INTERVIEW
企業インタビュー

 企業インタビュー
スリーエム ジャパン株式会社 Vol.1 細沼 宗浩

業界のLeading Company Vol.8

スリーエム ジャパン株式会社 Vol.1

ヘルスケアカンパニー

感染管理製品事業部 事業部長

細沼 宗浩

3M(本社:米国ミネソタ州)は、Science(サイエンス)をベースに生み出されるイノベーションを通して、人々の生活を豊かにすることを目指します。環境保全、企業責任、社会的責任、経済発展を通じて地球の持続可能性に貢献しながら、サイエンスとイノベーションを活かして、世界中のすべての人々の生活に深く関わっています。スリーエム ジャパン(株)は 1960 年、3Mのアジア初の現地法人として創業しました。粘着テープや反射材、接着剤、研磨材などの輸入販売を行い日本の高度成長に貢献するとともに、1961 年には相模原事業所を設立し、現在の研究開発活動の拠点となっています。1970 年にはスリーエム ジャパン プロダクツ(株)山形事業所(旧・山形スリーエム(株))を設立し、国内最大の製造拠点として3Mジャパングループはもとより、グローバルの「スーパーハブ」として海外の3M各社へも製品を提供しています。現在は社員数約 2800 人、グローバルの中核を担うとともに、進展著しいアジア市場全体を支援する地域のリーダーとしての役割も果たしています。

公開日:2017年6月20日
(インタビュー実施時の御所属・役職名にて
記載させて頂いております)

個性的で自由な空気を感じた

3Mに入社するまでの経緯を教えてください。

lc_07_01_02大学では、学部から大学院修士まで一貫して「都市工学」を学びました。もともと建築に興味があり、法学・経済学・社会学にもまたがる学際的な学問ということで興味を持ったのです。なかでも私は、都市居住や都市環境などに関する研究を行いました。その流れで、就職活動も都市計画に絞って実施しました。最終的には、建築にも携わることができ、またディベロッパーとも国や自治体とも広く関われる大手設計事務所を就職先に選びました。

その設計事務所には5年ほど勤めました。前半はいくつかの都市整備計画プロジェクトに関わり、後半の2~3年は、東京臨海部のある大規模再開発プロジェクトの最終局面に加わりました。その大規模再開発プロジェクトでは、社内の各施設の建築設計チーム、道路・公園などの土木設計チームに加えて、地主・ディベロッパー・区・東京都・独立行政法人など、本当に数多くのステークホルダーの意向をコーディネートしながら一つにまとめていく役割を担いました。もちろん大変ではあったのですが、私はその「多くのステークホルダーの間に立つ」位置が面白かったのです。当初はバラバラだった皆のベクトルが同じ方向を向いていくのが気持ちよく、大きなやりがいを感じる仕事でした。その頃から、関わる皆さんの力を活かして何かを成し遂げるのが好きでした。実は、父が地元のアルミ加工会社の創業者で、小さな頃から経営者のあり方を間近で見ていたことが、大人数のプロジェクトや組織のマネジメントが好きな理由の根っこにあると思います。

ただ一方で、設計事務所にいるうちに、自分が職人気質ではなく、都市計画のスペシャリストになろうという気持ちがそれほど強くないことがわかってきました。また、ディベロッパーの皆さんの仕事を垣間見るうちに、経営マネジメントに関わりたいと思うようにもなりました。そこで一念発起して設計事務所を退職し、MBA取得のためにアメリカに渡り、ジョージタウン大学に入学したのです。実は、大学院時代に1年間フランスに留学していたのですが、アメリカは初めてで、最初は授業スタイルもカルチャーもとにかく新鮮でした。特に面白かったのは、マネジメントの勉強です。なぜなら、私はそれまで建築や土木にばかり関わってきたため、企業が一つひとつのビジネス戦略やマーケティングについてどれほど深く考えているかをよく知らなかったからです。また、MBAコースの仲間たちの発言も刺激的でした。私にとって、この2年は大変な学びになりました。

lc_07_01_03帰国後の2005年、ある外資系コンサルティングファームに入社しました。その頃から、いずれは事業会社の経営マネジメントに関わりたかったのですが、その前にコンサルティングファームでロジカルシンキングやプレゼンテーション力を磨くとともに、経営戦略上の引き出しを増やし、ビジネスに携わる自信をつけたかったのです。私が入社したファームは自由な社風で、メンバー一人ひとりがとても個性的でした。自分の強みを活かして、自分の興味ある分野で面白い成果を出し、インパクトを残したいと考えるコンサルタントの集まりだったのです。私はそこで、さまざまな業界のコンサルティング案件を経験しながら、先輩方やお客様から思考力を徹底的に磨かれました。

 

そのファームで5年ほど働いた後、2010年に3Mに入社したのです。

なぜ3Mを選んだのですか?

今度は事業会社への転職しか考えておらず、なかでもメーカーを希望していました。アルミ加工会社を経営する父のもとで育ち、建築に関わってきた私は、やはりものづくりが好きだったのです。できれば、BtoBの素材メーカーに転職したいと思っていました。なぜかといえば、外資系コンサルティングファームであるプロジェクトを担当したときに、素材メーカーが多種多様な市場で製品開発にチャレンジし、収益性の良いビジネスを実践していることを知ったからです。若干飽きっぽい性格の私としては、さまざまな市場と製品に関われる素材メーカーのしなやかさは魅力的でした。

1年ほど探し続けて、ようやく巡りあえたのが3Mでした。面接を受けてみると、面接官の方の魅力が印象に残りました。その方は入社後、私の上司になった方ですが、私が属していた外資系コンサルティングファームのメンバーと同じように、個性的で自由だったのです。しかも、3Mは外資系メーカーとしては珍しく、日本国内に製造・販売・技術が揃っています。ここならきっと面白い仕事ができると感じ、転職を決心しました。

3Mは中小企業の集合体

3Mではどのような仕事をしてきたのでしょうか?

lc_07_01_042010年に入社して、まずディスプレイ及びグラフィックスビジネスを横断的にサポートする事業開発部部長になりました。屋外看板や交通標識、建築内装材などのビジネス戦略の策定や実行をサポートするポジションです。

部長や事業部長になって難しいと思うのは、ときにグローバル本社や日本法人全体の方針と異なる決断をしたほうがよいケースがあることです。また、AとBのどちらを選べばよいか、にわかには判断がつきかねるケースもよくあります。そうした状況が訪れたとき、コンサルタント時代は自ら決断せず、お客様と議論を重ねながら、最終的な判断はお客様に委ねていました。しかし、事業会社ではそうはいきません。自分が決断しなければなりません。その重みを感じながら決めていく経験は、私にとって大きなものでした。こうした難しい判断を自ら下したいからこそ、私は事業会社に来たのです。まさに、入社前にやりたかったことを実現できています。

たとえば、私が入社したとき、3Mは建築の内装材の色・柄を約500種類揃えていたのですが、経営層からはその種類を減らしてほしいと言われていました。しかし、私はその方針に反対でした。なぜなら、私は設計事務所にいましたから、内装材の色・柄が多いほど建築家は嬉しいということを知っていたのです。建築家のニーズを考えると、むしろ種類をもっと増やしたほうが、ビジネスは確実にうまくいくのです。そこで私は、「マネジメントチームからの要望とは違うが、1000種類にしよう!」とメンバーに呼びかけました。私としては、組織に揺らぎを与え、皆のチャレンジ精神を呼び起こすために1000種類と宣言したのですが、メンバーは私の想像以上にポジティブな反応で、彼らのモチベーションは一気に高まりました。技術や製造を巻き込んで設備投資も行い、最終的に1000種類には到達しなかったものの、750種類まで増やすことに成功しました。また、単に種類を増やすだけでなく、製造方法を工夫してコストダウンとリードタイムの短縮も達成して、種類を減らすのではない形で経営の要望に応えることもできました。こうした一つひとつの決断こそが、事業会社でのビジネスの醍醐味だと感じています。

その後、「コマーシャルケア事業部」の事業部長を経て、2017年4月からは「感染管理製品事業部」の事業部長を務めています。コマーシャルケア事業部というのは、ビルなどの業務用清掃用品や厨房用品を担当する部署で、感染管理製品事業部は、手術時に医師や看護婦の皆さんが感染防止のために使用するドレープ材や、患者さんを温めるためのブランケット、医療法ホチキスといった製品を扱っています。つまり、私は7年で、3つのまったく異なる事業分野を担当してきたわけです。この職歴を見ていただくだけでも、3Mの多様性の一端をわかっていただけることと思います。現在は、医療用感染管理製品の国産新製品の開発能力を上げたり、組織を強化したりすることに注力しています。

3Mの特徴を教えてください。

lc_07_01_05以前、お世話になっていた事業部長が、「3Mは中小企業の集合体で、事業部長は中小企業の社長、そして日本法人やグローバル本社の経営陣は株主だ」と話していましたが、実に的確な表現で、私自身が事業部長になってみて、まったくその通りだと感じています。権限が大きく、私の意志で決められることが多いのです。また、先ほどの例で挙げたとおり、事業部長は「社長」だからこそ、必要があれば日本法人やグローバル本社の経営陣と異なる判断をしてもよいのです。むしろ、そのくらいの意志を示すことを上から求められていると感じるほどです。

それから面白いのは、お客様から、時折「これは3Mらしい」「これは3Mらしくない」と言われることです。この「3Mらしさ」とは、たいがいの場合、「新しいものを生み出し続ける」とか、「世の中とちょっと違うものを作っている」「お客様が本当に求める製品を作っている」という意味です。つまり、多くのお客様が、3Mは他社が考えつかないような画期的な製品を作る会社、お客様のニーズに本当に応えようとしている会社だというイメージを抱いているのです。これは、実際にそうした製品をいくつも生み出してきたからこそ広まったイメージで、先人の素晴らしい功績だと感じています。

当然、そうした製品を生み出すために必要な「自由な風土」も根づいています。たとえば、研究開発のメンバーと話していると、有名な「15%カルチャー(執務時間の15%を自分の好きな研究に使ってもよいとする不文律)」を使って研究開発しましょうという話になることがよくあります。こうした会社の良い部分を保ち続けることも、私の仕事の1つだと考えています。ものづくりを愛するメンバーが多いのは間違いなく、私はいつも彼らのものづくり愛を引き出すマネジメントを心がけています。

やりたいことが明確な方が合う会社

どのような方が3Mで活躍できますか?

lc_07_01_06まず言えるのは、「失敗を恐れない方」です。私は日頃から、研究開発のメンバーに「手を動かし続けるラボメンバーは偉い」「100個失敗しても、101個目を作る人を評価する」と伝えるようにしています。研究開発では、泥臭く手を動かし続けることが最も大事だからです。研究開発以外でも、さまざまなことに好奇心を持って、失敗を恐れずにチャレンジできる方を求めています。最終的に3Mで成功するのはそういう方だと思います。

それから、3Mは「やりたいことが明確な方」が合う会社です。先ほども触れましたが、3Mは中小企業気質が強く、役割分担がそこまで明確ではありません。きちんとした分業が進んでいるわけではないのです。そうした環境のなかで、社内外の信頼を得て周囲を巻き込み、新たな動きを起こしていける方が、3Mで活躍できるタイプです。たとえば、以前の私の部下に、マーケティング部の部長でありながら、深夜のビルでお客様と一緒に床磨きをして新製品を試すようなことを頻繁に行うメンバーがいました。彼は山形の生産拠点にも足しげく通い、技術や製造の信頼を得て、さまざまなことにもチャレンジしていました。このようにカスタマーファーストを立脚点にして、周囲とどんどん関わっていける方には信頼とリソースが集まってきますから、次々にチャンスが訪れるはずです。

細沼 宗浩氏 プロフィール

東京大学大学院工学系修士。ジョージタウン大学経営学修士(MBA)。大学院終了後、大手建築設計事務所にて都市計画を担当。その後、外資系コンサルティングファームに入社し、プロジェクトリーダーとして大手企業の営業戦略、組織変革などを手がけ、2010年スリーエムジャパン株式会社(当時は住友スリーエム株式会社)に入社。入社後は、「ディスプレイ及びグラフィックスビジネス」グループの5事業部を横断的にサポートする事業開発部部長に着任。その後、コマーシャルケア事業部事業部長を経て、2017年4月より現職。

スリーエム ジャパン株式会社 Vol.1

個性的で自由な空気を感じた 3Mに入社するまでの経緯を教えてください。 大学では、学部から大学院修士まで一貫して「都市工学」を学びました。もともと建築に興味があり、法学・経済学・社会学にもまたがる学際的な学問ということで...

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