人生に繋がる“学び”と“志”

森本さんの原点について聞かせてください。
原点というと、環境が大きく変わった高校時代からかもしれません。公立の中学校から私立の高校に進学したのですが、そこには経営者の家庭の子どもなど、いわゆる“外の世界を知る同級生”が多くいました。家業を継ぐことを意識する人や、将来どう稼ぐかを真剣に考える同級生の価値観に触れ、公立中学では出会わなかった世界を知ったことで、「自分の世界はなんて小さかったのだろう」と衝撃を受けました。
大学では商学部を専攻されていますが、その選択にはどのような背景があったのでしょうか?
振り返ってみると、大きく二つのきっかけがありました。
一つ目は、高校1年生のときに経験した阪神・淡路大震災です。自宅が被災し、水も出ず、学校も休校になる日々の中で、「当たり前の生活」や「安心して暮らせる環境」がどれほど脆く、貴重なものかを思い知らされました。その体験を通じて“社会の役に立ちたい”という思いが、自分の中に自然と芽生えたように思います。
もう一つは、同級生との会話がきっかけで芽生えた「経営やお金の流れを理解したい」「価値が生まれる仕組みを知りたい」という興味です。
社会やビジネスの仕組みを学ぶことが、当時の自分にはとても新鮮でした。
その二つの理由が重なり、大学では商学部を選びました。マーケティングや会計、経営学など、企業の仕組みを総合的に学べる環境は非常に刺激的で、「企業はどう動き、どう価値を生み、どう稼ぐのか」を知ることがとにかく面白かったですね。
学びが“自分の人生とつながる実感”を持ったのですね。
そうですね。高校までの「勉強しなきゃ」ではなく、「知りたいから学ぶ」という感覚になりました。大学での学びは、その後のキャリアの土台になっています。
“働く”を考えた時間――アルバイト、金融志望、そしてNECへの決断
大学時代は、勉強だけでなくアルバイトも積極的にされていたとか。
いくつか経験しましたが、特に印象深いのはゴルフ場でのキャディの仕事ですね。18ホールを一緒に歩きながら、お客様とずっと話すのですが、プレイヤーは経営者やビジネスパーソンが多いのです。キャリアの話や事業の裏側など、普段学生が聞けないような生の話をしてくださる。ああいう時間はすごく楽しくて、経営に対する興味が一層深まりました。
就職活動では最初、金融業界を志望されていたと伺いました。
当時は金融再編の真只中で、業界としても大きな転換期でした。お金の流れを理解したい、しっかり稼ぎたいという思いもあり、素直に“金融が自分の道だろう”と考えていました。実際、早い段階で内定もいただきました。
そこから進路を再検討されたのは、何がきっかけだったのでしょう。
内定をもらって少し時間ができたとき、ふと立ち止まったのです。「本当に自分は、お金でお金を生む世界にずっと身を置きたいのか」と。父がメーカーの技術者で、ものづくりの現場を間近で見て育ったこともあり、価値を生むプロセスに触れる“実体のある仕事”への興味が再燃しました。
そしてちょうどIT革新の黎明期でもあったため、「これからの社会にインパクトのある領域に行きたい」という思いが強くなってきたのです。安心・安全に貢献するテクノロジーにも可能性を感じ、そこでIT業界を志すことにしました。
NECに決めた理由はどこに?
面接で、一番“本音が言えた”会社だったことが大きいです。就活用のきれいな回答ではなく、自分が考えていること、悩んでいること、そのまま受け止めてくれる雰囲気があった。リクルーターの方ともたくさん話しましたが、誰ひとりとして“悪い人”がいなかった(笑)。
そして入社後、予想外の配属に。
まさに。希望は営業100%だったのですが、入社式の日に「人事」と書かれた紙を渡されて(笑)。正直ショックでしたね。人事のことを詳しく知らなかったので。でも今振り返ると、ここからすべてが始まったのだと思っています。
巨大事業部門で学んだ“現実”と、若手人事としての無力感

携帯電話事業部門の人事としてキャリアをスタートされた当時、事業部門はどのような雰囲気でしたか。
超巨大組織でした。2000人規模の組織で、まるで“一つの会社”のようでしたね。当時の携帯電話事業はまさに花形で、「目指せ1兆円」と大号令がかかるほど勢いがありました。技術で日本を良くしよう、モバイル技術で社会を変えようという熱気が渦巻き、事業部門全体が高揚感に満ちていました。そこに人事担当として入った私は、最初からとても刺激的な環境に放り込まれた感覚でした。
2000人規模にも関わらず、人事は3名だったと伺いました。
はい。人事3人で2000人を支える状況でしたので、本当に“なんでもやる”という世界でした。勤怠管理から配置、評価制度、海外展開のサポートまで、若手でも幅広い領域を任されました。事業本部長クラスと直接話す機会も多く、ビジネスがどう回っているかを肌で感じながら動けたことは大きかったですね。
中国展開にも同行されたそうですね。どのような学びがありましたか。
あれは衝撃でした。3年目の頃、中国市場で事業を本格展開しようというフェーズで、私も“カバン持ち”として同行したのですが……現地で感じたのは「これは勝てないかもしれない」という圧倒的な危機感でした。通信仕様は日本独自で、技術力はあっても世界展開には不利。販売台数のポテンシャルも桁違いで、勢いがまったく違う。「これでは太刀打ちできない」と現地の技術者も不安を口にしていました。
それでも本社の意思決定は「攻めるしかない」。
みんな心のどこかで難しいと思っていても、トップラインの数字を追わなければいけない。若手ながら、ビジネスの厳しさと“現場のリアル”を強烈に突きつけられました。
そこから事業が急速に縮小していった時、人事としてどんな思いを抱かれましたか。
正直、無力さを痛感しました。採用に力を入れ、昼夜稼働のシフトを組んで、必死に事業を支えていたのに、数年後には一気に撤退。社外への転進支援も担当し、20年以上第一線で活躍してきたベテランの先輩方を他社に送り出す仕事もすることになりました。
「この人は、誇りを持って働いてきたのに」
「もっと前の段階で、何か手立てはなかったのか」
目の前でキャリアの岐路に立つ人たちを支えながら、胸が痛む思いでした。入ったばかりの若手では何も言えませんでしたが、 “違和感を言葉にする重要性”を強く学びました。
今、もしも同じ状況に戻れたら、何をしますか。
人の成長には2〜3年かかることを見据えて、事業の勢いに流されず問いかけますね。「本当にこの採用ペースでいいのか」「このスキルは将来も活きるのか」と。事業は四半期で動きますが、人は時間がかかる。だからこそ、人事が“長い目”で意思決定に関わるべきだと、あの経験が教えてくれました。
激動の経験から学んだ“人事の本質”
携帯電話事業部門での経験を経て、次のキャリアではどのような経験をされたのですか?
コーポレート人事へ異動しました。当時は4年ほどでローテーションするのが一般的でしたが、携帯電話事業が混乱期だったこともあり、私だけ長く残っていました。ようやく環境が落ち着き始めた頃にコーポレートへ。そこで担当したのは新卒採用でした。リーマンショック前で、まだ採用意欲も高く、毎年800〜900名を採用していました。学生との対話も楽しかったし、イベントも豊富。数字として成果が見えやすく、「自分の仕事が事業に貢献している」と実感しやすかったですね。
それまでとは正反対の環境だったわけですね。
まさにそうでした。携帯電話事業部門での経験は尊いものでしたが、成果が見えづらい時期が多かった。その反動もあり、新卒採用の「施策を打つ→反応が返る→結果につながる」というサイクルは非常に刺激的でした。人材エージェントと大規模イベントを組んだり、競合他社の人事の方と情報交換したり……まるで営業やマーケティングのような感覚で、人材市場と向き合っていたと思います。
しかしリーマンショックが起こります。
はい。新卒採用は1年以上前に採用数を決めるため、市況の急変があっても、既に900人採用してしまっていたのです。配属先の調整で現場は悲鳴。
「いまはいらない」
「配属できない」
そう言われるたびに、事業と人事の距離の遠さを痛感しました。
人事が採った学生を“割り振られるもの”と捉える現場。
一方で、事業側のニーズとはタイミングがずれる採用サイクル。
その構造的なズレが、ずっとどこか引っかかっていました。
その違和感が、後の“戦略人事”への道につながっていくのでしょうか。
まさにそうです。「事業と人事が本気で一体化しなければ、組織は強くならない」と痛感しました。ちょうど世の中でも戦略人事が注目され始めた頃で、私は人事企画グループに異動し、3ピラー・モデル、いわゆるCoE(Center of Excellence)、HRBP、HRSS(Human Resources Shared Services)への組織変革プロジェクトの事務局に入りました。これは本当に面白かった。
“制度を回すだけの人事”から
“事業とともに未来をつくる人事”へ
その転換点に関われたことは、私のキャリアの大きなターニングポイントになっています。
“観客席の人事”から抜け出す――ビジネスの真ん中へ踏み込む決意
コーポレート人事に異動してから、“人事と事業の距離”が気になり始めたと伺いました。
ええ。当時、私は“事業をもっと良くしたい”と強く思っていましたが、現実は理想ほど簡単ではありませんでした。当時の経営企画部長から言われた一言が、今でも忘れられません。「人事は観客席に座っている」。これは本当に悔しかったですね。でも同時に、まさにその通りだった。労務リスクを指摘することや、「これはルール的にダメです」と伝えるばかりで、事業の意思決定には踏み込めていない。事業が縮小するときも、採用や配置の調整に追われながら、主体的な提案ができていない自分がいました。
“観客席に座る人事”という言葉は、どんな意味で響いたのでしょう。
要するに、リスクは語るけれど、責任ある意思決定に参加しない、ということです。事業のど真ん中ではなく、外側で助言するだけ。これでは会社は強くなれないし、人事自身が変われない。私はその状況に違和感がありました。
その違和感が、3ピラー・モデル(CoE・HRBP・Shared)への組織変革のプロジェクト参画につながった?
そうです。人事を“事業の伴走者”にするために組織を作り替える必要があると思っていました。制度を運用する業務はシェアードに集約し、専門性はCoEが担い、現場の戦略実行はHRBPが支える。当たり前のように見えますが、当時は大きな挑戦でした。私は事務局としてプロジェクトに入り、仕組みをゼロから整理していく過程に携わりましたが、これが本当に面白かった。事業と人事が“同じ方向を向くための土台”を作っていた感覚がありました。
その経験を経て、新たな思いも芽生えたとか。
はい。携帯電話事業も新卒採用も、どちらも貴重な経験でしたが、“伸びている事業”でHRを経験していないことが、自分の中でずっと引っかかっていました。そこでどうすれば成長市場で人事ができるのかを考え続けました。そしてようやくたどり着いたのが、アジア・パシフィックRHQ(リージョン本社)のHRBP(シンガポール)でした。
シンガポール赴任は強く望んで掴んだチャンスだったのですね。
はい。英語もまだ十分ではありませんでしたが、「行きたい」という意思を示し続けたことで、ようやく機会を得られました。決まってからは必死で英語を勉強しましたが、本当に大変だったのは現地に行ってからでした。
現地で見えた“成長する事業の感覚”とは?
まず驚いたのは、意思決定の圧倒的な速さでした。とある国で現地社長を採用する場面があったのですが、私は重要ポジションだからこそ慎重に選考を進めるべきだと考えていました。ところが実際には、一度会っただけで「採用する」と即断したのです。「優秀な人材は引く手あまた。他社に取られる前に決める」──その言葉に、成長市場のスピード感を思い知らされました。
日本とは比べものにならない速さで物事が進み、“機会を逃さないこと”を優先する。その環境でHRが求められる役割も、意思決定の基準も全く違います。その違いを肌で感じながら働けたことは、私にとって大きな学びであり、今も役立つ財産になっています。
国境を超えるタレントマネジメント ―― “何が言いたいか”を研ぎ澄ます力

シンガポールでは、現地の社長ポジションをローカル化していくタレントマネジメントにも携わったそうですね。
はい。アジア各国の現地法人では、まだ日本人社長が多かったので、それを徐々にローカル人材へ移管していく。まさに“事業を前に進めるための人事”をど真ん中でやるような仕事でした。成長市場ということもあり、“勢いで進む”カルチャーがかなり強い。良い意味でスピードが優先されるので、時間をかけて議論するより「やろう」「今やる」と決まることが多かったですね。
事業の最終的な意思決定はRHQが行ったのですか。
そうです。RHQのヘッド、CFO、CHRO、戦略責任者の4名が経営を回す、極めてシンプルな意思決定構造でした。日本の本社では人数が多すぎて見えない“経営の輪郭”が、ここでは毎日目の前にある。私は上司(シンガポール人)が日本語資料を読めなかったこともあり、幸いにも会議に同席することができ、発言機会も多くいただきました。怒られることも多かったですが(笑)、あの4人と膝を突き合わせて議論した経験は、大きな成長でした。
どのような場面で指摘されることが多かったのでしょうか。
主にスピードと、伝える力ですね。例えば、現地で起こった人事トラブル――その初動対応が遅れることや、方針の伝達にブレがあるとすぐに指摘されました。アジアは文化も制度もバラバラで、同じメッセージを伝えても国によって反応が異なる。統一された方針を、スピード感もって、どう各国の文脈に乗せて伝えるか。これは本当に難しかったです。
“伝え方”において意識していたことは何でしたか。
とにかく “何が言いたいのかをシンプルにする” ことです。日本語から英語へ翻訳するだけでも難しいのに、ロジックまで複雑だと誰にも伝わらない。だから最初に「私はこれをやりたい」と明確に置く。そして「ここまでは賛成」「ここは分からない」「ここはNO」と即座に返す。曖昧にしないことが大事でした。
特に、私は英語に不安があったので、曖昧な返事をしないように、分からない時はとにかくはっきり “No”や”I don’t agree.” と言うようにしていました。すると、相手は「こんなことも分かってないのか」と、より丁寧に説明してくれる。結果的に議論が深まり、相互理解が進む。言語のハンディがあったからこそ学べたことかもしれません。
アジア全体を飛び回る日々は、かなりエネルギッシュだったのでは。
本当にそうでした。毎月のように各国を回り、現地の経営陣と議論し、組織課題に向き合う。ものすごく尖っていたと思います。いい意味で“気合いと勢い”があって、自分で動き回りながらビジネスの中にいる感覚がありました。4年間の任期はあっという間で、もっと続けたかったほどです。
“アクセラレーター”としての人事――新事業の船に最初に乗り込む覚悟
シンガポールから日本に戻られた頃、NECも大きな変革期に入っていたと伺いました。
はい。まさに“これからNECが変わろうとしている”と強く感じていたタイミングでした。帰任にあたり、当時の上司と話す中で、私ははっきりと伝えました。「仕組みが完成された既存事業ではなく、人事がもっと価値を出せる場所に行きたい」と。日本の空気感も忘れかけており(笑)、遠慮なく言いたいことを言っていましたね。
その結果、新事業専門のユニットに配属されたのですね。
ええ、いまでも本当に感謝しています。配属されたのは、AI創薬やデータ利活用など、NECが未来事業として掲げていた領域ばかりを扱うユニットでした。当時200名程度の小さな組織で、“事業をつくる”ことに全振りしている場所でした。HRBPは3名。そのリードとして、本当にゼロから一緒につくるフェーズを経験できました。
どのような相談が多かったのでしょうか。
ほとんどが“事業そのもの”に関わる内容でした。
「このフェーズに必要な組織機能は何か」
「どんなタレントが必要で、どのように採れるのか」
「外部から迎える専門家の処遇はどう設計するか」
AI創薬やデータ利活用領域などは特に市場競争が激しく、NECの従来の報酬体系では採れない人材も多い。そこで、当該ユニットを“特区”的に扱い、柔軟な契約や報酬制度を導入する交渉をコーポレート人事と行いました。
その交渉にもエピソードがあったとか。
はい。あるビジネスリーダーから強く言われたのです。「森本さんが2週間悩んでいる間に、ライバルは2週間先に行く」と。これは本当に刺さりました。スタートアップの原理は“進むこと”そのものに価値がある。人事の判断が遅れると、事業拡大のチャンスを潰してしまう。そこで私は、「明日決めます」と覚悟を決め、コーポレート人事側を説得していきました。
意思決定への恐怖はなかったのでしょうか。
もちろん怖かったです。ただ、シンガポールでの経験もあり、“致命的なリスクにはならない”という感覚を持てるようになっていました。大事なのは、“決めないことのリスク”を理解すること。2週間の遅れが機会損失につながるなら、今決めることそのものが付加価値なのだ、と。
新事業のリーダーたちは皆、孤独で不安を抱えています。「自分はこれをやりたい」と思っていても、どう動けばいいのか一人では分からない。人事はそこに寄り添い、同じ船に乗り、時に背中を押す存在であるべきだと強く感じました。
“イネーブラー”ではなく“アクセラレーター”へ。森本さんの中で、大きな転換点ですね。
まさに。観客席からの助言ではなく、同じ船に乗り、方向を合わせ、スピードを上げる役割。それが新事業における人事の価値。意思決定には勇気が必要ですが、前に進めば進むほど信頼も生まれる。あのユニットでの経験は、人事としての覚悟を固めた、大きなターニングポイントでした。
“HRは経営の一員である”という覚悟――ビジネスイノベーションから統括部長へ

新事業ユニットでの濃密な経験の後、組織改編を経てビジネスイノベーション領域を担当されたのですね。
はい。新事業を担うユニットと研究所組織が統合され、「グローバルイノベーションビジネスユニット」という形になりました。事業化のスピードはコロナ禍で明らかに落ちました。潰れたプロジェクトも増え、「立ち上げること」より「維持・見極め」が問われるようになっていったのがこの時期でした。
そこから現在のHRビジネスパートナー統括部長に。どのような役割を担っているのでしょうか。
今は約200名のHRBPを束ねています。NECには約40の部門があり、それぞれが“独立した会社”のように経営していくことを目指しています。その経営チームに入り込み、部門のいわばCHROとして機能するのがHRBPの役割です。2023年にはビジネスパートナー改革という全社のプロジェクトが走り、「HRBPは経営メンバーの一員である」と位置づけられましたが、まだまだ“名ばかりBP”だった部分も多く、発展途上。ここを変えるのが私のミッションだと感じています。
HRBPの役割は会社ごとに大きく異なります。NECにおける最大のポイントは何ですか。
一言で言えば、“将来に向けた人材ポートフォリオの変化を、経営と一緒に描き、現状とのGapを競合よりも一早く埋める”ことです。環境変化が激しいIT業界においては、今あるスキルが5年後・10年後も必要とされるとは限らない。逆に、今は持っていないけれど将来不可欠になるスキルもある。
正解はない。でも仮説を持ち、3〜5年のスパンで議論を仕掛け、実行に移す。それがHRBPの価値だと思っています。
携帯電話事業時代の“苦い経験”がここでも生きているのですね。
まさにそうです。需要が急に落ちても、人はすぐには変われない。だからこそ、早めに仮説をぶつけておく。
「このスキルは将来、相対的に不要になるのでは」
「この領域の専門性を持った人材は市場にほとんどいない」
そんな話を率直に伝え、経営に意識を持ってもらうことが大事なのです。
200名のHRBPを束ねる立場としては、どのようなリーダーシップが求められるのでしょうか。
私の役割は “全体の力量を底上げすること” に尽きます。仮説を立てる力、経営と対等に議論する力、そして決めるべきときに決める力。どれも簡単ではありませんが、ここを鍛えないとNECは次のステージに行けない。環境変化のスピードはこれからの5年の方が過去の5年より圧倒的に早い。その危機感は強く持っています。
社内からも強いプレッシャーがあると伺いました。
はい。上層部からは「とにかくやることはやり切れ」「実行してくれ」と強く言われます。計画や施策を考えるだけでは不十分で、実行して組織に定着させて初めて価値になる。
“人の入れ替えを含む再配置”のような、人に関わる難しい領域にも踏み込みながら、NEC全体の変革を前に進める必要があります。正直、大変です。でも、今この時期に人事としてここにいられること自体、とてもやりがいを感じています。
NECは直近の5年間で大きく成長しました。次の5年に向けた経営戦略と、それに基づく人事戦略について伺えますか。
この5年間で業績が改善した要因の大きな一つは、経営が明確な意思を持って事業ポートフォリオを入れ替えたことです。その間にジョブ型を含む人事基盤を整え、ようやく“土台”ができました。次の5年はここから一歩進み、一人ひとりの生産性をどう高めるかにフォーカスしていきます。単なる効率化ではなく、“選ばれるジョブ”“コミットしたくなる魅力的なジョブ”を増やし、社員自身が価値を発揮できる領域に踏み出せる状態をつくる。これが次のフェーズです。
なので、エンゲージメントサーベイの「Strive(挑戦意欲)」のスコア向上も重要です。ジョブに対して前のめりに挑戦したいと思える環境を整えることが、次の成長の鍵になります。
“観客席の人事”を超えていく――HRBPに求められる姿勢とスキルとは
NECではHRBPの役割が以前よりも明確になり、責任範囲も広がっています。今、HRBPの仕事をどう捉えていらっしゃいますか。
制度や仕組みそのものは、CoE(Center of Excellence)部隊が柔軟性の高いものを整備してくれています。私たちHRBPの役割は、それらを“事業の起点で使いこなすこと”です。事業を伸ばすために制度をどう使うのか、逆にどこを改修すべきなのかを経営と対話しながら決めていく。単に制度を運用するのではなく、事業戦略を実行するために制度を武器として使う――まさにその価値が問われるフェーズに入っています。
HRBPにとって、重要な要素とは?
まず、重要な1つ目の要素はスタンスです。担当する事業をビジネスリーダーとともに成長させていく気概、とでも言いましょうか、「事業の意思決定に関わる」という感覚を持てるかどうか。
2つ目が 事業への興味。事業そのものに興味を持てるかどうか。
そして3つ目が 行動力。この3つはコンピテンシーとして非常に重要です。
事業側の受け入れ姿勢も重要ですね。変化はありますか。
確実に変わってきています。特に人材の出入りが激しい領域や、ビジネスモデルが大きく変わる領域では“HRがいないと事業が回らない”と感じていただけている。昨年は社長や部門長も巻き込み、ビジネスリーダーとHRBPの役割の在り方を議論するワークショップも実施しました。
HRBPに求められる“スキル”はどのように整理されていますか。
HRBPは人事全般の知識が必要ですが、深さより“広さと勘どころ”が重要です。これは労務系のリスクになり得るのか、自分たちの裁量で決められる範囲はどれぐらいなのか、といった判断を瞬時に行う感覚は経験で磨かれます。また最近は多様なバックグラウンドを持つ社員が増え、チームビルディングや対話会など、これまで以上にHRBPがファシリテーションや場づくりのスキルを活かす場面が増えています。
さらに、ファイナンスの基本的な理解もこれまで以上に必要性が増してきました。人件費・ヘッドカウントは事業の損益に直結するため、ファイナンスの方と人的生産性について議論できるレベルが求められます。幸い、これらのスキルはトレーニングや経験で育てることが可能です。
“決まっていない世界を楽しめるか”――AIと共に切り拓く、NECが目指す新しいHRBP像

HRBPを採用する際に、森本さんが最も重視しているのはどんな人物像でしょうか。
いまNECのHRが挑んでいるのは、制度も仕組みも“まだ固まっていない世界”を、事業と一緒につくり上げていく仕事です。人材ポートフォリオをビジネスリーダーやファイナンスと組んで描いたり、3〜5年後の事業運営の在り方を人事の観点で仮説を立てて提案したり……こうした“完成していない状態”を楽しめる人ですね。反対に、決められたことを着実に進めたいタイプだとかなり苦しいでしょうね。
つまり、HRBPは“事業と共に決めていく”立場なのですね
その通りです。部門単位で見れば、小さな“会社”の経営メンバーのようなもの。ビジネスリーダー・ファイナンス・HRBPでマネジメントチームを形成し、意思決定を担っています。
だから、「自分がそこで決めたい」「経営の真ん中に入りたい」という意識は必須です。 “自分がやらないと前に進まない”。そんな状況を楽しめる方が向いているのではないでしょうか。
「NECのHRBP」ならではの魅力は何でしょうか。
ひとつは、“役割の明確さ” です。BPは部門経営のマネジメントチームの一員という立ち位置が明確に位置付けられています。曖昧ではなく、権限も責任もはっきりしています。そしてもうひとつが、先進的なITの活用です。
NECはグローバルIT企業です。そして自らがゼロ番目のクライアントとして、積極的にITを活用していく“クライアントゼロ”という文化があります。社員の人事関連情報がデータとして蓄積されていますが、AIがそれらを解析し、例えば「2030年にxx億規模へ成長させるには、バリューチェーンのどの役割が不足しているか」「NEC内のどこにそのスキルを持つ可能性がある人がいるか」を瞬時に仮説として提示してくれる。
これまでBPの経験と勘に頼っていた部分が、データとして可視化され、それを土台に新しい議論ができるようになってきました。これは規模の大きく、グローバルIT企業のNECだからこそできる挑戦だと思います。
HRBPは難しい役割ですが、その分、挑戦しがいも大きそうですね。
本当にそうです。決まっていない状態を嫌がらずに、自分でつくりにいける人。AIも含む新しい人事基盤を武器に、事業の未来を一緒に描きたい人。そんな方には、NECのHRBPは最高に面白い仕事になると思います。
“第二フェーズ”のNECをつくるのは誰か――組織変革と人材育成への本音
NECは直近4〜5年でカルチャーが大きく変わったと言われます。次のフェーズとして何が必要なのでしょうか。
まさに“第二フェーズ”ですね。第一フェーズはトップリーダーが強烈なハンドリングで組織を変えてきた時期でした。不採算事業を止め、キャリア採用を増やし、会社としての“体質改善”を一気に進めた。それでようやく変革の地ならしができたのです。
これから必要なのは、40ある部門のリーダーや社員一人ひとりが自ら組織を強くするフェーズです。トップの力だけでは持続的な成長は作れません。部門長自身が「自分がこの事業を伸ばしてゆく」と覚悟を持ち、必要な制度を理解し、仮説を立て、意思決定していく。そして、社員一人ひとりが自らジョブを選びStriveしている。
そういう人が組織を本気で変えていけば、NECはもっと強くなると思っています。
そのためには、やはり“強いHRBP”が不可欠なのですね。
まさに。人事以外の課題であっても、なにか気になることがあれば遠慮なく突っ込み、リーダーであっても怯まずに問いかける。そういう“経営に踏み込む強さ”を持つHRBPは、今のNECの象徴的なロールモデルになりつつあります。
転職を重ねてきた方がNECでこそ力を発揮できているケースも多く、これは会社としての“器”が変わってきた証拠だと思っています。
採用の際に妥協したくないポイントは何でしょうか。
第一フェーズが終わった今、必要なのは「自分で選び、コミットし、つくりにいく人」です。自ら仮説を考え、周りを巻き込んでいける方にぜひ飛び込んできてもらいたいですね。
ただし経験が浅い人でも、「挑戦したい」という強い意志があれば、どんどん成長できると思います。
最後に、NECで働きたいと思う人へメッセージをお願いします。
第一フェーズが終わり、ようやく変革の地ならしができました。これからは、AI活用を含め、新しいHRBPのスタンダードを自分たちでつくっていくフェーズに入っています。他社に事例がない領域にも踏み込んでいきたい。そんな“白地の世界を楽しめる人”に、ぜひNECに来てほしいと思っています。
ありがとうございました。
Photo by ikuko
Text&Edit by ISSコンサルティング


