フランス、中国、日本、ドイツ──多様な文化の中でキャリアを築いてきたロイック・ペコンドン=ラクロワ氏。
彼が語るのは、「すべてを理解すること」よりも「理解しようと努める姿勢」の大切さです。伝統を尊重しながらも、変化を恐れず、新たな価値を創造していく。
そして、「尊敬」「好奇心」「信頼」を軸としたリーダーシップについて、自身の考えを語ります。彼はこう信じています―リーダーシップとは、選択肢を提示し、人に力を与え、変化を促すこと。すなわち、伝統と革新をつなぎ、次の世紀へと橋を架ける役割を担うことだと。
“次の100年”を見据え、組織と人の可能性を解き放つリーダーが語る、
ガバナンスと信頼の本質とは──。
“A leader who strives to understand can truly transform an organization.”
Loic Pecondon-Lacroix, President & Representative Director of ABB Japan, shares his insights on leadership built on respect, curiosity, and trust.
He believes leadership means showing options, empowering people, and inspiring change — bridging tradition and modernity for the next century.

「旅する心」が育てた国際感覚
学生時代はどのように過ごされていましたか?
実を言うと、学生時代はあまり勉強熱心な方ではありませんでした(笑)。ただ、フランスのビジネススクール(ESCE)に進学したことで、次第に「ビジネスという仕組みそのもの」への関心が芽生えました。学生時代はパリで一人暮らしをしながら、自由な空気の中で多くの刺激を受けましたね。私の家族は南仏出身なのですが、都会の多様性とスピード感に魅了され、世界の広さを実感する毎日でした。
すでにその頃から「グローバルな視点」を意識されていたのですか?
ええ、在学中から積極的に海外インターンシップに挑戦していました。ローマでの3カ月間、そしてフランス領西インド諸島(グアドループ)での6カ月間、現地の小さな海運代理店で働きました。クルーズ船や貨物船の寄港時に必要な手続きを担当し、乗組員や船長とやり取りする中で「物流とは、世界を動かす血流のようなものだ」と感じたのを覚えています。まさに国際ビジネスの原点に触れた経験でした。
大学院では「国際交渉学」を専攻されていますね。
はい。アンジェ大学でトリリンガル交渉学の修士課程を修了しました。英語、スペイン語、フランス語を駆使して各国の交渉スタイルを比較する学問です。修士論文ではアジア、特に日本・中国・韓国における交渉手法の違いをテーマにしました。たとえば、日本では沈黙や「行間の理解」が重要であり、中国ではスピード感と柔軟な対応力が重視されるなど、文化の違いが交渉の結果を大きく左右するのです。
アジアに関心を持たれたきっかけは?
実は10代の頃から日本に強く惹かれていました。日本文化の繊細さや美意識、そして人々の礼節に深い興味を持っていたのです。
子どもの頃、いつでも旅に出られるように、荷物を詰めたスーツケースをベッドの下に置いていたのです。ある日、母に『これは何?』と聞かれて、『旅に出たくなったらすぐ行けるように準備しているんだ。』と答えたエピソードもあります(笑)当時から「どこへでも行ける準備をしておく」という意識があったのでしょうね。
最初のキャリアは中国からスタートされたとか。
そうです。大学卒業後、フランスでは当時、男性には兵役義務がありましたが、私は「民間奉仕制度(VIE)」を利用して、フランス企業の海外展開を支援する形で義務を果たしました。その派遣先が中国・上海のCITELグループ。現地工場の立ち上げ支援を担当し、当時は唯一の外国人として奮闘しました。現場でマンダリン(中国語)を学びながら、文化の壁を越えて信頼関係を築いた経験は、今のリーダーシップの礎になっています。
学生時代からキャリア初期にかけて、一貫して「世界に出て学ぶ姿勢」を貫かれているのですね。
そうですね。私は生まれつき“curious by nature”——つまり、好奇心のかたまりなのです。新しい土地や文化に触れることで、自分の世界観が広がっていく。そうした経験が、いま私が多国籍な組織を率いる上での大きな財産になっています。
文化の違いが教えてくれた“学び続ける力”
中国での初めてのキャリアはいかがでしたか?
とてもユニークで刺激的な経験でした。CITELグループでは製品の原価管理を担当し、いわゆる「コストの本質」を学びました。現場の作業時間や原材料の使用量を細かく分析し、工場でのコスト構造を明確にする。ビジネスコントローラーとしての基礎は、まさにこの時期に培われました。
文化の違いにも戸惑いはありましたか?
ええ、たくさんありました(笑)。たとえば、生産効率を上げるために「作業者を一定の距離で配置しよう」と指示を出したところ、数日後には皆が自然と集まり、肩を寄せ合って仕事をしていたのです。中国の人たちは“仲間と近くで働く”ことを好む。距離を置くよりも、助け合いながら進める方が安心するのですね。最初は驚きましたが、その“集団の温かさ”に触れて、私自身も働くことの意味を改めて考えさせられました。
現地で感じた中国人の印象は?
とてもオープンで好奇心旺盛です。政治の話などは避けますが、日常のあらゆるトピックに興味を持ち、積極的に質問してくる。私も人との交流が大好きなので、彼らの「知りたい」という姿勢には多くの刺激を受けました。異なる文化の中に身を置くと、相手の考え方や行動の背景を理解する努力が自然と身につきます。それは今でも、国籍を超えたチームを率いる上での重要な素養になっています。
その後、ヨーロッパに戻られたのですね。
はい。CITELでの任期を終え、フランスへ帰国しました。その後、米国の自動車部品メーカー「デーナ・コーポレーション」のフランス法人に入社し、再びビジネスコントローラーとしてキャリアを積みました。アメリカ企業の文化は非常に明快です——“Profit, profit, profit. Cash, cash, cash. Now, now, now.”(利益、キャッシュ、そして即行動)。スピード感と結果志向の強さに最初は驚きましたね。
欧州企業との違いも感じられましたか?
ええ。ヨーロッパも利益を重視しますが、もう少し長期的な視点でビジネスを見ます。社会的責任や社員の幸福といった「利益以外の価値」も重要視する傾向があります。アメリカ企業では株主利益が最優先ですが、ヨーロッパでは“企業は社会の一部である”という意識が根強い。どちらが正しいというよりも、それぞれの文化的背景が経営のあり方を形づくっているのだと学びました。
デーナでの経験はその後のキャリアにも影響しましたか?
大きな転機になりました。私は昇進を追いかけるタイプではなく、常に「与えられた仕事を高い品質でやり切る」ことを重視していました。真剣に、でも笑顔を忘れずに——“Quality with a smile”。この姿勢が結果的に周囲の信頼につながり、担当領域も徐々に広がっていったのです。経理・財務だけでなく、ITシステム導入やチームマネジメントなど、多面的な視点を養うことができました。
この頃、受賞もされたと伺いました。
はい。ドイツの経済紙とフランスのビジネススクールINSEADの共催で授与される「Manufacturing Excellence Award(製造業優秀賞)」をチームで受賞しました。個人の力ではなく、チームの協働が成果を生むことを実感した瞬間でした。“Alone you contribute, together you win.”(一人では貢献に留まるが、チームなら勝てる)——この信念は、いまも私のマネジメントの中心にあります。

「学びの連鎖」が導いたキャリアの転機
これまでのキャリアの中で、成功の要因は何だと思われますか?
それは間違いなく「専門性と連携~コミュニケーション」だと思います。私自身、製品原価管理を専門としていましたが、現場の技術マネージャーと連携して、生産サイクルの短縮やスクラップ率の改善に取り組みました。お互いの専門知識を結びつけることで、コスト削減の効果がリアルタイムに見えるようになった。結果として工場全体の生産性が飛躍的に高まりました。
一人ひとりが持つ強みを掛け合わせ、チームとして成果を出す——この経験こそが、私のキャリアを形づくった原点だと思います。
マーレ社(MAHLE)にはどのような経緯で入られたのですか?
当時勤めていたデーナ・コーポレーションがマーレに買収され、そのままマーレの一員となりました。結果的にこの転機が私のキャリアをさらに広げることになったのです。フランスで数年間勤務した後、「次の挑戦をしたい」と思い、中国へ戻る決断をしました。以前CITEL時代に滞在していた上海は私にとって“第二の故郷”のような存在。文化にも慣れており、自然な流れで再びアジアへ向かいました。
中国ではどのような仕事を担当されたのでしょうか?
最初はコーポレート・ファイナンスのアナリスト職を経験しましたが、数字を扱うだけではビジネスとのつながりが薄く、やや物足りなさを感じていました。そんな時、知人から「アフターマーケット事業に挑戦してみないか」と声をかけられたのです。自動車業界には「3つのライフサイクル」があります。まずは新車生産(OE)、次に保証期間中の整備(OES)、そして保証期間が終わった後に民間修理工場で扱う「アフターマーケット」。私はこの“第3の領域”を担当することになりました。
新しい領域での挑戦はどうでしたか?
まさに“社内スタートアップ”のようなものでした。アジア太平洋地域(中国・インド・日本・シンガポールなど)全体を管轄し、私が入社した時は社員2名。組織づくりから採用、育成、営業戦略まで、すべてゼロから立ち上げました。チームを拡大しながら新しいビジネスモデルを構築していく過程は、大企業の中のベンチャーのようで、とてもエキサイティングでした。
そこで「ビジネスパートナー」という概念を実感されたと伺いました。
そうですね。コントローラーという立場から「数字を見る人」ではなく「経営と未来を描く人」へと役割を広げていく時期でした。5年後の事業構想、投資判断、製品戦略など、経営層と対等に議論する——まさに“ビジネスパートナー”の発想が生まれたのはこの時期です。シンガポールでは倉庫付きのオフィスを立ち上げ、インド市場にも進出。中国では急速な成長が続く一方で、日本拠点は苦戦していました。その再建を任されたことが、次の大きな転機につながります。
「第二のキャリアピボット」となる日本での挑戦ですね。
はい。日本法人のゼネラルマネージャーとして、初めてP/L(損益)を含む全責任を持つ立場になりました。よく「コントローラーは副操縦士(co-pilot)、GMは操縦士(pilot)」と言いますが、その言葉どおり、私にとって初めての“本当の操縦席”でした。
日本事業の課題は、商社を通じた間接的な輸出モデルにありました。私は思い切ってその構造を変え、「ダイレクト輸出」に舵を切ったのです。これが後に、マーレ・ジャパン再生の大きな礎となりました。
日本での再構築と「多様性が生む力」
日本でのミッションはどのようなものでしたか?
マーレ・ジャパンの再構築です。当時の日本法人は、長年にわたり商社を通じた間接的な輸出モデルに依存していました。ところが、その契約の中には40年近く続くものもあり、すぐに解消するのは非常に困難でした。それでも私は「顧客と直接つながるビジネスモデル」へと大胆に舵を切りました。商社との契約を一つひとつ解除し、タイ、フィリピン、台湾、サウジアラビア、エジプトなど東南アジア・中東のエンドユーザーを自ら訪ね歩きました。まさに“ゼロから市場を取り戻す”挑戦でした。
営業体制の見直しに加え、組織面でも改革を進められたそうですね。
はい。P/L(損益)責任を持つ立場として、営業と財務の両面から会社を見直す必要がありました。特にチームづくりは大きな課題でした。当時の社員は真面目で優秀でしたが、一方で保守的な文化が根付いており、変化を受け入れるのは簡単ではありませんでした。私はそこに「多様性」を持ち込みました。カナダ人、フィリピン人、マレーシア人など、異なるバックグラウンドを持つ人材を採用し、多様な価値観と働き方を融合させたのです。
チームの反応はいかがでしたか?
当然、最初は戸惑いや抵抗もありました。しかし重要なのは「押すこと」と「待つこと」。私はチームに新しい方向性を示しながらも、全員が理解して前に進むまで時間をかけて待ちました。人は変化に時間が必要です。焦らずに“押しながら待つ”姿勢で少しずつ変化を積み重ねていくと、やがて組織は確実に変わっていきます。その結果、国内市場で数百社の新規顧客を獲得し、日本法人は再び成長軌道に乗ることができました。
順調なタイミングで、ドイツ本社への異動の話があったそうですね。
まさに。3年ほど日本で仕事を続けたいと思っていた矢先に、上司から「本社(シュトゥットガルト)で1,500名規模のビジネスユニットを統括してほしい」と声をかけられました。私は日本が大好きでしたし、やり残したことも多かった。でも彼はこう言ったのです——「20人の組織で得た成果を、1,500人の組織で再現できたら、あなたの影響力は何倍にもなる」と。その言葉に背中を押され、最後は日本語で「行きましょう」と答えました。
本社での経験は、どのような学びになりましたか?
本社では、グローバル4事業部のうち1つのビジネスユニットのコントローラーとして、CEOや各プレジデントと直接やり取りする立場になりました。月例会議で経営陣の前に立ち、結果を報告し、支援を求める——まさに経営中枢での実戦経験です。
ここで学んだのは、「自分の言葉と行動には影響力がある」ということ。どんな発言も組織に波及します。だからこそ、慎重に、そして責任を持って言葉を選ぶようになりました。同時に、メンバーに「自ら挑戦する勇気」を与えることの重要性も学びました。人に可能性を見せ、前へ進ませる。それがリーダーの仕事だと実感したのです。

「数字の向こう側」を読み解くリーダーシップとは
ドイツ本社ではどのような役割を担われていたのですか?
マーレ本社では、4つのグローバル事業部のうち1つのビジネスユニットのコントローラーとして、プレジデントに直接レポートする立場でした。私の上司は非常に優れたリーダーで、私に大きな裁量を与えてくれました。そのおかげで、日本市場の知見を生かしながら、「ワンボイスで市場に臨む」「物流コストを最小化する」「製品は一度だけ触る(One Touch)」といった効率化戦略を構築し、10億ユーロ規模の事業改革を推進することができました。自由と責任の両方を持つ環境で、人を動かすリーダーシップの力を実感しました。
本社では経営陣との距離も近かったと思います。
ええ。良い結果を出せば評価され、悪ければすぐに見える。非常に透明で厳しい環境でしたが、その分だけ成長のスピードも速かった。CEOや各事業部プレジデントと対話する中で、「経営者が何を見て、何を考え、どんな問いを投げかけるのか」を肌で学びました。
ビジネスコントローラーの役割は単に数字を報告することではありません。数字の裏にある「意味」を説明し、どのようにアクションへつなげるかを導くことが使命です。経営戦略、方針設計、組織浸透──すべてが「ビジネスを動かすコミュニケーション」です。
現場と本社の間をつなぐ立場として意識されたことはありますか?
とても大切にしていた点です。私は日本や中国での経験があったので、「トップダウンでは動かない文化」があることを理解していました。だからこそ、単に“指示”を出すのではなく、「なぜこの方針に至ったのか」という背景を丁寧に説明し、納得感を持ってもらうことを意識していました。世界のどの拠点でも、相手を理解し、信頼関係を築かなければ本当の成果は出ません。
本社勤務の中で特に印象に残った学びは?
それは「複雑さの中で本質を見抜く力」です。次に担当したサーマルマネジメント事業部は、世界45の工場・2万7,000名・50億ユーロ規模という巨大な組織でした。最初は膨大なレポートを前に圧倒されました。250ページにも及ぶ数字を全部読むのは不可能です。そこで私は“本質を捉える”ことに集中しました。問題の根因を見抜き、経営陣にわかりやすく伝える。過剰な詳細は不要ですが、大雑把過ぎても意味がない。ちょうど良い深度と構成で「理解と行動を促す説明」が求められるのです。
まさにエグゼクティブに向けた「ストーリーテリング」ですね。
その通りです。数字を並べるのではなく、背景・現状・課題・打ち手を一つの“ストーリー”として語る。経営層を動かすには、論理と感情の両方が必要です。特に当時はコロナ禍の真っ只中で、リモート下でも人を鼓舞し、変革を前に進めなければならなかった。
この経験から、私は「数字の精度よりも、メッセージの意図が人に届くことが大事」だと学びました。ビジネスの核心は人の理解にあり、リーダーはそれを“伝える力”で支える存在なのです。

「ストーリーテリング」と新たな挑戦 ― ABBへの転身
ドイツ本社での経験を通じて、最も印象に残っていることは何ですか?
ビジネスの規模は5ビリオンユーロ、45工場、27,000名の社員という巨大な組織でした。最初のうちは、すべての数字を把握しようとしましたが、すぐにそれが不可能であると気づきました。そこで学んだのが「ストーリーテリング」の重要性です。単なる数値の羅列ではなく、「背景 → 現状 → 目標 → 施策」という流れで、経営層にわかりやすく伝える手法を確立しました。これは、当時のCEOから直接学んだ考え方で、いまでも私のプレゼンテーションの基本になっています。
コロナ禍も重なり、難しい時期だったのでは?
非常に大変でした。ビジネスユニットは赤字を抱え、対面のコミュニケーションも制限される中で、経営をリモートで進めなければなりませんでした。加えて、ドイツ特有の「監査役会制度(Supervisory Board)」があり、取締役会の上にさらに監督機関が存在する構造です。上層部からのプレッシャーも大きく、サーマルマネジメント部門全体の抜本的改革が求められました。まさに嵐のような時期でしたが、この経験が「複雑な状況を整理し、物語として伝える力」を磨くきっかけになりました。
その後、マーレ社を退任された経緯を教えてください。
上司やCEOが次々に退任し、経営陣が大きく入れ替わる中で、私は新たなステージに進む決意をしました。7年間でアフターマーケット、サーマルマネジメント、フィルトレーションという3つの事業部を経験し、自分の役割は十分に果たしたと感じたのです。当時、社内ではCFOポジションも考えましたが、すでに全て埋まっており、私はドイツ人でもない。そうした環境も踏まえ、2022年末にマーレを離れることを決断しました。
その後、ABBに転身されたのですね。
はい。2023年は少し“間”を取り、自分自身をリセットする時間としました。そして2024年、ABBジャパンに「カントリーホールディングオフィサー(CHO)」として入社しました。私は当初、「自動車業界には戻らない」「コントローラーには戻らない」と決めていたのです。だからこのポジションはまさに理想的でした。産業も違い、職務も新しい——言い換えれば、自分のキャリアを再構築する機会だったのです。
CHOという役職は新設だったと伺いました。
その通りです。以前にも同様の役割はありましたが、前任者は他のグローバル職務を兼任しており、実質的に20%程度しか担当できていませんでした。ABBはそこで「このポジションを100%で担える人を置くべきだ」と考え、新たに職務を再定義しました。私の仕事は財務だけでなく、ビジネス戦略やガバナンス、そして組織全体の方向性を支えること。まさに“創造的なリーダーシップ”が求められるポジションです。
自ら役割をつくり上げることに、やりがいを感じますか?
もちろんです。ゼロから新しい役割を築くことは、私の得意分野でもあります。マーレ時代も、アジアのアフターマーケット事業を立ち上げたように、誰も歩いたことのない道を開くことに情熱を感じます。ABBでの挑戦も同じです。異なる業界・文化・価値観の中で、組織に新たなストーリーを描く——そのプロセスこそが、私にとってのモチベーションなのです。

「次の100年」を見据えるABB Japanの使命
ABBは日本で長い歴史を持つ企業ですね。
はい。ABBが日本で事業を始めたのは1907年、すでに100年以上の歴史があります。現在のABBジャパンは主にセールスとマーケティングを中心に事業を展開しています。
具体的にはどのようなビジネス領域がありますか?
ひとつはエレクトリフィケーションで、データセンターや半導体といった分野で急成長しています。次にモーション。こちらはやや複雑なビジネスモデルですが、日本でも確実に伸びています。そして――オートメーション――では、複数のソリューションを組み合わせ、プラント全体を制御する統合システムを提供しています。これらの事業が連動し、ABBの総合的なソリューション力を支えているのです。
ABB Japanとしての使命は?
“Engineered to Outrun”
この言葉は、テクノロジーこそがABBの成功を支えていることを明確に示しています。140年以上にわたり、ABBは技術革新の最前線に立ち、さまざまな分野や産業で常に先駆者であり続けてきました。
今、単に「パフォーマンスを発揮する」だけでは不十分な時代です。ABBは、お客様が競争を超えて成果を上げられるソリューションを提供したいと考えています。
私たちのミッションは、「産業のパフォーマンスを高めて、優れた成果を出せるように支援すること」です。キーワードは3つ。Cleaner(よりクリーンに)、Safer(より安全に)、そしてLeaner(より効率的に)。クリーンとは、持続可能で環境に優しい社会づくりへの貢献。セーフとは、電化製品やインフラにおける安全性の追求。そしてリーンとは、エネルギーの使用効率を高め、より少ないリソースで最大の成果を上げることを意味します。たとえばデータセンターの増加に伴い、電力と通信の最適化が求められていますが、ABBの技術はその解決策を提供しています。
社長としてのミッションを教えてください。
私の役割は、いわば「ガバナンスの守護者」です。法的に会社を代表する立場として、コンプライアンス、誠実性、持続可能な運営を保証することが責務です。企業としての財務健全性やキャッシュの流れを監督し、ABBジャパンが「次の100年」に向けて安定して事業を続けられるよう支えるのが使命です。
ガバナンス業務は、ビジネスの「持続可能性」を支える核心です。プロセスや手法、組織、そして考え方を、将来にわたって持続可能なビジネスを目指して一貫性をもって整えることが求められます。ご存じのとおり、日本には『三方よし』というビジネス原則があります。これは、取引先や社会に良い影響を与えるという考え方です。CHOの役割も、世界が直面する最大の課題解決を支援するというこの使命を体現しています。最後に、私の役割は、日本をビジネスとして成功できる最良のポジションに置き、各事業部門が市場で成果を上げるための効率的なツールを提供することです。
この1年半で、具体的にどのような取り組みをされましたか?
まずは、ガバナンス体制の基盤づくりです。事業部門と機能部門が連携して動けるよう、社内プロセスを整理し、変革プロジェクトをいくつも推進しました。同時に、ローカルだけでなくリージョン、グローバルの各拠点とも強固なネットワークを築きました。これにより、世界中のリーダーと直接相談・協働できる体制が整いました。
私たちは従業員のウェルビーイングと満足度向上のために数多くの取り組みを実施し、特に残業削減に注力してきました。日本では残業によって雇用主への誠意を示すべきだという一定の考えがありますが、私はこう言いたい──それは献身と効率性で示すべきです。定時に帰宅し、家族や友人、趣味を楽しみましょう!
私たちは協働のより良い方法を探求し続けています。協働は強制できませんが独自のモデルを見出す必要があります。一人ひとりが貢献し共に勝利を掴む。この志は日々育まれています。
事業面では、大型鉱山用フル電動ダンプトラックの開発、データセンター向け安全でクリーンな新設備、自動車顧客向け「ピクセルペイント」特殊塗装アプリケーション、水素・アンモニアなどの新エネルギー分野への貢献など、数々の成功を収めています。ABBジャパンは多方面で前進を続け、より高度な技術を学びながら、顧客に貢献しています。
日本の社員についてどのように感じていますか?
とても前向きでプロフェッショナルです。特に若い世代の採用が増え、社内には新しい風が吹いています。一方で、30~40年勤続しているベテランも多く、多世代の共存が課題でもあり、一方で魅力でもあります。私は「多様性の融合」こそ、組織の強みだと考えています。異なる価値観を持つ人々が協働することで、より創造的で強いチームになる。ABBジャパンの未来を支えるのは、まさにこの“多様な人材の化学反応”だと思います。

伝統と革新のあいだに立つリーダーシップ
日本におけるリーダーシップについて、どのように考えていますか?
難しい質問ですね(笑)。「日本の人々が何を“求めているか”」ではなく、「何を“必要としているか”」に焦点を当てると、それは“日本を理解しようと努力するリーダー”だと思います。すべてを理解するのは不可能かもしれません。しかし、理解しようと“試みる”姿勢が大切です。日本の文化や価値観に真摯に向き合いながら、新しい発想や視点をもたらす——そのバランスを取ることが、これからのリーダーに求められていると感じます。
伝統と革新の両立、ということですね。
そうです。日本には素晴らしい伝統や働き方があります。それを守ることは重要です。しかし同時に、時代に合わせて変化しなければなりません。私自身の理想のリーダー像は、「選択肢を示すリーダー」です。
つまり、「従来のやり方」と「新しいやり方」の両方を提示し、どちらを選ぶかをチーム自身に委ねる。そして、メンバーが自分の意思で前進できるようにインスピレーションを与える存在でありたい。伝統を尊重しながらも、常に“モダンな一歩”を踏み出す勇気を後押しすることが私のリーダーシップの軸です。
若い世代へのメッセージをお願いします。
まずは「自分を知ること」です。そして「何をしたいのか」を自分で決めること。最後に「自信を持って進むこと」。これが私から若者へのメッセージです。
若いころは誰しも「どこへ行くべきか」「どうすればいいのか」と迷うものです。でも、人生は“与えられるもの”ではなく“創るもの”です。自ら行動し、情熱をもって進めば、必ず道は開けます。夢を持ち、前向きなエネルギーを示すこと——それがキャリアの最初の一歩になるのです。
今の日本で働くことを楽しんでいますか?
もちろんです。日本で働くことを本当に楽しんでいます。完璧な国など存在しませんが、日本はいま確実に変化の途上にあります。そのダイナミズムの中に身を置けること、そして自分自身がその変化の一部になれることを誇りに感じています。
日本のチームは勤勉で誠実ですし、前向きなエネルギーに満ちています。多様な文化や世代が共に働く環境の中で、私は日々多くを学び、刺激を受けています。
最後に、リーダーとして最も大切にしていることは何ですか?
「人を信じること」です。どんなに優れた戦略や仕組みがあっても、最終的に企業を動かすのは“人”です。信頼は一朝一夕で築けません。だからこそ、日々の小さな約束を守り、言葉と行動で誠実さを示すことが大切です。リーダーとは、チームの鏡。自分が誠実であれば、チームも自然とその姿勢を映してくれる——私はそう信じています。


