INTERVIEW
企業インタビュー

 企業インタビュー
ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社 保田 英里香

グローバルで活躍するビジネスリーダー Vol.1

ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社

サプライチェーン部門 NPIマネジャー

保田 英里香

静岡大学農学部食品栄養化学研究室にて修士号を取得後、2008年にブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社(以下BAT)に新卒で入社。営業職を経験した後、ロジスティクスチームに異動。2011年にはロジスティクスチームでの業績が認められシンガポールのAsPac サプライチェーンNPIチームに出向し、NPIエグゼクティブとしてアジア諸国の新製品の立ち上げや既存製品のアップグレードなど多岐にわたり経験を積む。2013年に日本に帰国後は、NPIマネジャーとして、プロジェクトにおけるタイムラインマネジメント、ワークストリームへのチャレンジ等、重要なプロジェクトを担当。海外赴任で培った知識、経験や関係構築力によってプロジェクトを成功に導いた。2014年にUKにあるOperationチームへパッケージングプランニングマネージャーとして赴任、2015年9月に帰国、現職。

公開日:2015年10月28日
(インタビュー実施時の御所属・役職名にて
記載させて頂いております)

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BATは人に投資する会社

新卒でBATに入社されていますが、なぜBATだったのでしょうか。

修士課程を卒業し、当初はガラスや鉄鋼の日系企業に就職するつもりでした。日本の技術や製品を海外に輸出する仕事がしたかったからです。しかし就職活動を続けているうち、偶然就職サイトで、BATを見つけました。第一印象は「会社が人材に投資をしている」です。興味を持って応募したところ、内定をいただきました。正直なところ、外資系企業で働くことに不安はありました。私はあまり英語でコミュニケーションをとった経験がありませんでしたし、外国人の友達もいない。それでも入社を決めたのは、第一印象同様、他の企業に比べて人への投資が魅力的でここだったら自分も成長できそうだと感じたからです。

2008年にBATに入社されて、最初はどのようなお仕事をされていたのですか?

cg_062_03入社し、まずはトレードマーケティングレップという営業職で大阪に配属されました。実際にコンビニエンスストアやタバコ屋さんを回り、新商品の紹介や陳列位置の場所取り等をしました。現地には事務所がなく、先輩と連絡を取りながら直行直帰で店舗をまわっていたため、自分の仕事の仕方が正しいかわからず、常に不安がありましたね。自分の行った活動がすぐに結果に結びつかないことも、不安に繋がりました。たとえば、ある店舗で売り場を広げることに成功した、といっても必ずお客様が商品を購入するとは限りません。入社して間もない頃は、本当に試行錯誤の毎日でした。

大阪で営業を1年半経験した後、社内公募に手を挙げ、2009年に本社のロジスティクス部門へ異動しました。私は大学時代、食品栄養化学研究室に所属しており、研究のために一定期間約60匹ものネズミを飼育し、毎日餌を与えて体重と食事量をはかり、データ収集するという実験をしていました。ロジスティクスではクリエイティブさより、一つ一つの仕事を正確に行うことが求められます。それで適性ありと採用されたようです。

ロジスティクス部門の仕事はタバコの輸入業務全般です。海外の工場から製品が出荷され、消費者にお届けするまでの輸入通関手配や在庫管理を担当します。それまでの営業職とは違い、自分が努力すれば努力した分だけ達成感を得られましたので、とてもやりがいを感じていましたね。身近な目標を自分で立て、それを達成していくプロセスは非常に充実していました。

シンガポールへの赴任がキャリアと
人生のターニングポイント。
自分で想像できない未来があった。

どのようなきっかけでシンガポールへ赴任されたのでしょうか。

海外で働きたい気持ちは入社当初からあり、それとなく上司にその希望を伝えたりしていたところ、ロジスティクス部門で約二年間勤務したのち、シンガポールへ行くことになりました。東日本大震災の影響で物流量が非常に増加し、業務も多忙を極めたときの仕事ぶりを見てくださった上司から、シンガポール行きのお話をいただいたのです。「20代後半で海外に行くならこの機会しかない」と思い、シンガポールへ行くことを決めました。入社してまだ3年くらいでしたね。3ヶ月ほど英語のレッスンを受けて、行けば何とかなると楽観的な気持ちで海外赴任に挑みました。

シンガポールではNPI(New Product Introduction)エグゼクティブというポジションを任されました。新商品開発のプロジェクトマネージャーです。例えば日本で新商品を出すために、韓国の工場を利用する必要があるといったケースでは、NPIエグゼクティブが日本と韓国との間に入り、日本の要求と韓国の工場で可能なこと等の調整をします。何ができて、何ができないか。いつまでにできるか、コストやリスクはどの程度か。双方から聞き取りをしながらプロジェクトのタイムラインを管理します。

赴任当初は英語がまったく聞き取れず非常に苦労しました。しかも自分が言いたいことの20%程度しか英語で表現できない。毎日泣きそうでした(笑)。電話会議で議事録をとるのも一苦労でしたが、会議に出席するからにはその時間内で自分がどんな付加価値をつけられるかを考えました。積極的に発言してアウトプットすることを意識しました。会議に出席しても、発言しなければ自分の存在価値を示せないからです。

仕事をする上で心がけていたことはどのようなことでしょうか?

日本でロジスティクスにいたときは、自分が早く作業を進めれば早く終わりましたし、早く終わった時間を他の仕事に割くこともできました。ところがNPIでは、いかに人を動かすかが重要なのです。いくら仕事を進めたくても、ある人の仕事が滞ると進めることができない、ということが度々起こりました。全体のスケジュールの中でどのように進捗していけばよいのか、うまく相手に伝え、複数人と同時にコミュニケーションをとり、全体を調整していくことを大事にしていましたね。加えて私は英語のネイティブスピーカーではありません。ですから、あなたはいつまでに何をしてください。あなたはこれをしてください。というような、できるだけ簡潔な英語でちゃんと伝えることを心がけました。はじめは日本語のように遠まわしな表現で伝えようとしましたが、拙い英語では相手にまったく伝わりませんでした(笑)。

毎日の仕事で非常にストレスを感じていたのも事実です。赴任してから最初の半年は「日本に早く帰りたい」とよく日本へ電話していました。初めの半年は、他に日本人の同僚がおらず心細かったこともあります。半年経ってから日本人の後輩もできました。彼は積極的に自己表現するタイプで、自分も負けてられないといい刺激になりましたね。

シンガポールでの失敗談はありますか?

たくさんあります。オフィスで号泣することもありました(笑)。NPIの仕事をしていると、様々な部門や担当者から要求や不満が出てきます。それが、私個人に対して言われているのか、それとも仕事に対して言われているのか、当時の私には区別できませんでした。私個人を責めているわけではなく、仕事は仕事なのだ、と今なら理解できますが当時はすごく悩みましたね。オフィスで号泣したときは、まわりの同僚が「早く帰りなさい」と慰めてくれました。次の日、会社に行くのが気まずかったですが、みな普段通りに接してくれてとても助かりました(笑)。

シンガポールにきて1年ほどで、英語でのコミュニケーションに対する抵抗も少なくなり、ある程度仕事を回せるようになりました。こんな質問をしたら恥ずかしい、こんなことを聞いたら馬鹿にされる、というようなことを気にせず、まずしゃべってみる、まず質問してみる姿勢が身につき、積極的に行動できるようになりましたね。また、シンガポールの同僚は非常に親切でフレンドリーでした。私は引っ込み思案で、皆がいるところに1人で入っていくのは苦手でしたが同僚が積極的に話しかけてくれ、私が会話についていけていないときはフォローしてくれたのも大きな助けになりました。

シンガポールへ行ったことは、自分のキャリアにとって、人生にとって、大きなターニングポイントでした。もし日本にいてロジスティクスの仕事を続けていたら、NPIの仕事を自分ができるとは思えなかった。シンガポールで学んだことが、今の仕事に繋がっていますね。

シンガポールでのプライベートな生活はいかがでしたか?

cg_062_04シンガポールに進出してきた日系企業も多く、自分と同じような境遇で、独身でバリバリ働く女性がたくさんいて、よく遊んでいました。今でも週一で飲みに行くくらい、家族のような友達です。日本とは違い、シンガポールでは毎晩飲みに行きました(笑)。仕事、遊びのどちらに対しても非常にアグレッシブで、エネルギッシュな人が多かったですね。

また、よくゴルフに行きました。シンガポール国内でプレイすると値段が高いのですが、マレーシアやインドネシアでは安価でプレイできますし、すぐに行けるので便利でした(笑)。

2013年に日本に帰国された後はどのような仕事をされていたのでしょうか。

帰国してからは日本のNPIに配属されました。仕事内容はシンガポールのときとあまり変わりませんが、日本では社内での地位が高い方とのやりとりが多く、ビジネスで扱う金額も大きいので、シンガポールのときとは責任感に違いが生じ、大きなプレッシャーを感じていました。マーケティングチームから「この製品をこの時期に発売したい」と、強いプレッシャーを受けることもあります。それが生産現場では現実的に不可能なこともあります。シンガポールに行ったことで、マーケティングと生産現場、どちらの考えも理解できる分、上手く調整するのに苦心しました。心がけたのは、単に「できない」と返答するだけではなく、他のオプションを示すこと。「この程度のコストをかければできる」など、逆提案を積極的にしました。相手が納得してくれないときは、相手の上司に相談するのも1つの手です。「できない」だけでは話が進みませんので、プロジェクトをどう前進させるかを意識しました。

日々の仕事の中に次のチャンスが隠れている。

2014年にイギリス赴任されましたが、きっかけは何だったのでしょうか?

ケント(KENT)のフィルターを改良するプロジェクトに携わっているとき、グローバルの製品開発のトップを務めるイギリス人女性に出会いました。彼女は家庭を持ちながらキャリアを積んだ方なので、彼女から学べることが多いと感じ、メンターになってもらったのです。個人的な恋愛相談からキャリアパスについてまで、様々なことを相談しましたが、その中で30代前半の間にもう一度海外で働きたいという話をしたところ、彼女がその機会を作ってくれたのがきっかけです。彼女と一緒に仕事をする中で、日本のプロジェクトマネージメント、ミーティングでのファシリテートが素晴らしいと認めていただいていたこともこの機会を得た理由の一つだったと感じています。シンガポール赴任の際もそうでしたが、日々の仕事の中に次のチャンスが隠れているということを実感した出来事でしたね。

シンガポール赴任を経験し、もう一度海外で働きたいと考えた理由は2つありました。まず、幅を広げるためにヨーロッパでのビジネスを経験しておきたかったことが挙げられます。そしてもう一つは、英語をもっとブラッシュアップしたかったのです。シンガポールの経験のおかげで、英語で仕事をすることに自信がつきました。それでもネイティブとの会話にはまだ抵抗がありました。間違ったことを言っていないか、この表現は不自然ではないか。そういうことを気にして口数が少なくなる傾向がありました。ですので、もう一度海外で働き、その部分を改善したいという思いがありました。

そうして、2014年の10月から約1年間、技術的なことを多くの人から学びなさいというスタンスで、イギリスのサウサンプトンに派遣されました。シンガポールに行ってからあまり時間が経っていないにも関わらず、再び海外赴任できて幸運でしたね。現地では、自分が仕事をまわすのが半分、テクニカルなこと学ぶのが半分という形で、パッケージングプランニングマネージャーというポジションを任されました。製品の開発センターがあり、そこにパックの構造、紙、デザイン等のスペシャリストがいます。彼らは個々にプロジェクトを抱えており、それぞれのプロジェクトのスケジュールや状況を私がまとめてレポーティングしていました。あるプロジェクトをこのタイミングでローンチしたい場合、それがパッケージチームのタイムラインに合うかどうか、といったことをコントロールするのが役割です。

また、テクニカルなことを学ぶために、積極的にスペシャリストに質問を投げかけました。例えば、パッケージをつくるマシーンの動きは実際に工場に行かないと理解できません。そこで、マシーンのスペシャリストにお願いして、スクリーンにマシーンの図を映して説明してもらったのです。あらゆるケーススタディを考え、こういう質問にはどう答えればいいか、過去にこのような問題があったが、どう対処すればよかったか、などを検討する。パッケージの形を変える場合に、なぜそれほどコストがかかるのかも具体的に理解できるようになりました。

私のポジションは期間限定でしたから、あえて作っていただいたポジションで会社にどのように貢献することができるかを考えました。たとえば、イギリスのスペシャリストたちは経験豊富でプロジェクトのプロセスをタイムラインにいちいち示しません。しかしそれですと、その人がいなくなった場合にプロセスが誰にもわからなくなってしまう。そこで私が彼らの頭の中にあるタイムラインをExcel化して、情報として共有できるようにしました。1年近く働いて、徐々に会社に貢献できるようになったと思います。

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自分はできないと勝手に決めつけない。
とりあえず行動する。

海外赴任の役割はどのようなものだと考えますか?

cg_062_06人脈作りです。グローバルな人のネットワークをつくって日本に帰国すれば、後々の仕事にとても役立ちます。また製品開発のテクニカルな部分は、日本にいるだけではわからないことが多いので、それを少しでも吸収し、日本の同僚にシェアすることもミッションのひとつです。個人的には、海外赴任によって引っ込み思案な性格や英語に対するコンプレックスを克服できました。海外赴任で、自分が入社したときには想像もできなかった自分と出会うことができました。

グローバルで働きたい方は、まずは英語の勉強をしっかりすることをおすすめします。戦略的なことでいえば、会社内で自分が海外に行きたいことをアピールしておく。私は飲み会の席で自分が海外に行きたい意思を上司にそれとなく伝えておきました。それは多かれ少なかれ効果があったと思います。

最後にBATの魅力を教えてください。

BATでは社員ひとりひとりが年間の目標を設定し、それを達成するためにはどうしたらいいかを考えます。自分のキャリアプランも考慮し、何をいつまでにしなければならないかを明確に意識するよう促されます。そして、その目標達成を会社がサポートし、目標を実現した場合は評価につながるというシステムです。

たとえば、私はキャリアパスとして品質管理の部署へ進むという選択肢がありましたがイギリス人のメンターは私にそのキャリアを勧めませんでした。2?3年後の目先のことではなく、10年後に自分がどうなっていたいかを考えなさい、と。自分自身のセルフイメージではなく、上司から見た私の客観的なイメージは、キャリアプランの参考になりました。いまでは、原料の段階から製品がお客様へ届くまで、その全てのプロセスにずっと関わりたいと考えています。プランニング、生産管理、マーケティングを学びながら、キャリアアップしていきたいと思っています。

また、BATは子育てに関する制度も整っています。出産後に職場復帰し、バリバリ働いている方が多くいらっしゃいます。産休を取得して自然に職場に戻ることができるのは非常に魅力的で、現在の日系企業ではまだまだ難しい部分だと思います。

私は入社してから大阪で営業を経験し、本社、シンガポール、イギリスと、10年ほどの期間で素晴らしい経験をさせていただきました。BATは、海外で働きたいことをしっかりアピールし、自分が興味あることを真剣に勉強すれば、チャンスをもらえる会社です。このような会社に出会えたことは、とても幸せなことです。海外でキャリアを積みたいと考えている方は、ぜひ弊社に応募していただきたいと思います。

ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社

ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社は、世界で最も国際的で、また上場たばこ企業の中でマーケット・シェア第2位のたばこグループである、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・グループ(以下、グループ)の一員です。2002年に創立100周年を迎えたグループは、現在57,000人を超える従業員とともに約200ヵ国の市場で事業を展開しています。

グループの製品は、30年にわたり日本市場で販売されてきましたが、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンの企業としての新たな歴史は、2001年夏に始まりました。

1984年にグループは、ブラウン・アンド・ウイリアムソン・ジャパン・インク(B&W ジャパン)を窓口として、日本での事業を開始しました。その翌年、住友商事株式会社の100%子会社、エス・シー・エー・タバコ(SCAT)を通して製品の販売を始めました。2000年にグループは、SCATの全株式を住友商事から取得し、グループの傘下におさめ、2001年には、B&W ジャパンとの事業統合を行った後、社名をブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン株式会社に変更し、東京都港区の愛宕MORIタワーにオフィスを構えました。

複雑かつ競争の激しい環境下にありますが、常に高品質のたばこ製品を追及することで私たちの事業は進められています。最高レベルのスタンダードであるという私たちへの評価は、卓越した能力を持つ社員を雇用してきたことの現れです。私たちは、極めて高い資質を持っている従業員を採用し、能力を開発し、維持してゆくことを常に心がけています。

現在、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンでは、およそ800人の社員が働いています。

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