留学と海外拠点立ち上げで培ったグローバル感覚
これまでのご自身のキャリアについて教えてください。
大学卒業後、医療や健康管理という点で世の中に直接貢献できるヘルスケア産業に惹かれ、エーザイ株式会社に入社、コントローラーとして配属されました。当時は数字に対して苦手意識があり、配属直後は数字中心の仕事の厳しさに後ろ向きになりがちだったこともありましたが、3カ月ほどして、数字は単なる数量を示す記号ではなくて、その裏に様々なビジネス戦略があるのだと気づき、自分の仕事の意味が分かるようになりました。それからは、仕事がすごく面白くなりましたね。また、営業から開発、製造部門、管理部門と色々な部門を担当させてもらい、普通であればあまり会えないような会社の上層部の方々と、毎日のように顔を突き合わせて仕事をするという環境も、今思えば得がたい経験だったと思います。コントローラーとしての7年間で、ビジネスマンとしてのベースができたように思います。
その後、Kellogg SchoolへのMBA留学などを経て、アメリカの拠点の立ち上げと成長を担当させてもらいました。留学した時にアメリカの空気や文化はある程度理解していたつもりでしたが、ビジネスの場ではシビアに、自分が「どう貢献できるのか」を問われました。海外で、バックボーンの異なる人たちと共に働くときに私が意識したのは、現地に軸足をしっかりと置くということです。そうしなければ自分のバリューを発揮することはできないし、何よりもまず現地スタッフの信頼を得られないのです。日本国内の企業から海外勤務になると、良くて5:5、下手すると7:3くらいの感覚で、日本本社を向いて仕事をする人が多いのではないでしょうか。ですが、いつか日本に戻るからという考えは、現地スタッフに簡単に見抜かれます。本当に海外現地での任務を成功させようと考えるなら、やはり7割はローカル寄りでなければならないと私は思います。そういった姿勢は、まさにビジネス上の細かな意思決定や言動に現れるものです。現地の戦略や意思決定に対して、本社が何か意見してきた時、きちんと説明責任を果たして「大丈夫だ、任せてくれ」と説き伏せられるかどうか。どれだけその土地にコミットしているのか。その度合いを現地スタッフも本社の人間もよく見ているのです。
アメリカに7年間駐在したのち、今度はイギリスにあるヨーロッパの拠点にCFO(最高財務責任者)として呼ばれました。様々な文化を持つ国が集まるヨーロッパでの仕事は、多様性の中でどう折り合いをつけて一つにまとめあげていくかという難しさがあります。当時のトップはオーストリア人でしたが、トップの考えを、日本人の私が、イギリス人、フランス人、ドイツ人といった多国籍の仲間たちを巻き込んでどう組織全体に浸透させていくか。周囲と効果的なコミュニケーションをとって、トップの意思を伝え、活かし、成果につなげていくという役割は、責任が大きく、学ぶことが多かったように思います。
人の可能性を汲み取り、組織を形作っていく人事の面白さ
その後、どういった経緯で人事の仕事に携わるようになったのですか。
2005年に、突然会社から「これからはグローバル人事の時代だ。グローバル人事を君がやってくれ」と言われて、「まいったな」と(笑)。なぜなら、実は私自身それまで人事部にあまり良いイメージを持っていなかったからです。日本企業は人事権が非常に強いですから、人事部の決定に逆らうことは難しく、人事部といえば本人の知らないところで人を動かしているところ、くらいに思っていたのです。
ところが、実際に人事として仕事をしてみると、「本当に面白い仕事だ」と実感しました。これまで自分が経験したファイナンスやマーケティングには明確なルールや理論がありますが、人事は、人と人との化学反応で成果が出たり出なかったりします。一人として同じ人間はいませんから、一人ひとりの関係性や影響が容易には見えない。さらに、お金や物と違って、人財には無限の可能性があるわけです。それを汲み取り、どのようにして良い組織を作り上げていくか、それこそ人事の醍醐味だと思います。
どんな人でも、現状よりも少し挑戦的な役職への打診を受けたときには、チャレンジしたい気持ちと役割の大きさへの不安が入り混じります。そんな時に、会社側がその人に何を期待しているか、また現状で足りない部分をどう補って成長していくべきかというロードマップについて、本人と共に描いて成功に導くことも人事の大切な役目です。人事が、社員個々の力を伸ばしながら組織を形作っていくのです。時には思い通りにいかないこともありますが、変数が大きいからこそ、社員が役職を得て能力が花開き、羽ばたいていく姿を見ると、大きなやりがいを感じます。
その後、人事部門のトップとしてサノフィに転職されましたが、サノフィはどのような会社でしょうか?
サノフィは、過去に何度も大きな合併を繰り返して現在の形へと変わってきました。ヘルスケアを通じて社会に貢献したいという根底の思いは同じでも、社員一人ひとりを見ると、母体の違う人々が集まっているわけです。従って、社内のカルチャーということでは、多様性を受け入れる懐の深さがあると感じます。それと同時に、物事の変化に対する適応も早い。人に対しても、物事に対しても、非常に許容度が大きいのがサノフィの特徴です。
市場でのサノフィの立ち位置ということでは、サノフィの持つ“変化への対応力”という武器を、今まさに、最大限に発揮すべき段階だと考えます。設立以来、弊社の成長の促進力となってきたのは、処方薬の売上です。いくつかのブレークスルー医薬品の売上で伸びてきたのですが、医薬品業界には必ず浮き沈みがあります。ご存知のように、日本ではジェネリック医薬品の分野が大きく成長してきています。処方薬だけに頼ってビジネスを推進することはリスクを伴うわけです。
私がサノフィに入社した2011年12月は、ちょうど変革期に入っていく時期でした。医薬品メーカーは、二極化しています。一つは、限られた領域を深めてオンリーワンのポジションを築く戦略。もう一つは、事業を多様化し、製品の構成を幅広く持って成長していく戦略。サノフィは後者の道を選びました。今までやってきた仕事の延長線上には、第二の成長曲線は描けません。サノフィ・グループとして、ジェネリック、OTC(大衆薬)、ワクチン、動物薬、希少疾患の薬と、多くの分野へ既に進出しています。
業界の変革期に漕ぎ出す、自律的な人材・組織をつくる
ビジネスが多様化することに合わせて、サノフィではどのような組織・意識変革、そして人事戦略をとっているのでしょうか
日本のサノフィ・グループでは、「SHINKA」という標語を掲げて、一人ひとりが自ら考え、自ら行動する社員の育成を図っています。「SHINKA」には様々な漢字が当てられ、様々な意味を持ちます。その中で我々は、「進化:evolution」「深化:deepening」「新化:renewing」と、「真価:true value」「新価:new value」を、全社で共有しています。
繰り返すまでもないですが、医薬品業界はすでに変革期にあります。これまでは、リーダーが指し示した方向へみんなで力を合わせて進むことが、最も効率が良く、成果を出す方法でした。しかし、状況が刻々と変化する現在のビジネス環境では、トップダウン型の仕事の仕方は必ずしもベストではないのです。今のビジネス環境では、社員ひとりが、状況をどう感じて、どう反応していくかが生産性を高める上で重要です。新しいビジネス領域で、これまでとは違った経験を積みながら、積極的に市場のニーズを吸収して形にする企画力や提案力が求められるのです。
サノフィでは、「SHINKA」精神(マインドセット)を浸透させるために、まず我々リーダーの意識・行動改革を行いました。イントラネットに「今年、自分はこういうことをします」「こう変わっていきます」という「SHINKA宣言」を掲載しました。まずトップマネジメントが変わっていくことで、部長やマネジャーといったミドルマネジメント層には、良い意味でプレッシャーがかかったのではないかと思います。現在はさらに一歩進んで、「SHINKAリーダー」のリーダーシップの下、各部署の投票で選出された「SHINKAキャプテン」たちを中心に、社員一人ひとりが変わっていけるよう、全社を挙げて取り組んでいます。
マインドセット変革とともに、もうひとつの取り組みとして、仕事のプロセス・進め方を変えていきたいと考えています。一人ひとりの自律性を妨げないような指示命令系統を構築していけるかどうかが、大きなチャレンジです。私も含めたマネジメント層が、どれだけ部下のイニシアチブを尊重して許容できるか。そういう力こそが、今のリーダーには必要だと思います。
こういった仕事のプロセスの変革と、「SHINKA」活動を通じた思考や行動の変化が組み合わさったとき、サノフィは、次のステップに着実に歩みを進め、新たな成長の段階に入っていけるのではないかと思います。
人事戦略上でもっとも重要なことは、事業の多様化そして新製品の上市という成長戦略に沿った形で人財採用、育成がなされているか、人事制度はアラインしているか、能力は備わっているのか、そこにギャップは存在するか、常に自問自答することだと思っています。そしてギャップが存在するのであれば、どう埋めていくか、中長期的な視点から考え、実践していくことだと思います。将来の成長のために、人財と組織、リーダーシップ、すべてを整えていくことが私の最重要ミッションと捉えています。
人事として、どのような目標をお持ちでしょうか?
人事としては、日本から世界へ打って出るグローバルな人財を積極的に育てていきたいと思っています。フランス本社に行くたびによく言われるのが、「日本は売上・利益において大きな貢献をしている。しかしグローバルに活躍している日本人は少ないのでは」ということです。日本国内で大きな成果を残し、貢献している人はたくさんいます。しかし、日本を飛び出して、外国でその能力を活かしている人、また活かしたいと思っている人はまだまだ少ないのが現状です。フランス本社からしてみれば、世界中にある100カ国の拠点の中で、日本はNo.2の売上を誇る重要な戦略国ですから、どうやってその成果を達成しているのかに興味があります。また、中国などアジア太平洋地域の国々からみても、最高水準にある日本のナレッジやプラクティスを学びたいという強い思いがあります。そういった意味で、海外のサノフィでは日本人を受け入れる土壌が既にできているのです。
変革期にあるヘルスケア産業において、今後は、これまで日本国内で培ってきたナレッジやプラクティスに加えて、それ以上の価値を身につけていくことが必要だと思います。幸いなことにサノフィでは、フランス本社の人事部門も「日本には輝く人財がいる。広く世界中で貢献してほしい」と考えています。そういう背景もあり、若手から、部長・ラインマネジャー級の社員を海外に送り出すことに力を入れています。
海外に優秀な人財を送り出し、グローバルな人財を育てることは、会社全体としても非常に有意義です。このプロジェクトには、社員のキャリアパスを大きく広げる、次世代のマネジメント人財のパイプラインを厚くする、組織としての能力を高めるという大きなメリットがあります。人財育成を加速するには、投資が必要です。サノフィは、人財の可能性に積極的に投資をする会社であり続けたいと思います。外部から人財を獲得することも組織の活性化にとって不可欠なことですが、内部人財を育成し、登用していくことで、会社全体のモチベーションを維持、向上させることは、それ以上に重要だと思っています。人事のヘッドとして大切なことは、この点におけるバランス感覚だと思っています。
最後に、転職を考えている人へメッセージをお願いします。
転職について具体的に考え始めると、不安や恐れが先に立つものです。私も、45歳を過ぎて20年間以上働いた会社を辞めるときは、本当に悩みました。違う世界で新しい経験やチャレンジをしてみたいしたいという期待感と、今までのキャリアを捨てていいのだろうか、自分は新しい環境に適応できるのか、という不安感がせめぎ合っていました。それでも、悩み始めてしまったなら、思い切って飛び出したほうがいいと思うのです。
新しい世界に飛び出してみて、もし問題が起こったとしても、自分が変われば、その問題はひとつずつ解決できるものです。「前の会社はこうだった」とか「ずっと自分はこうしてきた」という今までの成功体験や固定観念にとらわれず、一旦すべて空っぽにしてみたら良いと思います。これまでの仕事で培ってきた経験や身についてきたリソースは、意識してもしなくても、新たな課題に向かうときに必ず活きてくるものです。ですから、新たな環境では、むしろまっさらな心持ちで、リ・スタートを切ってほしいと思います。