『習慣』と『インサイト』を見いだし「洗えないものを洗う」製品を発売
「ファブリーズ」とはどのような製品でしょうか?
ファブリーズは、1998年に布用消臭芳香剤として日本で発売されました。その発売にあたり、私はブランドマネージャーとして、飽和している日本市場に新しい生活習慣を生み出すというミッションをもって、日本での市場展開を考えるリーダー役を務めました。
発売前は、本当に日本市場でも売れるのだろうか、という疑念もありました。日本人は他の国の人たちと比較して、とても清潔好きで、洗濯も大好きです。あらゆるものを洗濯するため、臭いがついたら洗濯して落とすという習慣が根付いています。そんな中で、スプレーするだけで消臭や除菌ができると言われても、日本の消費者には受け入れられないのではないかと懸念していました。
しかし販売に踏み切られました。その理由は何ですか?
P&Gでは、「商品の価値は消費者が決める」という基本の考え方があります。「消費者がボス」という言葉で全社員に浸透していますが、ボスである消費者の潜在ニーズを満たすために、何ができるかを考えるというP&Gのモットーです。
そこでマーケティングの第一歩として、消費者の潜在ニーズを掘り起こそうと、消費者にファブリーズを実際に使ってもらいました。
その結果、ソファーやカーテンはもちろんのこと、布団は干す前にスプレーしていることがわかりました。確かにこれだと湿った布団に寝ずにすみますよね。洗濯好きな日本人でも、ソファーなど洗いたくても洗えないものや、カーテンなど頻繁に洗えないものがあります。洗えないものが洗った時のように消臭・除菌できる製品があれば、日本の消費者の皆さんも使ってくださるということがわかりました。
実際にどのようなマーケティング、コミュニケーション戦略を実行されたのでしょうか?
ニーズがあることはわかったので、次に大切なことはどのように伝えるかです。
まず考えたのはコミュニケーション戦略でした。ファブリーズは日本で市場調査を始めた頃、アメリカでは、テスト販売をしている最中でした。現地に視察に行ったところ、アメリカの主婦の方々が、「自宅で、なにか臭うと自ら気がつくのは良いけれど、家に来たお客様やお友達に『なんか臭うわね」』と言われるのはいやだ」ということが分かりました。きっと、この感覚は日本人も似ていると考え、日本のテレビCM作りに活かしました。洗えない布製品が臭っていることに自ら気づき、ファブリーズを使ってみたら臭いが消えました。というストーリーです。
また、ファブリーズは日本市場にいままでなかった商品でしたから、「どこに」「どのように」使うのかを知ってもらうことが非常に大切でした。消費者が使い方を理解できるテレビコマーシャルもつくり、積極的に紹介しました。カーテンやソファー、寝具などの大型の布物類だけに限定せず、車に何かこぼしたときや夫のスーツをクリーニングに出せないときなど、こんなところに使っていますよ、ということを紹介したのです。
製品として日本で売り出す際に工夫されたことはありますか?
アメリカでテスト販売していた時の商品で、日本の消費者に調査したところ、洗剤の容器が大きく、角張ったデザインだったことから、「大きすぎるし、かわいくないので、人が見るところに置きたくない」と言われたのです。しかしファブリーズは日常的にいろいろなものに使っていただきたいので、目に見えるところに置いてほしい。そのためには小さくしなければならないし、見た目をかわいくしなければならないと気づきました。そこで日本で発売するファブリーズは、丸くパールがかった薄紫色のデザインにしました。これは言い換えると、我々がどれだけ深く日本の消費者を理解できたかということでもあります。消費者調査でお話いただくことは、貴重な意見ではあるのですが、裏に隠れた「なぜそれを意見として言っているのか」まで深く理解しなければ、本当の“インサイト”はみえてきません。これはブランドが成功する為には必要なことです。消費者を注意深く観察して習慣とインサイトを学ぶことは、マーケティングの第一歩だと思います。
ファブリーズの製品価値を確立して根付かせる
ファブリーズ・ブランドを育てる際に工夫されたことはなんでしょうか。
ファブリーズのユニークな点は、消臭除菌という市場を開拓したところです。除菌や消臭のために専用の液体をスプレーするという習慣を普及させることで新しい市場を作ったのです。そのため、ファブリーズを育てる最に一番大切にしたのが、ファブリーズの「消臭除菌する」という製品価値を確立し、消費者に新しい習慣を根付かせることでした。
ファブリーズには1998年のテスト販売当初から、包括的なエアケア製品としていずれは香りつきなども展開するビジョンがありました。しかし、最初から香りつきのものなどを出していては香りで嫌な臭いをカバーする芳香剤との立ち位置の違いが明確にならず、「洗えないものを洗ってくれる」消臭・除菌のための製品ということが消費者に根付かないだろうと考え、それが浸透するまでは製品ラインナップを拡大しない方針に決めました。「洗えないものを洗う」ファブリーズから「生活空間を包括的にエアケアする」ファブリーズへのブランド拡大は、日本では約5年ほどかけたと思います。そんなに時間をかけては競合製品にシェアを奪われるのではと考える人もいるかもしれませんが、ファブリーズが香りつきやハウスダストクリアなどのラインナップを拡大し始めたのは2004年頃からですが、それまでに市場を奪われるといった事態は起こりませんでした。
また、ブランドを育てる際には新製品開発や製品改良など、製品の工夫が必要ですが、たとえ製品の開発や改良がなくても育てられるように、コミュニケーション戦略を磨くことも必要です。例えば、ファブリーズでは消費者へのメッセージを、受け入れられやすく親しみやすい方法で伝えることを心がけてきました。たとえば最近では松岡修造さんに登場していただき、夏には高校生たちとユニフォームに、冬にはサラリーマン編でスーツにと、さまざまなシチュエーションでファブリーズをスプレーしてもらい、「洗えないものを洗う」というファブリーズのベネフィットを伝えました。発売後15年近く経ち、根本に返ってファブリーズをいろんなところで使ってほしいという狙いが込められています。製品自体は変わらないのですが、メッセージの切り口を変えることで新しさを出していく。「こういうふうにも使えたのか」と消費者に新しい発見をしてもらって、売り上げにつなげていくのです。
いま振り返ると、P&Gにとって、ファブリーズは一つの転機だったと思います。ファブリーズを通して消費者の方にも小売店さんにも、P&Gは新しい消費者価値を生み出し、面白いことを考える企業であると思ってもらえたのではないでしょうか。
世界をリードするマーケティングカンパニーとしてのP&G
マーケティングカンパニーとしてのP&Gの強みを教えてください。
やはり人材を育てることに重点を置いているのが強みだと思います。P&Gは世界75カ国に拠点をもち、180カ国以上で製品を販売するグローバル企業です。グローバルに豊富な人材のネットワークがあるのですから、成長したいと望む人にとっては最適な環境です。また、会社にとっては社員それぞれがグローバルにネットワークを築くことで、確実に社内に知識が積み重ります。
P&Gではナレッジベースのリーダーシップに価値があるとされています。そういうリーダーを中心に、社内に知識が積み重ねられ共有されるので、同じ失敗が二度と繰り返されません。また、リーダーは大きな組織でどれだけ影響力をもてるのか、その為にどんなインスピレーションを周囲に与えることができるかが重要です。知識の積み重ねが、周囲をインスパイアしてチームを引っ張っていくリーダーシップを生むのです。
P&Gは海外への転勤や出張もありますし、特有の社内文化もありますから、入社して戸惑われる方は多いと思います。しかし、社内登用制を徹底して行っており、原則ヘッドハンティングを行わないので、入社した方々には、成功してほしいという思いが会社全体にあります。だからこそ、お金も時間も労力もかけて、人材を見極めて採用し、徹底的に教育しています。
採用段階でその人物が成功するかどうかをどう見極められるのですか?
マーケティング部門ではデータの分析力、要は物事を論理的に考えられるかどうかが大きなポイントですね。また、コミュニケーションを通じてアイデアを形にしていかなければならない仕事なので、対人関係が苦手な人は難しいかもしれません。あとはやはりリーダーシップです。
P&Gではリーダーシップに加えてオーナーシップも重視しています。他人がやらないなら自分がやるという気持ちですね。誰かから指示が来ないからできないなどという言い訳は通用しません。結果を出すためには自分が手を動かし、率先して実行していきます。何らかの障壁があっても超えていくための解決策を見いだす人が求められます。
マーケティング部門では、アシスタントブランドマネージャー(ABM)、ブランドマネージャー(BM)、マーケティングディレクター(MD)、ジェネラルマネージャー(GM)というキャリアパスが確立されています。リーダーシップとオーナーシップは、将来グローバルで活躍できるリーダーを目指す社員には特に必要なスキルです。
キャリアのフレキシビリティについてはいかがでしょうか。
私の場合は子育てでしたが、介護などさまざまな理由で、誰もがライフステージの変化にあわせて悩む時期があると思います。従業員が働き方を変える必要に迫られたとき、会社がいかに柔軟に対応できるかが重要です。
私は1999年にファブリーズのブランドマネージャーとしてテスト販売まで担当したあと産休に入りました。2000年に復帰した後、2006年から6年半アメリカに赴任し、その間は日本企業に勤める夫と離れ、2人の娘を連れてアメリカで生活をする決断をしました。アメリカ赴任を決めたのは、他のリーダーたちの仕事の仕方を学びたいと思ったからです。そして、私が次のステップに上がるための成長に役立てたいと思いました。その一方、行ったからにはある程度の結果を出さないといけないというプレッシャーもありましたが、行きたいという自分の気持ちを大事にしてチャレンジしてみようと決断しました。
具体的な業務は、マーケティングディレクターとしてアイムスというペットケアブランドを担当し、シンシナティの本社でペットフードのグローバル戦略に関わりました。ブランドをどういうイメージで、どういうターゲット層に売っていきたいのかなど、コミュニケーション戦略を包括的に作ったり、アメリカを含めた全世界の戦略を考えることができたのは、大変刺激的で勉強になりました。とにかく組織が大きいですから自分一人で考えたり実践するより、いろんな立場の人を巻きこまなければ仕事にならないのです。世界中から人が集まる環境でコミュニケーションスキルなどを学んだのは良い経験になりました。
去年日本に帰ってきましたが、これからはアメリカの経験を生かしつつ、日本でやった良いことを海外に発信したいですね。私が次のステップにチャレンジしたいと言ったとき、会社が無理だと決めつけなかったことに、今でもとても感謝しています。
市場から変化を強要される前に自分から変化を作り上げろ
?P&Gはイノベーションを重視されていますが、イノベーションが生まれる仕組みについて教えてください。
イノベーションはプロダクトイノベーション、つまり新製品開発のことととらえられがちですが、他にもいろんなイノベーションがあります。流通戦略にもイノベーションがありますし、マーケティングのコミュニケーションの仕方、組織の作り方のイノベーションもあります。P&Gでは製品作りだけでなく、組織や働き方など、あらゆる点でイノベーションを生み出すことを推奨しています。社長の奥山からも「市場から変化を強要される前に自分から変化を作りだしなさい。自分が持っているもののなかで何か新しいことができるか、違う仕事のやり方ができるか考えなさい。」と常にいわれており、全社員に浸透しています。
アイデアについても独自の考え方があります。アイデアはトップダウンではなく、何をソースに発案しても良いということです。海外の情報からでも、異なるカテゴリーの製品からでも良いのです。こういったことを奨励しているのがイノベーションを生む土壌になっていると思います。
また、小さい範囲の実行であればブランドマネージャーに権限がまかされています。PDCAは徹底させますが、ブランドマネージャーにどんどん任せます。わからないならお金をかけてまずボスである消費者に調査をしてボスの潜在ニーズを理解します。小さい失敗を繰り返してもそれで大きく学べば良い、うまくいったら大きく投資すれば良いという考え方です。小さな失敗を大きな成功につなげる土壌があり、こういった仕組みを奨励している。これがP&Gがイノベーションを起こしし続ける大きな理由ではないでしょうか。
最後に、このインタビューを読んだ方たちや、御社を志望する方たちへのメッセージをお願いします。
どういう自分になりたいのか、どういう仕事をしたいのか、じっくり自分探しをしながら前に進んでいただきたいです。会社を経営したいのか、ブランドを作りたいのか、営業活動に従事したいのか、何となくでもいいので、自分なりのビジョンをもって行動すると良いのではないでしょうか。
自分の過去や他人と比較しまうときもあると思います。でも、小さくてもいいので一歩踏み出す。つねにポジティブに考えて、失敗したら次は失敗しないようにしようと思って、また一歩踏み出す。それしかありません。どんなときもポジティブに、ビジョンを持って前に進んでほしい、そう願っています。