大学時代の経験と、法律への関心から学んだこと
学生時代はどのように過ごされていましたか。
とにかく「数をこなす」タイプでしたね。問題集をひたすら解いて体で覚える。頭でも体でも覚えて、「これだけやったから大丈夫だ」と自分を納得させて挑む。大学受験もそんなスタイルでした。緊張には比較的強いほうで、本番ではギリギリのところで成功するタイプ。本番に強いのは、今の仕事にも通じる部分かもしれません。
大学では法学を専攻されていますね。
ええ。当時は将来的に企業法務や法律の専門職を意識していました。ただ、勉強を進めるうちに、自分が関心を持ったのは「人や社会の関係の中で起こる出来事」でした。例えば、アルバイト契約や給与明細、交通事故や保険の仕組み、商品の購入トラブルなど、日常の中にある“法”の働きに触れる機会が増え、「これは人生に深く関わる分野だ」と感じるようになりました。
裁判や刑法のような世界ではなく、もっと身近な法律に惹かれた?
そうですね。法廷で争うよりも、目の前の事実や関係性をどう整理し、どう解釈するか。その過程に興味がありました。民法の中でも債権を専攻していたのですが、そうした人と人とのつながりの中で起こる出来事を扱う法律が、自分にはしっくりきましたね。いま思えば、その“関係性を正しく理解して整理する”という感覚が、人事の仕事にも通じていると感じます。
就職活動と、NECを選択した背景とは
就職活動では、どのような軸を持って臨まれたのですか。
父がメーカー出身ということもあって、自然とメーカー志向がありました。自動車、電機、精密機器などさまざまな企業を見ましたが、最終的にNECを選びました。当時はちょうどインターネット黎明期。2000年前後という時代で、社会全体がIT化へと大きく動き出していました。
大学時代、私はスポーツ用品店でアルバイトをしていたのですが、店頭の業務もIT化の波を感じ始めていた時期でした。商品の在庫管理や引き当て、発注などが、電話や紙ベースからWebシステムに置き換わりつつありました。その変化を目の当たりにして、「ITの力で人の働き方やビジネスの仕組みが変わる」ことに強い興味を持ったのです。自分が販売員として感じた現場の課題を、テクノロジーの力で解決したい――それがNECを志望した理由でした。
数多くあるIT企業の中でも、なぜNECだったのでしょうか。
理由は二つあります。ひとつは“人”と“文化です。面接を受けた際、社員の皆さんの誠実さが印象に残りました。学生一人ひとりに真摯に向き合ってくれて、「ちゃんと自分を見てくれている」と感じたのです。もうひとつは、技術の力です。NECは当時からコンビニエンスストアなど流通業界向けのシステムに強みを持っており、例えば天気や店舗周辺でのイベント情報を加味した発注最適化など、いまで言うAI的な仕組みをすでに実装していました。それを知ったとき、「こうした仕組みを社会に広げていく側になりたい」と純粋にワクワクしましたね。
実際に入社してみて、その印象は変わりましたか。
25年が経った今でも、「誠実さ」という企業文化は変わっていないと思います。誠実であるがゆえに利益へのこだわりが弱いという課題もありますが、その誠実さこそがNECの信頼を支えている。人と組織に向き合う今の自分の仕事にも、そのDNAは確実に生きていると感じます。

キャリアの原点 ― 人事としての出発点
入社後は、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。
初任配属は人事部門でした。正直、第一希望ではなく、第三希望に何気なく書いた人事に決まったときは驚きましたね。ただ、今振り返るとこの配属こそが、私のキャリアの原点になりました。
当初はどのような仕事を?
最初の4年間は給与計算を担当していました。人事プロセスの中でも最も“下流”に位置する仕事で、制度設計や報酬方針といった上流の仕組みが、最終的に「社員一人ひとりの給与」として形になる。その最終出口を担う役割でした。だからこそ、制度の背景や決定のプロセスを理解しないと、社員に説明ができません。間違いがあれば怒られる。納得してもらうためには、上流の構造を理解していなければならない。まさに人事全体の仕組みを“逆算で学ぶ”貴重な経験でした。
給与業務から学んだ一番のことは何でしょう。
「すべてのファクトには理由がある」ということです。給与の増減にも、社員からのクレームにも、必ず背景がある。表面的に処理するのではなく、なぜそれが起きたのかを考える――その習慣が、のちの人事制度設計や組織開発の仕事の基礎になりました。地味だけれど、最も人に近い、人事の原点の仕事。あの4年間がなければ、今の自分はいないと思っています。
厚生労働省への出向と、視座を広げた2年間
給与計算の経験を経て、次のキャリアではどのような経験をされたのですか。
給与業務の後、厚生労働省に2年間出向しました。民間企業と行政機関の人材交流の一環で、ちょうどポジションが空いたタイミングと私の異動時期が重なったのです。自分から手を挙げたわけではなく、「行ってこい」と言われての派遣でしたが、まさかそんな経験ができるとは思っていませんでしたね。
どのような業務を担当されたのですか。
当時は高齢者雇用の法改正の時期で、65歳までの雇用延長義務が法制化されるタイミングでした。企業からの問い合わせ対応や、国会答弁の準備、大臣のスピーチ原稿の作成など、まさに立法の現場に立ち会うような日々でした。初めてのことばかりで苦労も多かったですが、前例を読み込み、上司に教わりながら、一つひとつ積み上げていった経験は大きかったです。
民間企業と行政の違いは、どのように感じられましたか。
NECにいるときは、どうして法律や制度がこんなに使いづらいのだろうと思うこともありました。でも行政の立場に立つと、見える景色がまったく違う。国が見ているのは一企業ではなく、日本全体の働く人たちです。大企業はごく一部であり、多くの中小企業が政府の思惑通りに動けない現実がある。その中で全体を底上げするためにどう設計するか――そうした発想のスケールの大きさを肌で感じました。
その経験は、NECに戻った後にどう活かされましたか。
それまで“企業の内側”しか見ていなかった視野が、一気に広がりました。物事を一方向からではなく、上から、後ろから、多面的に見るようになったのです。同じ現象でも立場によってまったく違う景色に見える。そう気づけたことで、「組織の意思決定をどう支えるか」という視点が深まりました。法律を学んできた自分にとっても、その知識が現実社会の仕組みの中でどう生きるかを理解できた貴重な時間でした。
厚生労働省での出向を終え、NECに戻られてからはどのような仕事を?
2007年に復帰し、労務を担当しました。本社の労務政策ではなく、グループ会社のガバナンスを担うチームに所属し、制度導入の支援や、労使交渉の調整を行いました。ここでも“現場と全体のバランスを見る力”が試されましたね。出向で広げた視野が、次のキャリアを支える土台になりました。

グループ会社と本社をつなぐ、“信頼”のマネジメント
かなり広範囲なコミュニケーションですね。苦労も多かったのでは?
はい。本社の意向とグループ会社の現実との間で調整する場面が多かったです。特に地方の製造拠点などでは、現場の構成や働き方がまったく違う。例えば、マネジャー1人に部下が30人、しかも交代勤務で勤務時間が異なるような環境では、本社の施策をそのまま適用してもうまくいきません。だからこそ、現場の意見を丁寧に聞き、双方が納得できる形に“翻訳”する――そんな仕事が求められました。
間に立つ立場として、大切にしていたことは?
「まず受け止めること」です。どんな要望や不満も、最初から否定せず、しっかり聞く。そのうえで本社の方針に照らして、どこまで対応できるかを考える。ときには「難しい」と伝えなければならない場面もありますが、相手の言葉を理解しようとする姿勢は決して手放さないようにしていました。結果として、それが信頼関係を築くいちばんの近道だったと思います。
本社とグループ、どちらに軸足を置いていたのでしょう。
難しい質問ですね(笑)。今思えば、軸足はやはり本社にありました。でも、それを相手に感じさせないようにすることを常に意識していました。信頼を得るには、「自分はどこの人間か」を強調するより、「いまこの場所でどんな使命を果たすか」が大切だと思うのです。厚生労働省にいたときも、NECネッツエスアイに出向していたときも、同じ姿勢でいました。
なぜそこまで徹底されたのでしょう。
「本社から来た人」と見られた瞬間に、相手は心を開かなくなる――そう感じていたからですね。だからこそ、まず“個人として信頼されること”を最優先にしていました。その信頼の積み重ねこそが、組織を動かす原動力になる。震災直後の出向という厳しい時期もありましたが、あの時期の経験が、今の自分のリーダーシップの礎になっていると感じます。
新しい環境での挑戦 ― 主体性と創意で人事を動かす
NECネッツエスアイに出向されたのは、どのような経緯だったのでしょうか。
本社からの影響が小さい、自分の力を試せる場所を希望していたところ、NECネッツエスアイへの出向を命ぜられました。自分を信じてチャンスを与えてもらえたことが何より嬉しかったですね。純粋に「やってみたい」と思える仕事に出会えた瞬間でした
どのような役割を担われていたのですか。
人事企画グループで、制度設計や組織開発の仕組みづくりを担当しました。従業員は約5000名、人事部は20〜30名ほど。主任として、課長・部長代理とともにチームの中心で動いていました。現場での制度設計は「自由度」が高く、本社の枠組みにとらわれずに考える機会が多かったと思います。
印象的な取り組みにはどんなものがありましたか。
ベテラン技術者の雇用延長制度です。通信建設事業の会社であるため、建設業法資格を持つ熟練社員の引退が事業リスクになっていたのです。彼らが引き続き働けるよう、そして最適解をスピード感もって出すには、現場で決めるのが一番だと思い、NEC本社とは異なる独自の処遇制度を設計しました。
かなり自由度の高い環境ですね。
ええ。食堂メニューの改善から幹部人事の仕組みづくりまで、幅広く関わりました。本社の仕組みを上手く活用しながら、現場に合う形に落とし込む。そのバランスを取ることが、自分の腕の見せどころでしたね。
その頃から、今のリーダーシップにつながる考え方が芽生えていた?
そう思います。大切にしていたのは、会社と従業員の両方が幸せに働ける仕組みをつくること。組織を動かすのは制度ではなく、人の納得感だと気づいたのはこの頃でした。多様な経験を通じて、自分の中に「人を活かすとは何か」という軸ができた気がします。
流通業と製造業での経験 ― 現場に寄り添う人事の原点
流通業の部門人事も担当されたと伺いました。
はい。流通業と製造業を扱うビジネスユニットの中で、私は流通業担当の人事を任されました。ようやく入社時に希望していたフィールドに関わることができるという喜びが大きかったですね。大手コンビニエンスストアなどの小売企業だけでなく、交通事業者や商社、卸売業などを含む“流通系”の領域を担っていました。念願だった現場に近いビジネスを担当できて、モチベーションが一気に高まりました。
当時の役割はどのようなものだったのでしょう。
今のHRビジネスパートナーのように「経営課題に向き合う参謀」というスタイルではなく、主に制度の運用と現場支援が中心でした。適切な評価と報酬を通じて社員が力を発揮できるようにサポートし、チャンスを与えるべき人に機会を届ける――そんな“仕組みを動かす人事”でした。現場の課題を共有しながら、人事的なサポートを考える中で、初めて「人事の価値がビジネスの成果に貢献する瞬間」を実感しました。社員の離職や体調不良など、目の前の人の悩みに真摯に向き合い、現場を支える――その積み重ねが組織の信頼につながっていくことを学びました。
人事としての“現場感覚”が培われた時期だったのですね。
そう思います。当時は制度運用に追われながらも、現場を理解しようと足を運びました。コンビニエンスストアに設置されたNECのデバイスを見て、「これがどう価値を生むのか」とエンジニアや営業に質問していました。ビジネスを“外から見る”のではなく、“一緒に感じる”姿勢を大切にしていました。
その後、金融部門も担当されたそうですね。
はい。最後の1年ほどは金融グループを担当しました。事業部長が「もっと現場に入りなさい」と声をかけてくださり、金融グループの幹部会議にも参加させてもらいました。ちょうどコロナ禍で、金融システム開発の現場がリモート化できない中、安全確保をどう実現するかという難しい局面でした。毎日行われる緊急会議に人事の代表として参加し、感染防止策や現場支援を提案する。ビジネス継続のために人事が“現場の一員”として価値を発揮できた経験は、今でも強く印象に残っています。

コロナ危機と組織改革 ― 「その時、何ができるか」を考え抜く
コロナ禍の現場対応は相当大変だったのではないですか。
本当に大変でした。感染初期の頃は、社内でも大きな緊張感がありました。当時はまだ感染防止のアクリルパーテーションすら出回っていない時期で、「どうにかして少しでも安心して働いてもらえる環境を確保しよう」と考えていたところ、府中事業場の生産現場で、現場資材を使って手作りで飛沫防止カーテンを自作している話を聞きつけました。現場の人に相談し、業者を紹介してもらい、資材を組み立てて設置して……。社員が少しでも安心して働けるように、できることを一つずつ積み重ねました
まさに「現場主導の人事」ですね。
そうですね。その場で何ができるかを考え、動くこと。これはあの時期に学んだ大切な教訓です。もちろん、私一人でできたことではなく、周囲との信頼関係があったからこそ。困っていることを相談してくれる同僚がいて、予算面で支援してくれる上司がいて、みんなの協力があって実現できた対策でした。
その後、人材組織開発部での役割に移られたそうですね。
はい。2020年に異動し、その翌年2021年4月、現社長の森田の就任と同じタイミングで、幹部人事と全社組織設計をリードすることになりました。新体制をつくるため、翌年度の幹部構成を設計し、社長の意思決定を支えることが主な役割でした。アセスメントを実施し、適所適材の観点から人材を見極め、組織構造を見直す――社長と直接やりとりをしながら、課題の整理やビジネスユニットとの調整を何度も重ねました。
経営トップと直接関わる仕事、難しさも大きかったのでは?
最初は正直、森田の意図がうまくつかめませんでした。発言の背景や狙いを理解するのに時間がかかり、3か月前に言っていたことはこういう意味だったのか、とあとで気づくといったこともありました。当時、NECには150近い事業部があり、サイロ化によって情報も資源も分断されていました。森田は「組織を大括りにして、構造を根本から変える」と言われたのですが、当初はその本質的な意味が分からず、“構造を簡素化すればいい”と表面的に捉えていました。
私は与えられたタスクをこなすことで精一杯で、その背景の意図を汲み取る余裕がなかったのです。当時の自分には、社長の言葉を“自分の言葉”に翻訳する力が足りなかったと感じています。
そこからどんな気づきを得たのでしょう。
時間をかけて分かったのは、彼が目指していたのは“組織のあり方の再定義”だったということ。変化の激しい時代に対応できるよう、事業の枠組みやリーダー層のあり方をゼロベースで見直すこと。その真意を理解できたのは、実際に改革を走らせた後でした。組織を40本ほどに再編し、階層も削減しましたが、初年度は手探りの連続。それでも、「変えることを恐れず、考えながら動く」ことの意味を強く学びました。
“制度から人”、人材開発の新たなステージへ
その後、経営層との関係性にも変化が?
はい。2年目に入る頃から、徐々にコミュニケーションが増え、対話の中で森田の考え方を少しずつ理解できるようになりました。その過程で、経営者がどのように全体を見て、課題を設定し、解決の筋道を描いていくのか――その思考のプロセスを間近で見ることができたのは貴重な経験でした。
そして現在の役割へ。
はい。2025年から人材組織開発統括部長として、いわゆるHRの中のCoE(Center of Excellence)を統括しています。採用、報酬、評価、要員計画、タレントマネジメントなど、専門性の高いチームを束ね、NEC全体の人事施策を推進する立場です。2024年度にはジョブ型人材マネジメントを本社と多くのグループ会社で導入し、制度とプラットフォームの整備が一段落しました。これからは、その仕組みの中で「人が120%の力を発揮できる環境をどう作るか」というフェーズです。
まさに“制度から人へ”というシフトですね。
そうですね。これまでの5年で仕組みは整いました。次のテーマは、それをどう“活かす”か。制度を目的化せず、現場と連携して、人の成長やエンゲージメントにどうつなげていくかを考える段階に来ています。正直、まだ“楽しい”と感じる余裕はありませんが(笑)、この挑戦が次のNECをつくる礎になると信じています。
タレントマネジメントの進化と、組織に広がる“知恵の掛け算”
現在の人事領域では、どのような変化を感じていらっしゃいますか。
以前は、幹部人事やタレントマネジメントといった限られた領域に注力していましたが、今は採用(タレントアクイジション)や報酬など、関わる範囲が大きく広がっています。その分、学ぶことも多く、インプットされる情報の質や量がまったく変わりました。視野が広がっていく実感がありますし、それを前向きに捉えていますね。
新しい領域に挑む中で、どんなことを意識されていますか。
恥をしのんで部下に教えてもらうことも多いですよ(笑)。ただ、20年以上人事の現場で培ってきた経験が、自分の判断軸のベースにあります。過去に見て、聞いて、判断してきた蓄積があるからこそ、大きくは間違えないという感覚があります。半分は自信、もう半分は学び続ける努力。その両輪で動いている感じですね。
チームの構成も多様になっているそうですね。
はい。今のチームは約60名で、うち6割弱が新卒入社(プロパー)、4割強がキャリア採用のメンバーです。以前に比べてバランスが良くなってきており、まさに“知恵のミクスチャー”という状態です。キャリア入社のメンバーが持つ外資系や異業種の経験値と、プロパーが持つNEC文化の深い理解。その二つが掛け算になって、チームとしての厚みを生み出しています。
文化の融合が進んでいるのですね。
ええ。以前は「プロパー側」「キャリア側」という壁はあったかもしれませんが、今ではほとんど感じません。領域によって構成比は異なりますが、例えば以前からある報酬系はプロパーが多く、最近新設されたタレントアクイジションはキャリア人材が中心。お互いの知恵を持ち寄り、チームとしての成果を最大化していく――そんな空気が生まれていると感じます。結果として、組織全体がより開かれ、活発に議論できるようになってきました。

文化を変える力 ― 「NEC Way」とともに進化する組織
ここ数年、NECの企業文化が大きく変化した印象があります。どのような手応えを感じていらっしゃいますか。
この数年間で、私たちは制度や仕組みの“プラットフォームづくり”を一気に進めてきました。ジョブ型人材マネジメントをはじめ、文化変革の基盤となる仕組みを整えられたのは、社外から加わった人材たちの知見とスピード感によるところが大きいと思います。その力を活かし、NEC全体の仕組みを変えることができた。これまでの5年間は「整備と構築のフェーズ」だったと感じています。
その次のフェーズでは、どのような役割が求められているのでしょう。
これからは「仕組みを生かすフェーズ」です。出来上がった制度をどうNECらしく活用し、社員一人ひとりの活躍につなげていくか。経営やビジネスリーダーと対話を重ねながら、人事の言葉で経営課題を翻訳し、現場に浸透させる。そうした“橋渡し”の役割が今の私の仕事の中心です。私自身も、このフェーズこそ自分の力が生かせる時期だと感じています。
経営成果にも明確な変化が見られますね。
はい。直近の中期経営計画の期間で、従業員数がほぼ横ばいのまま、利益は倍増しました。生産性が向上した背景には、マネジメントレベルの底上げがあります。どんな仕事を取るか、どう収益を生むか、その判断を支える仕組みと人材が整ってきた。CEOの強いリーダーシップのもとで、「やるべきことをやり切る」体制が確立した結果だと思います。
NECの文化を支えている仕組みにはどんなものがありますか。
象徴的なのは「NEC Way」です。パーパスを実現するために必要な価値観や行動規範を定めたものですが、それを単なるスローガンで終わらせない仕組みをつくっています。たとえば、創立記念日(7月17日)には「NEC Way Day」を設け、全社員がチーム単位で「NEC Wayと自分の仕事との関わり」を話し合います。この対話を毎年欠かさず続けることで、パーパスが組織文化として根づいていくのです。
まさに文化の“定着化”ですね。
そう思います。一過性のキャンペーンではなく、日常の対話の中で文化を醸成する。それがNECの強みであり、今の成果を支える原動力だと感じています。変革を継続しながら、次のステージでは「仕組みを活かす人」を育てていく――それが私の新しいチャレンジです。
AI時代における人材戦略と、カルチャーが生む“120%の力”
今、事業環境が大きく変わりつつある中で、人材戦略はどのように進化しているのでしょうか。
大転換期に入っていると感じます。その象徴がAIです。AIネイティブな時代において、求められるスキルや人材像はこれまでとはまったく異なります。たとえば、私たちが今推進している「BluStellar(ブルーステラ)」という価値創造モデルでは、NECが持つ技術をお客様の課題解決につなげるシナリオとして体系化し、価値として届ける力が求められます。それを実現するためには、シナリオを設計できる人材と、それを行動レベルに落とし込むエンジニア――両方が欠かせません。
AI時代に合わせた人材ポートフォリオづくりが必要になるということですね。
はい。今まさに次の中期経営計画の策定と並行して、「AIネイティブ時代における人材戦略」をアップデートしているところです。実は、人材マネジメントの仕組みは過去から大きく変わらず、大まかにいうと①インフロー(採用)、②アウトフロー(流動化)、③リテンション(定着)、④リスキリング(再教育)、そしてそれを支える⑤カルチャー。この5つで構成されます。では、これをAIネイティブ時代においてどのようにアップデートしていくのか。制度や枠組みを整えるだけでなく、社員が自ら成長し続ける環境をどう設計するか――そこに重きを置いています。
カルチャー面では、どんな変化を目指していますか。
これまでは多様な人が集い、それぞれが力を発揮できる「インクルーシブなカルチャー」をつくることを目標にしてきました。結果として、毎年600名を超えるキャリア採用を実現し、組織の空気感は大きく変わりました。次のステージで必要なのは、“集った多様な人材が学び、挑戦し続けるカルチャー”をつくることだと考えています。
社員の“内発的な動機づけ”をどう引き出していくのでしょう。
ここが一番難しいところです。上司が「頑張れ」と言っても、やらされ感では続きません。大切なのは、自分の内側から湧き上がる動機づけです。そのためには、役割やミッションの期待を“行動化”することが重要だと思っています。つまり、ポジションごとに「どんな行動を求め、どんな成果を期待するのか」を明確にすること。それをピープルマネージャーがきちんと伝え、支援する仕組みを整えることが、カルチャー浸透の鍵になります。
これからの人事に求められる役割をどのようにお考えですか。
人事の仕事は、結局のところ「人と組織の力を最大化する」ことに尽きます。そのために、採用・定着・育成・変革というサイクルを回し続ける。AI時代においても、人を中心に据えるという考え方は変わりません。仕組みをつくるだけでなく、それを通じて一人ひとりが輝ける文化を育てていく――それが、これからの人事の使命だと思っています。

目標設定の文化と、リーダーシップの継承
目標設定の仕組みが社内で定着しつつあると伺いました。
はい。ようやくここ数年で、「自分で目標を立て、それにコミットする」という文化が根づいてきました。MBO(目標管理)を通じて、自らの目標を明確にし、上司と部下が定期的に対話することが当たり前になりました。最初は6〜7月になっても半分以上が目標を立てていないような状況でしたが、地道に仕組みを整え、1on1の文化を根づかせていったのです。回を重ねるうちに、上司が部下の目標を一緒に考え、定期的に振り返るようになり、今では“当たり前のマネジメント”として定着しました。
改革を支えたリーダーの存在も大きかったのでは。
間違いなくそうです。前任の人事ヘッドが、何度も何度も「目標設定と対話の重要性」を口にしてきた。正直、最初は「そんなに言わなくても」と思うこともありましたが(笑)、その“繰り返す力”こそが、NECを変えたのだと思います。厳しさと誠実さを併せ持つ人事ヘッドから学んだことは、今でも私の中に強く残っています。
吉永さんご自身も、その影響を大きく受けた?
ええ。自分でも驚くほど、考え方が変わりました。以前は、目標を立てることにそこまで意味を見出していませんでしたが、彼らと仕事をする中で「目標とは、自分を引き上げるための仕掛け」だと理解するようになりました。社員が今ある力より少し高いところに目標を置き、“やってみたい”と思えるような環境をつくる――それこそが人事の役割だと。
リーダーシップの継承という意味では、今のご自身のフェーズはどのように捉えていますか。
変革というと“壊す”というイメージがありますが、今の私は、“壊す”のではなく“整える”フェーズにいると思っています。前任の方々が築いた変革の流れを止めないこと、そして次の世代に確実に引き継ぐこと。変革を継続させるには、“情熱”だけでなく“仕組み”が必要なのです。その両方をバランスよく持つことが、今の自分に課せられた使命だと思っています。
ご自身のリーダーシップスタイルをどのように表現されますか。
私は自分を飾らず、正直にさらけ出すことを大切にしています。自分の弱みも強みもオープンにして、相手に理解してもらう。そうすることで、相手が「この人となら頑張れる」と思える関係が生まれると思うのです。信頼関係の起点は、誠実さと率直さにある。私はそれを自分の“武器”としてきました。
信頼をベースにしたリーダーシップですね。
はい。特にダイレクトレポートのメンバーには、言葉にせずとも伝わるような関係性を築けていると感じています。ただ、組織が大きくなるほど、自分の想いやビジョンは伝わりにくくなります。だからこそ、最近は“言語化”を強く意識しています。言葉やイメージとして伝わるように、ビジョンやMVV(Mission・Vision・Value)を丁寧に整理して共有する。それが今の自分の課題であり、挑戦でもあります。
これからのリーダーに必要な資質とはどう考えていますか。
「誠実さ」と「粘り強さ」です。変革は一朝一夕には成し遂げられません。目標設定もリーダー育成も、最初は時間がかかります。でも、信じてやり続けることで必ず組織は変わる。私自身がそれを実感してきました。だからこそ、次の世代にも「諦めずに伝え続けるリーダー」であってほしいと思っています。
個の強みを信じ、挑戦できる舞台へ ― 社員の成長を信じる力
社員の成長をどう支援していきたいですか。
まずは、社員にはもっと外の世界を知ってほしいと思います。経営チームのリーダーたちは、他社の経営者や異業種の人たちと交流することで多様な価値観を吸収していますが、ミドルマネジメント層ではまだその機会が限られています。だからこそ、「コンフォートゾーンから出ること」を意識してほしい。自分と異なる人、自分より優れた点のある人と出会い、刺激を受けることでしか成長はありません。
そして、私たち人事の使命は、社員が自らの成長を実感できるような機会を提供することだと思います。研修や制度だけでなく、日々の仕事や人との出会いを通じて学びを得られる環境をどう設計するか。その仕掛けづくりを、これからも粘り強く続けていきたいですね。
NECで働く魅力とはなんでしょう。
NECは、10万人規模のグローバル企業です。その分だけ、挑戦の機会は無限にあります。だからこそ、一人ひとりが自分の“武器”を信じてほしいと思います。どんな環境でも変わらない強みは必ずあるはずです。その強みを信じ、それを使って会社を変えるという気概で来てほしい。ブレずに、自分の価値を信じ抜いてほしいと思っています。
最後に、これからNECに加わる人へ期待することは?
是非とも遠慮せずに自分の想いを発信してほしいですね。「私はここが強い」「こう貢献したい」という意思を言葉にしてほしい。その明確さがあれば、私たちはその人に合った環境を用意できます。NECは今、変化の只中にあります。だからこそ、自分の力で組織を動かしたい人にとって、これ以上に刺激的な場所はないと思います。


