グローバル製薬企業MSD、
経営を担う人材育成と人事戦略
未知の業務にチャレンジする経験で鍛えられた
MSDに入社するまでの職歴と経緯を教えてください。
私の父は当時で言う国際畑のサラリーマンで、日本のほかにドイツ、アメリカ、シンガポールでの勤務を経験しました。私も同じように海外で仕事してみたいという希望があり、銀行ならその希望がかなうのではと思い、大学卒業後、三和銀行(現 三菱UFJ銀行)に入行しました。銀行では支店勤務から始まって、多岐にわたる業務を経験させてもらいました。
転機となったのは、1998年に経営企画部に入り、資本調達、インベスターリレーションズ、合併準備などのプロジェクトに携わるようになったことです。そこではじめて、海外の機関投資家や法律家、インベストメントバンカーとの仕事を経験しました。彼らは皆優秀で、若くして大きな責任を任されている方もたくさんいました。それまで私は、自分が銀行の中で順調にキャリアを積んでいると思って満足していましたが、こうした経験を通じて、もっと早く成長するにはここにいてはダメだと感じ始め、次第に転職を真剣に考えるようになりました。ちょうどその頃に誘っていただいた仕事のひとつが、日本ゼネラルエレクトリック(GE)の人事マネジャーの仕事でした。GEは厳しい職場だが自分を鍛えるには最高の環境である、というような話を聞いていましたので、これはまさに自分が求めているものではないかと思い、転職を決めました。
GEではいろいろとカルチャーショックを受けました。例えば、銀行では基本的にはすべての仕事を100%の完成度まで突き詰めて進めるのが当たり前でしたが、GEではむしろ、70%までできたらそれでよし、早く次の新しい仕事に取り掛かってくれ、というような文化でした。ただ、私はそもそも納得がいけばあまり拘りなく考え方を変えられるタイプですので、意外とすぐにGEのカルチャーに馴染むことができました。GEではコーポレート人事部門に所属して、中途採用、組織開発からゼネラリスト、短期間でしたがコンペンセーション&ベネフィットまで、さまざまな人事業務を経験させていただきました。3年ほど経った頃には、人事部長になるための準備が段々整ってきたと感じるようになっており、社内外から人事リーダーポジションへのお誘いをいただくようにもなりました。
2006年に5年間在籍したGEを離れ、アイエヌジー生命保険の人事担当役員になりました。役員会の殆どが外国人という環境でしたが、初めて経営メンバーとして、戦略や意思決定のすべてに自分が責任を持つという経験をしました。緊張感もありましたが、それよりもむしろ、言ってみれば「試合に出してもらえるようになった」というような感覚で、毎日がとても充実していました。グローバルの人事制度が完璧に整備されているGEと較べると、アイエヌジーでは人事制度や施策における各国の裁量権が大きく、自分の問題意識と考えに基づいて新しい試みを実行することができました。その後、2009年に万有製薬(現・MSD)に入社し、それ以来現職を務めさせていただいています。
経営人財をいち早く特定し、育成を加速
MSDはどのような会社ですか?
米国メルクとその日本法人であるMSDは、数あるグローバル製薬大手の中でも、特に「科学イノベーション」をその競争優位の核とした経営に特徴があります。我々のミッションは、「人々の生命を救い、その生活を改善する」ことであり、がんや感染症、糖尿病などの領域で、画期的な新薬やワクチンをいくつも世の中に出しています。メルクは常に患者さんの利益を最優先する伝統的な文化を持っており、商業的な成功を最重要視する会社ではありません。
私は、銀行に始まって主に金融業界を中心とした領域でそれまで仕事をしてきました。当社に入社して最も驚き、感激し、そして今は大変に誇りに思っていることは、新入社員からベテランまで、経営層から現場の最前線まで、ほぼ全員が当社の「人々の生命を救いその生活を改善する」というミッション、そしてジョージ・メルクが残した企業理念の根幹を成す言葉、「医薬品は利益のためにあるのではなく、人々のためにある。」これらを強く明確に意識して働いているという事です。
MSDの人事戦略では、どのようなことに力を入れているのですか?
人事は、経営とビジネスの一つの部分であり、従って人事戦略は経営戦略・事業戦略のひとつとして存在し機能します。人事戦略がそれだけをもって独立した存在になっていたり、ビジネスへの直接的貢献が問われないでいることはあり得ません。まずビジネスがあり、その成長を実現するための手段として、マーケティング戦略、研究開発戦略、デジタル戦略、人事戦略、財務戦略などが存在するという構図です。人財の育成も組織の多様性獲得も、それ自体が目的なのではなく、あくまで成長のための手段のひとつとして選択されるべきものです。
成長のための手段という観点から、これまで最も力を入れてきた人事戦略のひとつは、「強いリーダーの育成」です。Merck/MSDのケン・フレージャーCEOは「企業の競争は、結局のところリーダーの競争である」と言っています。強く正しいリーダーを獲得・育成し、その実力を存分に発揮させることが会社の競争力の源泉となるのです。日本のMSDでは2012年から、「Japan Leadership Program(JLP)」という、若手リーダーの選抜育成プログラムを始めました。このプログラムでは、ビジネス経験が3~10年程度の応募者を社内外から手挙げ制で募り、毎年100名を超える応募者から、能力テスト、リーダーシップアセスメント、役員会へのプレゼンと面接などを経て、「近い将来、経営を担うことのできるトップクラスのリーダーとしてのポテンシャルを持つ人財」を3人~5人程度選抜します。JLPのメンバーになると、3年の間に1年単位のアサイメントを3つ経験します。ここで重要なのは、①自分のComfort Zone(得意分野)の外で困難な経験をすること、②本来若手では経験できない全社レベルの戦略的業務やプロジェクトに携わること、③経営層から直接コーチング・メンタリングを受けること、などです。JLPメンバーはこうした厳しくも刺激に満ちた環境の中で、本来なら10年以上かけて獲得するような学びと経験を、凝縮された濃密な「Pressure Cooker/圧力鍋」、または「Fast Forward/早回し」の中で手に入れることができます。結果として、JLPメンバーの中で特に優秀な方は、3年で10年分に匹敵する成長を実現します。プログラム終了後は、メンバーを3年間継続して見ている「スポンサー役員」とも相談しながら、自分の新しい実力に見合ったポジションを自ら獲得します。結果として、入社数年目の社員がJLPに参加し、プログラム終了と同時にマネジャー職に就き、その1年後にはディレクターに抜擢されるというようなケースも珍しくありません。
例えばスポーツの世界でも、将来を嘱望される選手は小学生の時からその図抜けた素質を見込まれてナショナルレベルのチームや特別なコーチについたり、海外での試合を経験したりしています。JLPはこれと同じ発想で、「将来の経営者になり得る資質を持つ優秀層は、経営者自身による目利きと科学的な手法によって、ある程度の確度で発見・特定することができる」「キャリア早期に高いポテンシャルを持つと特定された優秀者のグループに、差別化された重点的な投資を行うことでその成長をさらに加速することができる」というコンセプトに則って企画・運営されています。これはMerckグローバルのタレント・フィロソフィーであるところの「プロフェッショナルとしての育成機会は全社員に均等・均質に提供される」、「(一方で)リーダーになるための育成機会は差別化された対象に向けて、重点的に提供される」、という考えにもマッチするものです。
このプログラムは現在7期目を迎えており、卒業生・現役合せて30名を超えるメンバーがそれぞれのポジションで活躍し今も成長を続けています。また、「社外流出」も殆どないことは特筆に値するかもしれません。
「強いリーダーの育成」と並んで力をいれてきていることのひとつは、「ダイバーシティ&インクルージョンの推進」です。イノベーションをその生命線とする医薬品メーカーである当社にとって、常に様々な物の見方や異質な考えを取り込むことで自らを変革することは、ビジネス上の必須科目のひとつです。当社の役員会は、男女比(10:5)、国際性、年齢の幅(30代から60代まで)、経験・出身業界などいずれの側面でも多様性に富んでいると自負していますが、会社全体で見ると課題もたくさんありました。特に女性管理職の比率については、2010年の統合による会社設立以来、5年かけても7%台から10%近辺まで、ゆっくりとしか改善できていませんでした。2014年の終わりに当社は「MSDダイバーシティ&インクルージョン宣言」を社内外に発表し、その中で、女性管理職比率については2020年に25%を達成する、という計画を作りました。これを発表した際には社内でも、数字を目標とすることの是非、あるいはその実現可能性を疑問視するような声がありました。それでも社長を先頭に役員、部門長レベルを中心とした強いコミットメントを後ろ盾として様々な施策に取り組み、その結果、2018年7月現在で女性管理職比率は24%、年内には当初計画から2年以上前倒しで目標を達成できる見込みです。
女性の管理職が増えた今感じることは、あらゆる部門、あらゆる層における議論や意思決定のあり方が確実に変化しつつあるという事です。従来は、ともすれば過去の成功体験や常識的な判断に基づくことが多かったものが、より柔軟で大胆な発想を生み出すようなものへと進化していることを感じます。これはもちろん、女性リーダー達自身の貢献によるものもありますが、同時に男性管理職の発想や行動に変化が生じていることも大きいと思います。
HRビジネスパートナー(HRBP)とはどのような存在だと考えていますか?
さきほども申し上げた通り人事戦略はビジネス戦略・経営戦略の一部ですから、大前提として私は「人事部門は全員がビジネスパートナーである」と考えています。社内には、「HRBPのミッションは経営者/役員のパートナーとしてビジネスをドライブすることです」伝えており、人事メンバーにもその意識を持つように伝えています。もちろん、役員のパートナーとして対等に渡り合える関係性を築くには、相当な努力が求められます。当社に10名程度いるHRBPには、その全員に「ビジネスとその戦略に対する深い理解」「コンサルティング能力」そして「人事の専門性」、この3つの能力が求められます。このうち「人事の専門性」については最も重要度が低いと思っています。ビジネスリーダーと成長戦略を議論する際には、深い理解や洞察に基づいて、正しい問題提起や提案をすることが出発点であり、そこからさらに具体的な施策を展開する際には、人事部門内のCoE(Center of Excellence/Expertise:人事領域の専門家)や、社外の専門家/コンサル/協力企業からサポートを得ればよいからです。
従ってHRBPは、自社製品や競合についての知識、業界の動向、マーケティング、ファイナンスの基本など、全般に精通しなくてはなりません。MSDの人事部門では、部門内外から講師を招いて、ファイナンス教室(これは私自身が講師を務めています)や製品知識、業界動向などについての勉強会を頻繁に開いています。またHRBPには、各自が担当する役員が主催するリーダーシップチームミーティングにメンバーとして加わり、人事関連のトピックに限らず幅広く議論をする、また常にそれだけの準備をしておくように伝えています。継続的に役員ミーティングに出て議論に参加していれば、おのずと実践的なビジネス感覚が磨かれ、またビジネスの課題も明確に意識できるようになります。こうしてHRBPの能力が上がってくると、役員からの信頼度が高まり、役員やその周囲がHRBPの本来の役割を理解してくれるようになります。
私たちのミッションに共感できる方に来ていただきたい
今後のビジネスの方針について教えてください。
MSDは今後の数年間で二つの側面から大きな変容・変革をしていくことになります。ひとつは我々の製品ポートフォリオのシフトで、これは、人類と社会に対してより大きなインパクトのある貢献が出来る領域、「アンメット・メディカルニーズ(Unmet Medical Needs)」の大きな分野へ今以上に注力していくことになります。具体的には、がんや感染症など、高度な専門性が必要とされる疾病領域が中心になりますので、これに伴って、必要とされるケーパビリティはもちろん、組織や人財のあり方も変容していくことを想定しています。
もう1つは「デジタル化」です。医師・医療従事者への付加価値の提供チャネルがテクノロジーの進歩に伴ってより多様化・高度化し、さらにスピードと簡便性も大きく向上していくことになります。こちらについても、成功の鍵はやはり人財であり組織であると考えています。
人事戦略としては、人生100年時代、そして社会の価値観の多様化を考えると、新しい「人財エコシステム(生態系)」の構築が必要であると考えています。今までは、企業が安定した雇用を提供する見返りとして、働き手は会社の都合の良いように使われる、一種の盲目的なロイヤリティを提供する、このギブアンドテイクに基づいた関係性が成立していましたが、もはやこの構図は伝統的日本企業ですら維持できなくなってきています。企業は社員の自律性を高めるような教育や機会を考える必要があると思いますし、一方でそうやって自律し強くなっていく働き手を惹きつけて引き留めるだけの価値を提供しなくてはなりません。それは必ずしも報酬や福利厚生ではなく、むしろ社会貢献の実感や、自己成長の機会、働き方の自由度などではないでしょうか。重くて且つ時間のかかる話ですが、やりがいのあるテーマだと思っています。
どのような方を求めていますか?
ひとことで言えば優秀な方ですが、求められる能力や優秀さの定義はそう簡単に定義はできませんね。我々のビジネス領域が変化・進化すれば必要な能力も変わりますし、優秀さの定義も今から10年後にはこれもまた違っているかもしれません。
でもひとつだけ、不変な事があります。それは、MSDのミッションや思いに共感してくれる人に来てほしい、という事です。「人々の生命を救い、その生活を改善する」というミッションや、「医薬品は人々のためにあるのであり、利益のためにあるのではないことを決して忘れてはならない」といった創業者の思いに意義を感じてくださること、これがたったひとつだけある、全社・全部門・全職種に共通する採用条件、と言っていいでしょう。