国内外でネットワーク機器の代名詞として知られるシスコシステムズ。いま同社は、AIやセキュリティを軸に、単なるインフラ提供企業から“未来を支えるプラットフォーマー”へと進化を遂げようとしています。その変革期に、人と組織の力を最大化する役割を担っているのが、執行役員 人事本部長の志津野 敦 氏です。今回のインタビューでは、ロサンゼルスでの原体験から始まるキャリアの軌跡、グローバル企業で培った人事戦略の哲学、そしてシスコシステムズにおける自律分散型組織とリーダーシップの未来について、志津野氏の想いを伺いました。
ロサンゼルスでの原体験とキャリアの原点

幼少期はロサンゼルスで過ごされたと伺いました。
父の転勤で家族と渡米し、現地の学校に通っていました。日本人やアジア系のコミュニティも多く、安全な地域で育ちました。ただ日本に戻ってからはカルチャーギャップもあり、日本独自の校則や校風に最初は慣れませんでした。完全に馴染むには時間がかかりましたが、今思えば“鈍感力”が助けになったのだと思います。あまり気にせず受け流すことが、レジリエンスにつながったのかもしれません。
大学卒業後に入社された企業では営業からスタートだったとか。
はい。最初に入社した会社では営業からスタートしました。営業として顧客に向き合い成果を出す過程で「人と組織」に関わることへの関心が強まりました。営業経験は今でも大きな財産ですし、人事を志す基盤になったと感じています。
人事の真髄を学んだ師との出会い
その後、人事に携わられたそうですね。
営業を経て人事部へ異動しました。当時は人事部長が不在で、法務部長が兼務していたため、社長と直接やりとりすることが多かったのも成長速度を高められたと思っています。人事制度の見直しや就業規則の改定などを手探りで進め、若いうちから経営会議に出席するなど貴重な経験を積ませてもらいました。ただ、独学には限界を感じ、次第に専門性を磨く必要性を痛感しました。
その後のご転職で立ち上げフェーズである会社を選択されています。立ち上げフェーズである企業を選ばれた理由は?
やはり制度づくりから採用、組織運営まで幅広く携われる点に魅力を感じたからです。限られた資金と時間の中で全てを形にしなければならない。今思うとその緊張感の中で、多くのことを吸収できたのは若さゆえに挑戦できた経験だと思います。
そこで師となる方との出会いがあったのですね。
そうです。その会社で出会ったHR Directorから、人事の本質を徹底的に学びました。その方は手を動かすよりも本質を見抜く力に優れていて、私は資料作成を担いながら、その判断の仕方を間近で吸収しました。「人事は制度を作ること自体が目的ではなく、経営判断を支えるためにある」という視点を得たのは大きな財産です。
当時は、組織の変化が激しい状況下で、組織計画を財務戦略と連動させつつ、中で働く人々の採用・評価・モチベーション管理を両立させる必要がありました。非常に難しい局面でしたが、上司の指導を受けながら実践することで、人事の役割がいかに多面的であるかを学びました。
グローバル人事で培った調整力と適応力

日本向けだけではないグローバル人事経験は、その後に入社した航空会社の立ち上げが最初だったそうですね。
はい。外国人社員との面接やインタラクションを本格的に行ったのはその会社が初めてでした。日本のニーズとグローバルの方針をどう調整するかは大きな課題でしたし、今も難しさは残っています。そのバランスを探りながら意思決定を積み重ねていったのが大きな学びでした。
意思決定の際に意識されたのはどんな点ですか。
常に「目的は何か」「最終的なアウトカムは何か」を考えるようにしました。例えばインダクションでは、単にグローバルのマニュアルをそのまま導入するのではなく、日本人社員に伝わりやすい順序や表現にローカライズする。そうすることで初めてカルチャーが浸透すると感じました。
ターンアラウンドと利益追求の実践
ファッションECサイトを運営するGILT社ではどのような役割を担われたのですか。
当時はまだベンチャー色が強く、トップラインを追求する一方で、コスト管理は十分ではありませんでした。私に求められたのは、成長を維持しつつ利益を生み出す仕組みを整えることでした。人員を増やさずに売上を伸ばし続けるために、組織デザインやアサインメントを見直し、プロセスそのものを構築することに注力しました。
利益改善の鍵は何だったのでしょうか。
一人ひとりの役割と貢献を明確にし、エキスパットを減らしながらローカルの戦略にマッチした人材を登用した点が大きかったと思います。リーダーシップチームでファイナンス状況とフォーキャストを頻繁に議論し、資金繰りを綱渡りで乗り越える日々もありましたが、四半期単位で黒字化が進み、最終的には米国本社がビジネスを売却する決断するに至りました。
難しい判断を伴う場面も多かったのでは。
そうですね。エキスパットを本国に戻すなど厳しい判断も必要でした。ただし、GILTで作ることができたチームワークとカルチャーが常に大きな壁を乗り越える原動力となっていました。最適なカルチャーを作ってこそ、ビジネスの成長と組織の最適化の二極を同時に進められるのだと実感しました。
その後、MONCLER(モンクレール)との出会いがあったのですね。
そうです。MONCLERの本国グローバルCHROがITやテクノロジーのバックグラウンドを重視点や、日本法人の社長の熱意や考え方に惹かれたのもありましたが、モンクレールが実行に移そうとしていた戦略に強く惹かれて入社しました。組織課題もいろいろとありましたが、それこそ自分が挑戦すべきフィールドだと感じたのです。
MONCLERでの挑戦とニューヨークでの試練

モンクレールでのミッションについて教えてください。
大きな使命はブランドとして掲げていたリテール戦略に貢献することでした。接客、デジタルを活用した顧客体験の向上など様々な取り組みがありました。人事としてはストア組織の刷新、等級制度や専門スキルの明確化、採用とトレーニングなどに携わりました。
具体的にはどのような改革を行われたのですか。
従来の曖昧な職務を廃止し、代わりに役割の明確化やキャリアパスとジョブグレードを整備することでした。店長を目指す道だけでなく、トップセラーとして専門性を極める道も提示し、継続的に成長する機会の両立を目指しました。現場のスタッフと直接関わり、成果や成長を一緒に喜べたことは非常に楽しい経験でした。
ニューヨークでのアサインメントも経験されたのですね。
はい。当時アメリカの人事部長が不在の時期があり、私がインテリムで代行しました。2週間ごとに東京とニューヨークを往復する生活は肉体的に非常に厳しかったですが、南北アメリカをカバーする貴重な経験になりました。限られた期間で「これを必ずやる」と明確に目標を絞り込んだことでミッションの達成につなげることができました。
海外での仕事に違和感はありませんでしたか。
自分自身はアメリカでの生活経験もあり、現地社員とも自然にコミュニケーションが取れました。むしろ日本人の人事ヘッドが現地を指揮することに驚いたのは向こうの方かもしれません。私自身は「優秀な人材が周囲にいるから何とかなる」という信頼感がありました。
テック企業での挑戦とAPAC全体を見据えた人事戦略
その後Indeedやエクイニクスに転職された理由は何でしょうか。
テック企業で先進的な人事をもっと実践したいと思ったからです。両社とも米国テック企業でしたし、それぞれのユニークな組織構成も魅力的でした。売上を増やす成長期にあり、人事として大きな可能性を感じました。
2社では具体的にどのようなミッションを担われたのですか。
私はAPAC人事のロールで、日本に限らずシンガポールや複数の国の人材配置や役割の最適化を担いました。人材の役割と期待値を明確にし、どのようにコラボレーションさせるかが重要でした。加えて、各国のステークホルダーや本社とのリレーション構築も不可欠で、透明性を高めながら会議体を設定し、日本の中、そしてAPACとしての一体感を醸成することに注力しました。
印象に残っている学びは何ですか。
多国籍メンバーに「日本のことだけでなくAPAC全体を見て意見を述べている」と感じてもらうことが肝心でした。そのため、各国のベストプラクティスを共有しながら、リージョンへの貢献意識を持てるサイクルを意識的に作り出そうとしました。結果として、個々の能力が発揮され、組織全体がスケールする感覚を得られたのは大きな経験でした。
シスコシステムズの戦略とリーダーシップの現在地

現在のシスコシステムズで取り組まれている組織づくりについて教えてください。
まだ取り組みの最中ですが、トップダウンの意思決定ではなく、自律分散型の組織を目指しています。同じ行動指針を持ちながらも、社員一人ひとりが主体的に考えて行動し、組織のすべての単位でエンパワーメントが推進されているそのような組織を形作ることを重視しています。製品ポートフォリオの広がりやAI活用の加速に伴い、お客様への提案の在り方も進化しています。その変化に合わせてカルチャーが相互に進化している段階です。
製品や市場の変化が人材面に与える影響は大きいのでしょうか。
はい。シスコシステムズは従来のネットワーク機器のイメージから、AI時代に不可欠なセキュリティやインフラ全般を担う企業へと変貌しています。
2024年にシスコシステムズが買収したSplunk(スプランク)との連携を含め、異なるチームが迅速にスクラムを組めるように、事前にスタイルをすり合わせ、相互理解を深めることが重要です。これにより、新しいシスコシステムズのカルチャーを築く素地が更に整っていきます。
リーダーシップ面での課題は何でしょうか。
一番の課題はマインドセットの硬直化が起きないように注意をはらっていくことです。「過去に試して失敗した」という理由で新しい挑戦を退けるのではなく、今の環境だからこそ再び取り組むべきものもある。その柔軟な発想を浸透させる必要があります。変化へのアジリティこそが、これからのリーダーシップに不可欠だと考えています。
社員一人ひとりのリーダーシップも求められるのですね。
その通りです。シスコシステムズにはもともと「自立と裁量」を尊ぶ文化があります。単に自分の業務を完結するだけでなく、組織全体を見据えた主体性を発揮することが求められます。その価値を改めて共有し、いかに社員が自律的に行動できるか――これが今後の課題であり可能性だと感じています。
シスコシステムズの組織はフラットな印象があります。
そうですね。階層は薄いですが、新卒からの年次や在籍年数といった序列意識はまだ残っています。ただ、自立分散型の組織を志向し、お客様に迅速かつ責任ある提案を行うことで、従来のヒエラルキーを超えていく動きが加速しています。
シニアメンバーのリーダーシップはいかがですか。
現在約30名規模でシニアリーダーシップを構成しています。多様なバックグラウンドを持つメンバーが集まっています。新卒入社で成長してこられた人もいれば、中途で中小規模の組織を率いた経験を持つ人もいる。バランスの取れた構成になってきていると思います。テクノロジーや市場に精通したエキスパートが多く、経営だけでなく人材育成にも理解が深い点は強みです。
課題はどのあたりにあると感じますか。
やはりアジリティの面ですね。過去の成功体験に基づき、既存のやり方を守ろうとする力が働きます。同じことを繰り返せば同じ結果しか得られません。そこでスピードを上げ、異なるアプローチでより大きなインパクトを生む必要があります。
御社の戦略とも連動しているのですね。
はい。弊社ではセキュリティ、サステナビリティ、AIという3つの柱を掲げています。特にAIを活用したセキュリティ分野では、ネットワーク機器の自動化や提案機能を強化しており、これがシスコシステムズを選んでいただく大きな理由となっています。また、ネットワーキングアカデミーを通じた人材育成など、社会全体に貢献する取り組みも重視しています。
IT業界の人事ではデータ活用が進んでいる印象があります。
そうですね。弊社でも人事データをダッシュボードで瞬時に確認できる仕組みがあります。私は「データを見て直感が働き、それを再びデータで検証する」というサイクルを大事にしています。データだけでは想像力が広がらず、単なる数字になってしまう。直感とデータの掛け合わせこそが、人事を動かす原動力だと考えています。
御社で特徴的な仕組みはありますか。
「ウィークリーチェックイン」という制度があります。社員が毎週、良かったことや困ったことなどをシステムに入力し、マネージャーがコメントを返す仕組みです。これにより、チームの状況や個々の状態をリアルタイムで把握しやすくなります。効果的なツールがあっても使いこなせなければ意味がないので、リーダーの適性も問われる取り組みだと思います
好奇心と想像力がキャリアを切り拓く

これまでに色々な業界でのご経験を振り返り、人事に求められる資質として、何が重要だとお考えですか。
まずは好奇心、そして想像力だと思います。想像力といってもゼロから新しいものを生み出すというより、‘既存のものの形を変えて組み直す力’です。好奇心を持って物事を観察し、変化を加えていくことで新たな発想につながる。その習慣を怠らないことが、人事としての成長を支えてくれると考えています。
一方で、好奇心や想像力は簡単に身につけられるものではないですよね。
確かに難しい部分はあります。ですが、日々の会話や多様な情報と交わることから学ぶことは多いです。人の思考や行動パターンを理解し、影響を受け仮説を立てながら自分に取り込んでいく。そうした積み重ねによって自然と想像力も養われていくのだと思います。
AI時代における人事の役割についてはどう見ていますか。
AIは便利である一方、答えを均一化し、思考の幅を狭めるリスクもあります。だからこそ「本当に正しいか」「面白みがあるか」と常に問い直す姿勢が必要です。人間にしかできないのは、未来を予見し、将来起こりうる変化を見据えて組織とカルチャーを組み直すこと。これはAIには簡単に代替できない重要な役割だと思います。
長いキャリアを通じて一貫して大切にしてきたことは何でしょう。
過去の成功体験にとらわれないことです。「前の会社でうまくいったから今回も」という思考はリスクになります。常に想像力を働かせ、異なる経験を組み合わせながら新しいアプローチを模索する。それが変化の激しい環境で人事を続けてこられた理由だと思います。業界や企業が変わっても、自分自身を固定化せず柔軟であり続ける――それが私のキャリアにおける信条です。
最後に、若手へのメッセージをお願いします。
私自身、キャリアは決して綺麗に積み上げてきたわけではありません。しかし、自分が鍛えたい能力に正面から向き合い、与えられたアサインメントやプロジェクトに全力で取り組んできました。大切なのは、そのチャンスを逃さないこと。結果として多様な経験を積み重ねることで、現在地にたどり着けたのだと思います。