INTERVIEW
企業インタビュー

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マーシュ ブローカー ジャパン株式会社 下山浩史

その他 マーシュジャパングループインタビュー

マーシュ ブローカー ジャパン株式会社

カントリーマネージャー チェアマン、ジャパン クライアント サービス

下山浩史

大学卒業後、8年間の日系海運会社勤務を経てジョンソン アンド ヒギンス社入社。アメリカ西海岸北部における日系企業営業のリーダーとしてサンフランシスコ駐在を経験し、帰国後、マーシュ アンド マクレナンとジョンソン アンド ヒギンスの合併に伴う日本における業務統合コミッティーの一員となり、ディレクター 就任。2000年、マネージング ディレクター就任後、代表取締役、代表取締役社長を歴任。現在はカントリーマネージャーとして日本におけるマーシュグループの運営に注力している。

公開日:2013年10月15日
(インタビュー実施時の御所属・役職名にて
記載させて頂いております)

事実を積み重ねて、それを相手にきちんと伝える

マーシュに入社されるまでのキャリアパスを教えてください。

march_02大学卒業後は国際的な舞台で働くことを希望し、日系海運会社に就職しました。従業員300人ほどの小さな会社でした。私の主な担当はコスト管理と海外の代理店管理で、そこで勤務した8年で、緻密なコスト計算方法、契約書作成、交渉術などの仕事の基礎を固めることができました。中東の紛争地帯など政情不安定な土地に赴き、軍事勢力に押収されてしまった積荷を取り戻す交渉を試みたり、国境地帯では地元の警察に連行されたりと厄介なこともいろいろありましたが、どれも貴重な経験です。

社会人のスタート地点で学んだ交渉術の要諦は、事実を積み重ねて、それを相手にきちんと伝えるということ。そのために数字の裏付けや必要な資料を過不足なく準備する。それにどれだけ時間を費やしたかで、仕事の結果は大きく変わってきます。そのうえで事実を、相手が理解できるように誠心誠意を持って伝えれば、どんな国のどんな人にでも理解してもらえる ― 現在の仕事にも活きている教訓です。

仕事を覚え、醍醐味や達成感を味わえるようになってきた矢先、円高が進み、海運業界の斜陽化が始まりました。海運業界には昔から、同じ船に乗っている仲間は助けるという気風があります。このときも社内で、この船はもうすぐ沈むから若い社員から外に出せ、という声が上がりました。そして私に、「うちに来ないか」と声をかけてくれた会社がありました。後にマーシュに買収される保険の手配を行うジョンソン アンド ヒギンスの日本法人です。外資系企業への転職のチャンスが舞い込み、「保険」を通じて国際的な仕事に携ることになったのです。これもご縁があったのか、それから20年以上従事しています。

お客様にリスクマネジメントのアドバイスを行い、
最も適切な保険を選んでいただくことが私たちの役割

異業種への転職で戸惑ったり、困ったりしたことはありましたか。

march_03営業の経験がなかったので初めは戸惑うこともありました。でも、保険の手配という仕事の本質が、お客様である企業の持つリスクをわかりやすく表現すること、そのリスクに対して合理的に保険を調達するにはどうすればよいかを理解してもらうことだとわかってからは、戸惑うこともなくなりました。

当時の日本支社は日本に進出してきた外資系企業へのサービス拠点で、進出企業は半導体にしろ、食品にしろ、工場の建設ラッシュでした。我々はその現場に行って、エンジニアリング会社や大手建設会社との交渉も手伝いました。たとえば、工場内のスプリンクラーなどの設置内容によっては保険を引受けてもらえないケースもあります。安全基準が守られていないリスクの高い箇所は保険引受が難しくなるのです。それをいかにして適切な保険プログラムを提供できるようにするか― 日々奔走しながらも、それらの経験を通して企業の持つさまざまなリスクを学びました。

サンフランシスコに駐在されていましたが、ご自分から希望を出されたのですか?

当時、既に何名か海外に駐在員がいたのですが、サンフランシスコにも駐在員を出すことになり、私に声がかかりました。海外駐在の機会はあまりないので、これはチャンスだと思い切って7年間駐在しました。歴史的に日本の保険マーケットは保険会社が中心となって動いていますが、アメリカは完全なブローカーズ*マーケット。ブローカー企業も巨大で、専門性も幅広く、人材も豊かです。日本とは明らかに保険業界の仕組みが違う中で多くを学びました。

*保険ブローカー(保険仲立人)

とはいえ、最初は苦労の連続でした。まず言葉です。英語は得意で、海運会社時代も英語は交渉事には欠かせない商売道具でしたが、完全な英語環境、米国文化の中で、気の利いた会話や社交的な会話が思うようで出ず、戸惑いました。駐在初日に支店長からランチに誘われたのですが、ウィットに富んだ会話からは程遠く、彼の発言を一言たりとも逃さぬようにと、とても緊張したことを鮮明に覚えています。

駐在して最初の仕事が、担当する日系企業のうち、収益率の悪い小さな案件にお断りを入れることだったのです。着任の挨拶に行った先で「おたくの仕事からは手を引かせてほしい」と言うのですから、お客様のお怒りを買うわけです。針の筵のような状態で、辛さが身に染みました。

サンフランシスコでは、約250名いる事務所に、日本人は私だけでした。最初はお客様との話題づくりや情報収集に必要だからと日経新聞の購読申請を出しても、「1人しか読めないものに高い金は払えない」と断られ、接待費の承認を得るために上司のサインをもらいにいくと、「このときだけはお前の存在を感じる」と嫌みの一つも言われ、自分の熱意と結果が結びつかない難しい時期もありました。1年ほど経過してなんとか仕事が取れるようになってくると、事務所の仲間とやっと打ち解けることができ、話を聞いてもらえるようになりました。90年代は米国西海岸への日本からのテクノロジー関連の投資がまだ活発だったことも手伝って、仕事が取れてうまく回り始めると順調に成果を上げることができました。お客様からは、日本人で技術的な知識もあるからとお声をかけていただく機会が増え、日本のテクノロジーメーカーが投資をしていたアメリカ各地を駆け回り、担当していました。

アメリカでのモチベーションは何だったのでしょう?

何しろ仕事を覚えることが楽しく、毎日が充実していました。週末も出張で不在にすることが多く忙しい日々でしたが、日本で感じるような「仕事に追われている」というものではなく、自宅で子どもたちと遊ぶ時間もあり、それこそどんなに忙しくても自宅で夕食を家族そろって摂れるという掛け替えのない豊かさがありました。QOL(Quality of Life)が守られたうえでの忙しさとでもいうのでしょうか。

ただ、職を失うのではないかという危機感は常にありました。実際に、出張から帰ってくると米国人の同僚がいなくなっていたということもありました。米国の会社はシビアで、成果が出せなければ首を切られてしまいます。解雇された同僚と数カ月後に街でばったり会うと、やる気に満ちた顔をして「新しい仕事が見つかって、今度はうまくやっている」などと話すのです。米国人の明るさとタフさを感じ、そのメンタリティを見習わなければと思う局面もしばしばありました。

その後、マーシュに買収され、日本に戻られましたが、いかがでしたか。

買収は青天の霹靂でしたね。前日、何とはなしに社内がざわついていたので嫌な予感はしたのですが、はっきりしたことは何もわからなかったのです。それで翌朝、買収されたという発表がありました。そうは言われても事態が飲み込めず、おぼろげながら職を失うのかもしれない、と感じたことを覚えています。そうこうするうちに日本法人のトップからの電話が鳴り、一時帰国の指示を受けたのです。当初は一時帰国の真の目的は明かされませんでした。そこで私は自ら、「(駐在を終え)帰国後は日本法人の統合委員会のメンバーに入れてほしい」と希望を伝えたのです。

希望が叶い統合委員会のメンバーとなり、97年に帰国し経営陣の一員として統合委員会に臨みました。新しい組織は、両社合わせても70人ぐらいの小所帯です。それでも買収された側ですから、複雑な思いがありました。しかしマーシュ側の人間から、「アメリカの本社がジョンソン アンド ヒギンスを買収したが、日本の我々が買収したわけではないのだから、イーブンでいこう」と言われ、救われたような気持ちになりました。

その後、経営陣としての仕事をする一方で、アジア地域の営業活動にも力を入れました。日本企業が80年代から東南アジアで大きな工場を作って進出していたので、そのリスク評価の仕事で多忙を極めるようになりました。その後しばらくするとアジア通貨危機やインドネシア騒乱などが起こり、金融市場の混乱はもとより、街中での騒乱や暴動を目の当たりにしました。私はアジアでの仕事を多く担当していたので、混乱の最中の現地に出張をすることも多く、アジアで起きたリスク事象を実体験として経験しています。このような経験はしようと思ってもできるものではありません。当時アジア地域は比較的リスクが少ないと言われており、リスクマネジメントがあまり重要視されていなかった時代だったのです。そこにアジア通貨危機によってリスクが顕在化し、お客様の考え方が変わりました。私たちのビジネスには追い風だった、というのが正直なところですが、実体験として暴動の発生地に居合わせ、生き延びた感覚は忘れ得ぬものとして私の心の奥底に響いています。対岸の火事として認識されがちな海外のリスクが、誰しもの身にも降りかかる可能性があるということ― それはお客様へのアドバイスにも生きているのだと思います。

あれから10年以上経ち、日本企業のアジア地域へのシフトがさらに大きくなっています。南米やアフリカなどへの投資も増えているので、それに合わせたリスクマネジメントが必要になってきています。グローバルリスクを熟知し、保険をはじめとしたリスクの解決手法を提供できる我々のような国際的な保険ブローカーを必要とする日本企業がますます増えていくと思います。

保険会社と比べて、保険ブローカーの優位性はどこにあるのでしょうか。

保険会社の仕事を端的に言えば、お客様のリスクを引き受け、事故が起きて損失が出たら保険金を支払うことですが、私たち保険ブローカーの仕事は、お客様の立場に立ってリスクマネジメントのアドバイスを行い、最も適切な保険を選んでいただくことです。お客様の業種・業態に合わせて、保険プログラムをテーラーメードで構築し、必要なカバーを得るために世界の保険マーケットと交渉し、最終的にはお客様のリスクにかかる費用の抑制を支援します。時として、保険の購入を勧めず、保険以外の解決手法を提案する場合もあるのです。欧米では生保・損保含め、大半の保険をブローカーが扱っていますが、日本ではまだまだシェアが小さいというのが現状です。それは日本では長い間、国が決める料率(算定会料率)によって保険料が固定されていたからです。そのため、どの会社から保険を買っても同じでした。1996年の保険業法の改正により、自由化の扉が開き、各社の特色を出した商品の開発や自由な保険料の設定が可能になり、ようやく我々のような生業にとって活躍の場が見えてきたのです。

日本企業が海外に進出すれば、当然、現地でのリスクマネジメントを考えなければなりません。それは大企業に限ったことではなく、中小企業でも同様です。ところが当時、日本の保険会社は日本のリスクを中心に扱っていたので、そのニーズに対応することが難しかったのです。そのため、海外リスクの引受については、世界の保険市場との交渉力と国際的な販売チャネルなどを持つ我々保険ブローカーの方が長けていたのです。欧米に進出している日系大手企業の多くは弊社のお客様です。

日本の保険会社は、これからも順調に業績を伸ばしていくためには海外で収益を上げられるような仕組みを構築せざるを得ません。彼らが海外市場で特に現地ビジネスの引受に徹しようと考えたときに、海外市場に精通し、広範な販売チャネルを持つ保険ブローカーを活用することが合理的と考えます。

こだわりを持って仕事ができる人でないと務まらない

日本国内のマーケットについては、どう見ていらっしゃいますか。

march_04

国内でも、保険の販売方法に創意工夫を凝らし、革新的な手法を取り入れることによって、まだまだ伸びる余地があると考えています。たとえば大企業では、福利厚生費などのコストを従業員にシフトさせる傾向が強くなっているので我々は福利厚生制度の仕組みづくりやコンサルティングを手がけて好評を得ています。個人保険の分野ではリタイアメント・マーケットが有望だと思います。すでに銀行をはじめとするプレーヤーが手がけていますが、しっかりとした基盤を構築しているところはまだありません。そのような分野にも積極的に参画していきたいと考えています。

日本の金融市場の規模を考えれば、今はシンガポールにかなり差をつけられてしまいましたが、今後、東京が大きな再保険市場となる可能性は多いにあると思います。経済特区などの構想と結びつく国際的なプレーヤーが増えれば保険市場も活性化します。アジアでもリタイアメント市場は拡大傾向にあるため、日本の成功モデルをアジアに広げていくことも可能です。日系企業の海外依存度は今後も高まっていくでしょう。それは大手、中堅、小規模の日系企業に当てはまる現象だと予想しています。海外進出する日系企業のお客様を長年にわたり支援してきた我々の経験を礎に、日本とアジアに適した画期的な保険プログラムの提供ができれば、日本の保険市場の広がりも期待できるのではないでしょうか。

マーシュで活躍できるのはどんな人でしょうか?

こだわりのある人ですね。受け身の姿勢では成功しないと思います。我々は、世界進出するあらゆる業界・業種のお客様が抱えるリスクに対するコンサルティングや保険をはじめとした財務的解決手法を提供し、経済合理性のあるリスクマネジメント戦略を支援しています。顧客の将来のビジネス展望や業界特有のリスクトレンドに対する探究心なくして、リスクプロフェッショナルとしての成長は望めません。保険を手配するプロセスにおいても、時間の制約のある中で、保険マーケットとの交渉、詳細にわたる保険条件を擦り合わせていくことは、顧客が晒されているリスクから守り、ピンチをチャンスに変えるためには当然の務めです。そして、我々自身のミスや手違いを未然に防ぎ、お客様にご迷惑を掛けないようにするために、妥協しない、小さなことでも見直す、自らの手で調べる、確認をするという丁寧な仕事、すなわち、プロとしてのこだわりが求められます。

また、2011年の東日本大震災では膨大な額の保険金請求の処理をすることになり、苦労はあったものの、多くの社員が大きな力を発揮して確実に業務をこなすことができました。この経験を活かし、プロセスの不備や保険契約書の文言などの再点検を行い、サービスクォリティの更なる向上に向けて努力を積み重ねています。汗をかいた仕事に鍛えられ、自分自身が成長の機会を与えられる― 我々の仕事はお客様に鍛えていただける仕事なのです。これをありがたいと思える人、こだわりを以て取り組める人、そういう人が活躍できる職場です。

マーシュで働きたいと考えている方にメッセージをお願いします。

マーシュは日本では300人ほどですが、グローバルには2万6000人の従業員が在籍しています。社員たちには、せっかくそういう会社に入ったのだから300人の中だけでなく、2万6000人の中で活躍してほしいと願っています。日本のサイズや既成概念にとらわれず、グローバルな視野を持って自分の専門性を高めたい、自分のやりたいことを深掘りしたい、という人には最適な仕事だと思います。どこの国でも業務をこなせる人材になっていただきたい。私自身、当社のビジネスモデルは日本で必要であり、成功するはずだと信じて仕事をして、刺激に満ちてやりがいを感じる日々を過ごしてきました。そして日本におけるマーシュも着実に成長しています。

国際的に活躍できる保険ブローカーは、日本にはまだ数少ないので、需要の多い職種でもあります。世界で通用する保険ブローカーになりたいという気概のある人は、ぜひマーシュで経験を積み、チャレンジしてください。

マーシュ ブローカー ジャパン株式会社

事実を積み重ねて、それを相手にきちんと伝える マーシュに入社されるまでのキャリアパスを教えてください。 大学卒業後は国際的な舞台で働くことを希望し、日系海運会社に就職しました。従業員300人ほどの小さな会社でした。私の主...

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