、流通、プロモーション。広告は4Pのうちのプロモーションを担うわけですが、どうやら世の中にはこの4つ全部を考えるような仕事があるらしい、ということに気づくんです。ブランドがあって、商品があって、その開発から消費者調査からパッケージ制作から流通戦略からイメージ作りからプロモーションから、さらにはブランドごとの損益まで責任を持つ。そんなブランド・マネジメントという体系があるんだと。
これは面白そうな仕事だなと思い始めた頃、日本ヴイックスがマーケティングのアシスタント・ブランド・マネージャーを募集しているよ、と先輩が教えてくれたんです。
外資系でのマーケティングの仕事には、どんな感想をお持ちになりましたか?
最初に担当したプロダクトは、ベビープロダクトでした。華々しくテレビ広告でも打って大きな仕掛けをやるのかと思いきや、違った。新生児が生まれる産婦人科で、新しいお母さんにいかに知ってもらうか、退院後に使い続けてもらうか、という仕組みを考えていく。まずは、全国の産婦人科を対象にキャンペーンを強化しまして。乳業メーカーさんと乳児保育プログラムを共同で企画したり。
これで、ビジネスはさらに伸びました。当時は独身で子どももいない。でも、新生児の母親という消費者の認識と行動には本当に詳しくなりました。それを客観的に見ながら、商品の開発、プロモーション、流通、価格などにつなげる。するとマーケットが動く。すごいなぁ、面白い仕事だなぁと思いました。
駆け出しのころによく言われていたのは、消費者のニーズから行動まで、そのブランドや対象の消費者に関しては、世の中の誰よりも知っているという自負を持ってないといけない、ということでした。どれだけ深く、それこそ夜も寝ないくらいにブランドのことを考えたことがあるか、というのが、勝負を左右したりするんです。担当ブランドに関しては、誰よりもよく理解して、考え尽くすことが重要だと考えていました。
それから会社がP&Gと統合して、活躍フィールドを拡げられるんですね?
最初にアサインされたのが、洗剤。多くの人は洗剤にブランドなんかないと思われているかもしれません。単に価格競争をしているんじゃないかと。でも、実際には洗剤ごとにブランドの価値提供が違うんです。差別化しにくいものをいかに、差別化するか。難しいですよ。でも難しいからこそ、面白いんです。
それから中国のヘアケアのマーケティング・ディレクターになり、ヘアケアのロンドン本社で、あるブランドをグローバルに見るマーケティング・ディレクターを務めました。海外に出て勉強になったのはコミュニケーションでした。日本の外資には、外国人もたくさんいますが、実は彼らはいい意味で日本に合わせてくれているところがあるんです。ところが、海外に行くと、まったくそれがない。だから最初、自分では普通のことを言っているつもりなのに、キョトンとした表情をされることが多かった。言葉だけじゃない。文化の違い、考え方の違いというものを痛感することになりました。
英語がうまくなってくると、言葉数が増えて、早口になって、人の知らないような単語をわざと使いたくなってしまいがち。でも、そんなことには何の意味もないんです。大事なのは、明快に、論理的で、わかりやすく、誰にでも伝わるような伝え方ができるか。トップマネジメントには、特に重要なことだと思います。
リーダーシップとオーナーシップの意識。
その後、ボーダフォン、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントでマネジメント経験を積まれます。やはり経営トップを当初から目標としていたのですか?
仕事を始めたころ、大先輩にアドバイスをされたことがあるんです。「49歳までに社長になれ」と。世の中にナンバーツーというのはたくさんいる。優秀なマーケティング・ディレクターもいる。49歳まではそれでもいい。でも、そのまま過ごしたら10年で定年。サラリーマンのまま終わるぞ、と。社長になれば定年という概念がなくなるんだ、と。
ボーダフォンでは、マーケティング担当の役員として組織を立ち上げ、カメラ付き携帯「写メール」を最大展開して、業界で2位になった時期も数か月あった。その後もムービー写メールなど、面白い商品開発やサービス開発をしていきました。ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントに移ったのは、大先輩のアドバイスがやがてムクムクと自分の中で頭をもたげてきたことが大きかったです。マーケティングは非常に楽しい仕事ですが、もっとビジネス全体、組織全体、社員全体を見ておかなければいけないと思うようになって。ただ、3年やってみて思ったのは、映画というプロダクトを作るのはハリウッドだということ。自分としては、プロダクトを変えていくことができる仕事をしてみたい。そんなことを考え始めたころ、今のご縁をいただいて。
その後、リーバイス®の社長に就任されますが、最初はどんな印象をお持ちでしたか?
リーバイスRは日本の場合、スーパープレミアムで成功しているブランドなんです。日本での商品の開発が、大半を占めている。日本のデザインチーム、開発チーム、ソーシングチームが、日本の消費者を最も満足させようと努力している。加えて、リーバイスRは全世界にある。グローバルのリーバイスRの強みを最大限に使えるんです。この両方をいかにブレンドし、今までにないブレークスルーを加速度的に創っていくか。面白い仕事になると思いました。また、初めての日本人社長ですから、リーバイ・ストラウス・ジャパンの社員としての誇りと自信と成功の喜びをもっともっと築き上げなければいけないと思っています。
経営者を目指したいという若い人に、アドバイスをお願いします。
僕がいろんなチャンスに巡り会うことができたのは、様々な要因があると思っています。でも一番大きいと思うのは、アサインメントが来たときの対応だったかもしれないですね。「不安だな」とチャレンジしないとか、「ヨーロッパだったら行くけど、アジアはちょっと」とか、「ファッションならカッコいいけど、洗剤なんてカッコ悪いからイヤだ」とか。そういう選り好みは一切しなかった。いつも前向きに面白そうだと思って積極的にチャレンジしましたから。とりあえずこのままでいいや、とも絶対に思わなかったですしね。
最後に、部下のリーダーシップをどんな点で評価されますか?
部下によく言っているのは、リーダーシップとオーナーシップの意識です。例えば、プロジェクトが走っている。グッドニュースは誰でもシェアします。でも、残念ながらいろんな障害があったり、競合がなかなか手強かったり、様々な理由で予定通りに進まない、予定を達成できない場合もあるわけです。そういう場合、上司から「あれはどうなってるんだ?」と聞かれてから答える人がいる。一方で上司に聞かれる前に自分から「今、こういう事態になっています。こういう理由ですが、こういう提案をしたいのですが、どうでしょうか?」と言う人がいる。両者ともに、同じ答えを持っていたとしても、聞かれてから答える人と自分から言ってくる人とでは、印象がまったく違うものになる。当事者感覚の違いです。実際、プロジェクトのマネジメント力は、そういう根底の意識の部分で大きな差が出てくるんです。
ありがとうございました。
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