困難な状況こそ自分をストレッチできるいい機会
まずは安田さんのキャリアについて、学生時代のお話からお聞かせいただけますか?
子供のころはスーパーカーブームもあって、自動車のエンジンに興味があり、自動車メーカーへの就職を期待して沼津高等専門学校の機械工学科に入学しました。最近も高等専門学校のユニークな教育システムが見直されているようですが、中学校卒業後すぐに工学の専門課程の教育を受けることや、工場実習が単位取得の必須になっており実学を重んじる点など、高等専門学校ならではの環境で教育を受けることが出来たのは今考えてみると非常に良かったと思います。また入学後2年間は4人部屋の全寮制で、規律が厳しく、発生する問題はすべて連帯責任でしたから人とのかかわり方の基礎やチームワークを学んだと思います。このころの経験は今も自分のベースになっていると思いますし、当時の仲間とは今も会えばすぐに学生時代に戻れますね。
高等専門学校は5年制で卒業すると短大卒の学歴になるのですが、もう少し勉強をしてみようと、高等専門学校の卒業生に対して、さらに高度な学問知識を与えるために設立された豊橋技術科学大学の学部3年に編入学しました。4年次からは熱流体の研究室に配属され実験に明け暮れました。指導教官はテーマを与えた後には自主的に研究を進めるということを奨励するスタイルでしたが、初めのうちは何をやっているかもわかりませんし、先輩にただついているだけ。修士に入ってからは、徐々に自分で研究を進めるようになるのですが、なかなか成果も出ない。そのころは、研究室からバイトに行き、バイト先から研究室に戻り、そして実験、論文を読む…そのまま、研究室で寝てしまい下宿には風呂だけ入りに行くといった生活をしていました。
それでも研究が面白く博士課程に進むのですが、修士課程とは全く違う厳しさを味わいました。このころが人生で一番厳しかったですね(笑)。実験はうまくいかない、新たに始めたシミュレーションではすぐに計算が発散する、教科書や論文を読んでもなかなか理解できない。そんな中で博士号を取るために国際会議で発表し、論文がレフリーの査読を通過して学会誌に掲載されなければいけない。毎週のゼミでは指導教官には進歩がないと発破をかけられ、優秀な後輩が見事な成果を出すのを横目で見ている…。本当に苦しかったです。とにかく最後は指導教官が強力に後押ししてくださり、なんとか博士号を取りましたが、その3年間で本当に学んだことは打たれ強さ(笑)ですね。まあ、大学に残るほど頭が良くないっていうことで(笑)、指導教官からも紹介はなかったですし、とにかく大学を出て実社会で働こうと決めていました。
そして明電舎に就職されたのですね。
明電舎では博士号を持った自分を研究所に配属するつもりだったと思うんです。確か入社前に中央研究所に席があるとか言われました。だけど、自分で「もう研究はたくさん」だと決めていたので「どうしてもモノづくりがしたい」なんてことを言って、沼津の開閉器工場に配属してもらったわけです。27歳の新人を良く配属したと思いますよ、工場の流儀に染めるならフレッシュな方がいいじゃないですか(笑)。で、スイッチギアの機械図面を引く設計部門に配属されたんですが、最初はスイッチギアなんてものは何だかわからないし、どこで使われているかもよくわからない。しかも博士号持っているからって実際に加工現場で使える図面なんてすぐに書けるわけもなく。で図面を出しても、現場から「こんな図面じゃ、作れるわけないだろ!」「お前、作ってみろ!」とかの怒りの電話を何度も受けるわけです。そのたびに自転車で事務所から機械加工工場に走って行って頭を下げて図面を引き上げるという日々を最初の1、2カ月は送っていました。
そのうちだんだんと分からないことはあらかじめ現場の人に聞いてから出図した方が早いということに気付いたわけです。今、考えると気付くのが遅いですね(笑)。で、承認前の図面を現場に持って行って各工程の担当者や現場のリーダーの人に「これならどうですか?」って聞いて回るようにしたんですよ。最初は「忙しい」とか「そんなの設計の仕事だろ」って取り合ってもらえなかったんですが、だんだん「ここがダメだろ」とか「ここをこう直したら出来る」とかアドバイスをもらえるようになって、言われたところをCADで書き直して、また持っていってみてもらうといったことを何度か繰り返すようになったんです。それで、だれからもクレームが出なくなったら初めて上司に承認をもらうようにしました。現場が了解していることを知っているから上司もすぐにハンコを押してくれるし、現場の人たちからも、自分の意見が反映されたと喜ばれる。おかげで仕事が早く進むようになり、誰とも気持ちよく仕事が出来るようになりました。
その後、ABBに転職されましたがいかがでしたでしょうか。
明電舎は家族的ないい会社でしたが、「外資系をいっちょ経験したろ」と考えて出身の静岡県内に製造と研究開発拠点を持つABBに開発エンジニアとして転職しました。
開発チームは少数精鋭の所帯でした。ところが当時、国内の自動車メーカーが絶好調だったせいもあり、プロジェクトが目白押しになっているのですが人員の整備が追いつかない状況でした。ただ、どのぐらいのリソースが必要になるかの推定は開発現場でなければわからない状況でしたので、プロジェクトを進めるには、このテーマには何人、このサブタスクには何人をいつからいつまで張り付けて…というような形で、プロジェクトプランを細かく作って数値化し、本社の上層部を説得して、ヘッドカウントを確保することから仕事を始めました。結局2年で派遣社員を含め20人ぐらいまで増やして、さらにプロジェクトを回す体制を作りましたね。
モチベーションは何だったんでしょう?
そもそもABB入社当初はマネージャーではないので、権限も責任もなかったんですが、他の社員は目の前の業務をこなすので精いっぱいで、プロジェクト全体を見通したプランを立てることができず、入ったばかりでまったく戦力にならない(笑)自分が、自然にオーナーシップを持ってやるようになっていました。実は入社2週間ほど経って状況がわかってからは、正直、「まずいところに入っちゃったな」(笑)と思っていました。でも問題を放置したままにしておくわけにはいかない、とにかく早く解決しなければという気持ちが湧き上がって、どうやったら上層部を説得できるかそればかり考えていました。
ただ、今考えてみれば、崖っぷちというか、それまで経験したことのない状況だったので集中力が持続したのかもしれません。実は、今もそうなんですが、課題山積で問題解決のためすぐに対応しなければいけない、でも誰もどういう絵を描いて進めればいいのか分からない。とかいう状況になるとワクワクして集中しだすわけなんです(笑)。逆にインフラが整っていて、波の少ない定型業務ばかりだとつまらなく思ってしまうようなところがあるんですね。
でも、ABBでのこの経験は非常に良かったと思います。なぜかというと、このプロセスを通じて、ほとんどスクラッチからチームを作るという経験が出来たからです。自分が採用にも関与し、誰がどんな能力・知識・技術を持っているか分かるから適材適所なチームができる。すると本人の能力もチームとしての仕事の質もだんだん上がってくる。個人だったらこの程度のストレッチで満足してしまうようなことが、チームであれば大幅な伸びを見せることもある、そういったことが実感できるようになりました。そういったことを通じて人のマネジメントの基礎を学んだ気がします。
少数精鋭の開発チームであったので、マーケティングとしてプロダクトポートフォリオのメンテナンスをやらざるを得なかったことも、今考えると非常に良かったです。新規製品開発では製品のポジショニングや競合との差別化を検討しながら、開発コンセプトを考え、さらに営業と一緒に市場要求を集めて、開発プロジェクトの計画立案やROIの検討を行う。一方では開発のマネージャーとして、リソースを確保して、その市場要求を製品に反映するにはどうしたらいいかのデザインレビューを開催したりして、プロジェクトをまわす。この2足のワラジを経験したので、立場によって全く見える風景が違うということが理解できました。
またグローバルに製品を供給している関係上、海外のお客様からインプットを得たり、同じビジネスに属するグローバルのマーケッティングチームとの議論する経験も積んだりすることが出来た。これも素晴らしい経験でした。外国人を相手に議論やプレゼンをしているうちに英語の能力も徐々に上がってきましたし、それよりなによりロジックを組立てて相手を説得するといった議論の基本を学ぶことが出来たことが大きかったです。
でもどれも、誰もやる人がいないのでやらざるを得ない状況になってやったわけで、すべて最初は苦労しました。手を挙げて「やります!」といったのは一つもないのであまり自慢できませんが、あとで考えると困難な状況が自分にとってストレッチする機会を与えてくれたと思っています。ただし、そういうことに挑戦している間は本当に時間が経つのが早く、また一日一日自分の成長を実感できる感覚を持つことが出来ましたね。
そうこうしているうちに自然と、「あいつは信頼できる」「あいつなら絶対やる」と言ってくれる人が、ドイツ、フランス、国を問わず増えていって、2ポジションの特進で、アジア地域マネージャーに抜擢されました。ただタイミングが悪く、リーマンショックの後で、大規模なリストラを実施しました。その過程ではいろんなことがあってABBをやめることにしました。
その後、2010年に東芝GEタービンサービスに転職し、代表取締役に就任されたのですね。
ABBにもGE出身のCEOが来たり、主要ポジションにGE出身者が着任するようになってきました。世界最強の製造業の一つというGEと言う会社には前から興味がありましたが、なにがそんなにすごいのか?という怖いもの見たさもあり、GEのエナジー部門に応募し採用してもらいました。そこで、GE側の人間としてこの東芝との合弁会社に入ったわけです。そこはGE製のガスタービンの補修を行う工場で従業員が80名ぐらいの会社でした。
入社して3か月ほどで社長昇進への内示を受けました。最初は技術部長として入社したのですが、前社長がGE内の他部門に昇進し、次期社長の最有力候補だった方がGEの中のさらに上のポジションで活躍されることになったので、入社してまだ2カ月ほどの自分にお呼びがかかったというわけです。「入ったばかりで、本当にやれるのか?」と上層部との面接で聞かれ、「大丈夫です」と、自信満々で根拠なしでしたね(笑)。
GEの中で製造に携わることができたのはやはりいい経験でした。EHS、品質、納期、コスト、生産性といった各項目に対して70項目程度のオペレーションを評価するファクターを世界共通のスコアシートを使って全世界の工場・倉庫を同じ尺度で評価する。うまくいっているところは緑、要注意は黄色、目標に達していないところは赤と一目瞭然で分かるようになっている。それを本社のリーダーシップが主催する電話会議で毎週、全部緑になるまで徹底的に追及するといった姿勢。何も特別なことをやっているわけではないのですが徹底的にそれを突き詰める仕組みはすごかった。また、マネージャーとしてGE流にやっていく一方で、社長として現場の人の話も聞かなければならない。非常に高い次元でいろんなことを考えて仕事をする経験は大きなチャレンジでしたし、オペレーションリーダーというものを勉強させてもらいました。結局スコアカードを全部緑にすることはできませんでしたが、95%程度までは緑にでき、世界的にもオペレーションの基準となるバーを上げたというお褒めの言葉をアトランタのリーダーシップから頂くまでになりました。
ただ、GEでのオペレーションリーダーとしての経験を通じて、自分自身に関してわかったことがありました。それは人が組み立てた環境でオペレーションを確実に遂行することより、混沌とした中で方向を決め、仕組を考え、それを実現するというところに、自分の本当の興味があり、そういったチャレンジを求めていたということです。そこでGEの社内外でそういったポジションを探し、結局、タイコエレクトロニクスに転職を決めました。
タイコエレクトロニクスに入社されて約3か月ですがいかがですか。
当社は50年近く日本で事業をしていますから、外資系といっても日本の顧客に寄り添った、地域密着型のビジネス展開になっています。日本の名だたる大企業に製品を提供できるのは、その長い歴史の中で培ってきた信頼によるところが非常に大きい。会社経営においても、ローカルで築き上げてきた部分とグローバルなビジネスマインドがうまく融合したオペレーションが実行されていると感じています。
その中で私としては、エネルギー部門の国内のプレゼンスをもっと上げていきたいと考えています。ポテンシャルは十分にあります。ただプレゼンスが非常に小さい。したがってビジネスデベロップメント的な要素が多分にあり、アクションプランを自分で書きながら実施することができるといった環境です。お客様の声を受け、市場動向を検討し、チームとのディスカッションを経て徐々に方向性を打ち手にしていく際に、やはり重要なのは解析的な能力とそれをまとめるロジックだと思います。それは工場運営でも研究開発でも同じですね。やはり自分は理系だから、そういう考え方しかできないし、そこが自分の強みになっていると思います。
「あいつならきっとなんとかする」と思われるリーダーになりたい
安田さんが考えるリーダーシップの構成要素、3つを教えてください。
1つは、先を見通すための努力をすること。次に何が起こるんだろうと常に考え、仮説を立て、それを検証してアクションにつなげていく。その努力を怠らないことですね。たとえば売上げが伸びないときに、仮説として、「製品が悪い」「価格が高い」「顧客接点が少ない」と挙げてみる。そして、それらの仮説を検証するために、数字を見ながら、関係者に直に聞いてみる。製品の開発・製造、マーケティング、営業、そしてお客様である企業関係者やエンドユーザーまで、あらゆる人の意見を聞く。答えは必ず現場にあると信じているからです。そして問題の所在を明らかにして、解決策を講じる。先を見通すのはなかなか難しいことですが、見通そうと努力することは心がければできると思います。だって、問題の主要因を同定しない限り、正しいアクションはとれませんからね。
2つ目は、チームを励まして、みんなが仕事をやりやすい環境を作ること。1人ではできないことでも仲間がいれば、チームだったらできる。また、リーダーは小さなことでもすぐに褒め、感謝を示す。そして、うれしいことがあればみんなで喜び、困ったことが起きたらみんなで考えて解決していく雰囲気を作る。そういうチームづくりはリーダーの力量にかかっていると思います。
そして、3つ目がフェアな判断ができること。会社のため、従業員や部下のためになる大局に立ったジャッジメントを常に心がける。自分の保身を考え、会社におもねるようになってしまうと、それが難しくなります。だからリーダーは、いつでも正面切って会社にものが言えるように腹を括っているべきだと思うし、日頃から誰に対してもフェアに接していなくてはいけません。私自身は会社に対し、自分を常に対等な立場に置くという気構えでやってきました。本当にクリティカルなことで、自分の考えが会社の考えと対立したとき、自分が正しいと思ったらきっちりと対峙する。それは自分の判断にロジックがあってフェアに判断しているという自負があるからです。
さっきも言いましたが、私は会社や組織としてのインフラが整っていない、組織もガタガタでこのままじゃヤバイぞ、でもどうしたらいいんだろう?と方向性が見えない、という状況を立て直していくところに、非常にやりがいを感じるんです。これからの日本では、そういう崖っぷちや火事場に追い込まれる企業が増えていると思う。そこに私が飛び込んでいっても、「あいつならきっとなんとかする」と思われるリーダーになりたいと思っています。
リーダーを目指している人たちにメッセージをお願いします。
月並みですが、厳しい状況にチャレンジするということではないでしょうか?どこの会社も組織も、問題点があり、誰かが手を出して改善をしていかないといけないところってあると思います。あと、実は問題や課題が大きくなると失敗を恐れて、逆に手を出す人が少なくなるのでむしろチャンスでは?そんな環境で自分がどれだけ知恵とエネルギーを出せるかチャレンジする環境に身を置く。あれもこれも自分でやらなければならない状態に置かれれば、先を見通さないといけないし、自身のオーバーワークを緩和するためにチームをつくらざるを得ない。すべてが整っている環境にいるよりも、ストレッチの度合いが飛躍的に強くなるはずです。そういうチャンスがあったら、是非手を挙げて行ってください。問題が大きければ大きいほど、注目度も高く、そこで本気でもがいていると誰かが面白がって(笑)助けてくれますよ。